福島県 磐梯山1816.2m

2023.06.25(日) 日帰り

 昔からの山仲間の集まりで、日本百名山の磐梯山に登る。  休暇村裏磐梯からきれいな磐梯山を眺めて、磐梯山ゴールドラインの八方台登山口へ向かう。八方台登山口の駐車場はいっぱいで、こがね平に駐車して八方台まで車道を歩く。こがね平と八方台で、1888年(明治21年)の磐梯山の噴火と山体崩壊の説明板(小磐梯は噴火で崩壊し消失)を興味深く読んで登り始める。花達を見ながら進み、中の湯では祠付近から湧き出るお湯をのぞく。弘法清水では、初めてバンダイクワガタに出合いうれしくなる。  弘法清水からしばらく急坂を登ると、360度の眺望がある磐梯山山頂に着く。大きな猪苗代湖や周囲の山々が広く見渡せるが、飯豊連峰、吾妻連峰など遠くの山々は雲の中で残念に思う。安達太良山は、雲が切れて写真に収めることができる。北方向の裏磐梯を見て、1888年(明治21年)の噴火で山体崩壊し桧原湖まで岩屑(がんせつ)なだれが到達したこと、すぐそこにあった小磐梯が噴火で崩壊し消失したことを想像する。  下山は往路を下る。八方台登山口で、晴れ渡った青空の山頂を振り返って山行を終える。  標高差 磐梯山1816.2m-八方台登山口1194m≒620m  八方台登山口17℃、磐梯山山頂16℃  日の出4:10、日の入19:14

耶麻郡北塩原村檜原小野川原 820m
 休暇村裏磐梯に、前日泊する。

耶麻郡北塩原村檜原小野川原 820m  休暇村裏磐梯に、前日泊する。

耶麻郡北塩原村檜原小野川原 820m  休暇村裏磐梯に、前日泊する。

休暇村裏磐梯から
 朝、櫛ヶ峰(左側)と今日登る磐梯山(右側)が宿からきれいに眺められる。右側は丸山。
 1888年(明治21年)の磐梯山噴火の岩屑(がんせつ)なだれが8㎞離れたここまできたと思うと、びっくりする。噴火前は、磐梯山(大磐梯 おおばんだい 1816m)の左側に小磐梯(こばんだい 大磐梯より数十メートル低い 噴火で崩壊し消失)があった。

休暇村裏磐梯から  朝、櫛ヶ峰(左側)と今日登る磐梯山(右側)が宿からきれいに眺められる。右側は丸山。  1888年(明治21年)の磐梯山噴火の岩屑(がんせつ)なだれが8㎞離れたここまできたと思うと、びっくりする。噴火前は、磐梯山(大磐梯 おおばんだい 1816m)の左側に小磐梯(こばんだい 大磐梯より数十メートル低い 噴火で崩壊し消失)があった。

休暇村裏磐梯から  朝、櫛ヶ峰(左側)と今日登る磐梯山(右側)が宿からきれいに眺められる。右側は丸山。  1888年(明治21年)の磐梯山噴火の岩屑(がんせつ)なだれが8㎞離れたここまできたと思うと、びっくりする。噴火前は、磐梯山(大磐梯 おおばんだい 1816m)の左側に小磐梯(こばんだい 大磐梯より数十メートル低い 噴火で崩壊し消失)があった。

標高1115m付近
 磐梯山ゴールドライン、こがね平。
 八方台登山口の駐車場はいっぱいで、こがね平に駐車して八方台まで車道を歩く。

標高1115m付近  磐梯山ゴールドライン、こがね平。  八方台登山口の駐車場はいっぱいで、こがね平に駐車して八方台まで車道を歩く。

標高1115m付近  磐梯山ゴールドライン、こがね平。  八方台登山口の駐車場はいっぱいで、こがね平に駐車して八方台まで車道を歩く。

こがね平
 説明文:磐梯山(爆裂噴口)
 磐梯山は那須火山帯奥羽山脈の磐梯朝日連峰に属し、標高1819mで、大磐梯(おおばんだい)・小磐梯(こばんだい)・赤埴山・櫛ヶ峰よりなる連山の総称であり、古くは秀麗な山容から会津小富士ともよばれていました。
 明治21年(1,888年)7月15日午前7時45分、磐梯山が突然大爆裂を起こしました。大磐梯・小磐梯・赤埴山・櫛ヶ峰のうち、小磐梯(約14億5千万m3、約30億トン)を一瞬のうちに吹き飛ばし、死傷者524人(内・死者477人)、被害面積約110k㎡の大被害を受けました。
 現在は、この大爆裂による大小300余の湖沼群発生等によって磐梯朝日国立公園となり、裏磐梯の美しい自然環境が、訪れる人の心に感動を与え続けています。
   福島県

