気ままに

大船での気ままな生活日誌

遠藤実 メモリアルコンサート

2009-12-04 11:11:31 | Weblog


昭和の歌謡曲を吉田正さんと共に、背負っていたと言っても過言でない、遠藤実さんが亡くなられて、はや1年になった。彼のメモリアルコンサートが東京国際フォーラムであるというので、ふたりで行ってきた。

司会は宮本隆治さん。遠藤実さんとの共通のキーワードがあり、それは荻窪だという。遠藤さんは、荻窪駅北口で10年間ほどギター携え、流しをしていた、そして宮本さんはNHKの荻窪寮に住んでいたという。遠藤さんの歌謡曲人生は、荻窪から始まったのだった。ぼくも結婚後、わりと近くに住んでいたことがあるのだ。

昭和33年、藤島桓夫の”お月さんこんばんわ”のヒットで作曲家としてデビュー。そして島倉千代子の”からたち日記”、こまどり姉妹、小林旭のヒット曲が続く。そして、忘れもしない(同い年だから)、昭和38年に舟木一夫の”高校三年生”の大ヒット曲が生まれるのだ。

コンサートには遠藤門下の錚々たる歌手がずらりと勢ぞろいしていた。観客も錚々たる年代(汗)で、われわれ世代が大部分だった。

トップバッターは、千昌夫さん。岩手県から上京し、遠藤先生の内弟子になり、生まれた大ヒット曲。”星影のワルツ”。♪別れることはつらいけど仕方がないんだ君のため・・♪ ぼくの友人が新朗であるのに披露宴で、この歌を歌い、物議をかもしたことを思い出した。”北国の春”も、もちろん歌った。この歌を知らない中国人はいない、というほどアジアの大ヒット曲でもある。ぼくの職場の忘年会は、盛岡出身の上司の音頭で、この歌の全員合唱で締めるのが常だった。

そして、小林幸子さんの”雪椿”。歌も良かったが、振袖の着物姿も良かった。この年で振袖、おほほ、と笑いながら、歌に合わせて、雪椿の模様にしました、と。振袖部分と裾に、白地に大きな椿の花が5つほど、見事に咲き誇っていた。

杉良太郎さんも。もうこの年で、流し眼は通じませんよ、と笑わせ、またこれしかヒット曲がないんですと、”すきま風”。♪いいさそれでも 生きてさえいれば いつかしあわせに めぐりあえる その朝おまえは すべてを忘れ 熱い涙を 流せばいい♪遠山の金さんの主題歌ですが、自殺防止の歌でもあるんですよ、と笑わせる。

休憩があって第二部は、五木ひろしさんと小林幸子さんが、自分の歌ではないが、遠藤メロディーを交互に、あるいは デュエットで歌う。さすが、歌のうまさにはかけては当代きっての歌手、心地よく聞けた。新宿育ち、こまっちゃうな、くちなしの花、他人舟、夢追い酒、ソーラン渡り鳥、一週間に10日来い、浪曲子守唄、せんせい、お月さんこんばんわ、みちづれ、哀愁出船、若いふたり。あれもこれも遠藤実曲だったんだと、改めて驚いてしまう。小林幸子さんは、この間、3回も衣装の早替わり。こちらにも驚いてしまった。

そして、島倉千代子さん。からたち日記、襟裳岬等。ぼくも大好きな歌。そして、お待ちかね、舟木一夫さんの学園ソングメロディー。花咲く乙女たち、修学旅行、仲間たち、君たちがいて僕がいた、ああ青春の胸の血は、学園広場。ぼくの青春真っ只中の歌の数々。全部、今でもソラで歌えますよ。そして、最後は小林旭。アキラのダンチョネ節、ヅンドコ節、ソーレロ節、ついて来るかい、純子、ごめんね。来年年男だそうです。島倉千代子さんもそうだそうです(年男ではありませんが;笑)。ということは72歳になるのかな。宮本アナウンサーも、一回り下の、年男だそうだ。

大エンディングは、”高校三年生”の大合唱。歌手のみなさんも、ぼくら観衆も。みんな、心は、あの時代に戻っていた。

赤い夕陽が 校舎をそめて
ニレの木蔭に 弾む声
ああ 高校三年生 ぼくら
離れ離れに なろうとも
クラス仲間は いつまでも

残り少ない 日数を胸に (汗)
夢がはばたく 遠い空
ああ 高校三年生 ぼくら
道はそれぞれ 別れても
越えて歌おう この歌を

作曲家の遠藤実さんが亡くなられた1年後に、先日、作詞家の丘灯至夫さんがお亡くなりになった。小林旭さんが、遠藤さんが連れにきたんだよ、と笑わすと、舟木一夫さんが、”ということは、来年はぼくですか”と。大爆笑。楽しいコンサートだった。遠藤実さんも草葉のかげでお喜びになっておられたことだろう。

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