こがね平  説明文:磐梯山(爆裂噴口)  磐梯山は那須火山帯奥羽山脈の磐梯朝日連峰に属し、標高1819mで、大磐梯(おおばんだい)・小磐梯(こばんだい)・赤埴山・櫛ヶ峰よりなる連山の総称であり、古くは秀麗な山容から会津小富士ともよばれていました。  明治21年(1,888年)7月15日午前7時45分、磐梯山が突然大爆裂を起こしました。大磐梯・小磐梯・赤埴山・櫛ヶ峰のうち、小磐梯(約14億5千万m3、約30億トン)を一瞬のうちに吹き飛ばし、死傷者524人(内・死者477人)、被害面積約110k㎡の大被害を受けました。  現在は、この大爆裂による大小300余の湖沼群発生等によって磐梯朝日国立公園となり、裏磐梯の美しい自然環境が、訪れる人の心に感動を与え続けています。    福島県

こがね平  説明文:磐梯山(爆裂噴口)  磐梯山は那須火山帯奥羽山脈の磐梯朝日連峰に属し、標高1819mで、大磐梯(おおばんだい)・小磐梯(こばんだい)・赤埴山・櫛ヶ峰よりなる連山の総称であり、古くは秀麗な山容から会津小富士ともよばれていました。  明治21年(1,888年)7月15日午前7時45分、磐梯山が突然大爆裂を起こしました。大磐梯・小磐梯・赤埴山・櫛ヶ峰のうち、小磐梯(約14億5千万m3、約30億トン)を一瞬のうちに吹き飛ばし、死傷者524人(内・死者477人)、被害面積約110k㎡の大被害を受けました。  現在は、この大爆裂による大小300余の湖沼群発生等によって磐梯朝日国立公園となり、裏磐梯の美しい自然環境が、訪れる人の心に感動を与え続けています。    福島県

八方台登山口 1194m
 八方台休息所、トイレ、広い駐車場がある。

八方台登山口 1194m  八方台休息所、トイレ、広い駐車場がある。

八方台登山口 1194m  八方台休息所、トイレ、広い駐車場がある。

八方台登山口
 説明文:磐梯山とブナ林
 1 磐梯火山の成り立ち
 磐梯火山は、磐梯山(大磐梯 おおばんだい)(1816m)、櫛ヶ峰(くしがみね 1636m)、赤埴山(あかはにやま 1430m)の三つの峰からなる成層火山です。磐梯火山の活動はおよそ70万年前に始まりました。古い時期の活動で、櫛ヶ峰や赤埴山を含んだ大きな山体が形成されました。その山体が崩壊した後、1~2万年前には大磐梯や小磐梯(こばんだい)を中心とした新しい山体ができ上がりました。さらに、1888(明治21)年の水蒸気爆発による噴火で小磐梯の峰が崩壊し、切り立った崖に岩肌が露出した爆裂火口が生じました(写真1)。この時に岩なだれによる川のせき止めで、桧原湖や五色沼を始めとする裏磐梯の湖沼群が誕生しました(図1)。

 2 ブナ林
 ブナは、樹齢600年をこえる木もあり、一般的に太い立派なブナができるのに300年以上かかると言われています。しかし、八方台からかつての湯治場である中ノ湯(写真2)までの登山道には、樹齢100年ほどの若いブナを中心とする林が見られます(写真3)。このブナ林は、1888年の噴火でブナをはじめとする多くの木々が爆風や飛んできた岩石で倒され、荒地となった跡から新たに育ったものです。そこでは、噴火を生きのび種をつけ、若いブナ林の親木となったと思われる巨木や老木にも会うことができます(写真4)。

【ブナの実】
 熟すと、イガイガがさけて種子が出る。
【ブナの葉】
 葉は波を打つようなギザギザがある。
【ブナの樹皮】
 白くて滑らかであるが、コケに似た地衣類がまだらにつく。

【中ノ湯】
 明治の噴火以前、磐梯山の中腹には、上ノ湯と中ノ湯と下ノ湯の3つの湯治場がありました。
 しかし、1888年の噴火により上ノ湯と下ノ湯は壊滅し、中ノ湯に宿泊していた人のうち数人だけが助かりました。その中の一人、新潟県から来ていた住職の鶴巻浄賢(つるまきじょうけん)は貴重な噴火体験を証言しています。
    磐梯山ジオパーク協議会

 鶴巻浄賢(本名 良尊):北側山腹にあった上ノ湯と下ノ湯の湯治客21人は全員死亡、中ノ湯の湯治客10名のうち5名(3名は鶴巻浄賢の同行者)が死亡した。新潟県から中ノ湯に湯治に来ていた来迎寺(らいこうじ)住職の鶴巻浄賢は負傷しながら奇跡的に生還し、後日、研究者の依頼に応じて噴火の詳細を書簡で送った。

八方台登山口  説明文:磐梯山とブナ林  1 磐梯火山の成り立ち  磐梯火山は、磐梯山(大磐梯 おおばんだい)(1816m)、櫛ヶ峰(くしがみね 1636m)、赤埴山(あかはにやま 1430m)の三つの峰からなる成層火山です。磐梯火山の活動はおよそ70万年前に始まりました。古い時期の活動で、櫛ヶ峰や赤埴山を含んだ大きな山体が形成されました。その山体が崩壊した後、1~2万年前には大磐梯や小磐梯(こばんだい)を中心とした新しい山体ができ上がりました。さらに、1888(明治21)年の水蒸気爆発による噴火で小磐梯の峰が崩壊し、切り立った崖に岩肌が露出した爆裂火口が生じました(写真1)。この時に岩なだれによる川のせき止めで、桧原湖や五色沼を始めとする裏磐梯の湖沼群が誕生しました(図1)。  2 ブナ林  ブナは、樹齢600年をこえる木もあり、一般的に太い立派なブナができるのに300年以上かかると言われています。しかし、八方台からかつての湯治場である中ノ湯(写真2)までの登山道には、樹齢100年ほどの若いブナを中心とする林が見られます(写真3)。このブナ林は、1888年の噴火でブナをはじめとする多くの木々が爆風や飛んできた岩石で倒され、荒地となった跡から新たに育ったものです。そこでは、噴火を生きのび種をつけ、若いブナ林の親木となったと思われる巨木や老木にも会うことができます(写真4)。 【ブナの実】  熟すと、イガイガがさけて種子が出る。 【ブナの葉】  葉は波を打つようなギザギザがある。 【ブナの樹皮】  白くて滑らかであるが、コケに似た地衣類がまだらにつく。 【中ノ湯】  明治の噴火以前、磐梯山の中腹には、上ノ湯と中ノ湯と下ノ湯の3つの湯治場がありました。  しかし、1888年の噴火により上ノ湯と下ノ湯は壊滅し、中ノ湯に宿泊していた人のうち数人だけが助かりました。その中の一人、新潟県から来ていた住職の鶴巻浄賢(つるまきじょうけん)は貴重な噴火体験を証言しています。     磐梯山ジオパーク協議会  鶴巻浄賢(本名 良尊):北側山腹にあった上ノ湯と下ノ湯の湯治客21人は全員死亡、中ノ湯の湯治客10名のうち5名(3名は鶴巻浄賢の同行者)が死亡した。新潟県から中ノ湯に湯治に来ていた来迎寺(らいこうじ)住職の鶴巻浄賢は負傷しながら奇跡的に生還し、後日、研究者の依頼に応じて噴火の詳細を書簡で送った。

八方台登山口  説明文:磐梯山とブナ林  1 磐梯火山の成り立ち  磐梯火山は、磐梯山(大磐梯 おおばんだい)(1816m)、櫛ヶ峰(くしがみね 1636m)、赤埴山(あかはにやま 1430m)の三つの峰からなる成層火山です。磐梯火山の活動はおよそ70万年前に始まりました。古い時期の活動で、櫛ヶ峰や赤埴山を含んだ大きな山体が形成されました。その山体が崩壊した後、1~2万年前には大磐梯や小磐梯(こばんだい)を中心とした新しい山体ができ上がりました。さらに、1888(明治21)年の水蒸気爆発による噴火で小磐梯の峰が崩壊し、切り立った崖に岩肌が露出した爆裂火口が生じました(写真1)。この時に岩なだれによる川のせき止めで、桧原湖や五色沼を始めとする裏磐梯の湖沼群が誕生しました(図1)。  2 ブナ林  ブナは、樹齢600年をこえる木もあり、一般的に太い立派なブナができるのに300年以上かかると言われています。しかし、八方台からかつての湯治場である中ノ湯(写真2)までの登山道には、樹齢100年ほどの若いブナを中心とする林が見られます(写真3)。このブナ林は、1888年の噴火でブナをはじめとする多くの木々が爆風や飛んできた岩石で倒され、荒地となった跡から新たに育ったものです。そこでは、噴火を生きのび種をつけ、若いブナ林の親木となったと思われる巨木や老木にも会うことができます(写真4)。 【ブナの実】  熟すと、イガイガがさけて種子が出る。 【ブナの葉】  葉は波を打つようなギザギザがある。 【ブナの樹皮】  白くて滑らかであるが、コケに似た地衣類がまだらにつく。 【中ノ湯】  明治の噴火以前、磐梯山の中腹には、上ノ湯と中ノ湯と下ノ湯の3つの湯治場がありました。  しかし、1888年の噴火により上ノ湯と下ノ湯は壊滅し、中ノ湯に宿泊していた人のうち数人だけが助かりました。その中の一人、新潟県から来ていた住職の鶴巻浄賢(つるまきじょうけん)は貴重な噴火体験を証言しています。     磐梯山ジオパーク協議会  鶴巻浄賢(本名 良尊):北側山腹にあった上ノ湯と下ノ湯の湯治客21人は全員死亡、中ノ湯の湯治客10名のうち5名(3名は鶴巻浄賢の同行者)が死亡した。新潟県から中ノ湯に湯治に来ていた来迎寺(らいこうじ)住職の鶴巻浄賢は負傷しながら奇跡的に生還し、後日、研究者の依頼に応じて噴火の詳細を書簡で送った。

標高1210m付近
 石祠に、山行の安全をお願いする。

標高1210m付近  石祠に、山行の安全をお願いする。

標高1210m付近  石祠に、山行の安全をお願いする。

標高1290m付近
 マイヅルソウ。

標高1290m付近  マイヅルソウ。

標高1290m付近  マイヅルソウ。

標高1290m付近
 クルマソウ。

標高1290m付近  クルマソウ。

標高1290m付近  クルマソウ。

標高1300m付近
 エンレイソウは実になっている。

標高1300m付近  エンレイソウは実になっている。

標高1300m付近  エンレイソウは実になっている。

標高1305m付近
 林を抜けると中の湯と山頂方向が見渡せる。
 左側奥に見えるはずの櫛ヶ峰と右側端の奧に見えるはずの磐梯山山頂は雲の中。

標高1305m付近  林を抜けると中の湯と山頂方向が見渡せる。  左側奥に見えるはずの櫛ヶ峰と右側端の奧に見えるはずの磐梯山山頂は雲の中。

標高1305m付近  林を抜けると中の湯と山頂方向が見渡せる。  左側奥に見えるはずの櫛ヶ峰と右側端の奧に見えるはずの磐梯山山頂は雲の中。

標高1300m付近
 中の湯。
 標識:← 弘法清水、→ 八方台登山口。

標高1300m付近  中の湯。  標識:← 弘法清水、→ 八方台登山口。

標高1300m付近  中の湯。  標識:← 弘法清水、→ 八方台登山口。

中の湯(廃屋)
 右側(写真の外)の祠付近からお湯が湧き出ている。

中の湯(廃屋)  右側(写真の外)の祠付近からお湯が湧き出ている。

中の湯(廃屋)  右側(写真の外)の祠付近からお湯が湧き出ている。

標高1300m付近
 ツマトリソウ。

標高1300m付近  ツマトリソウ。

標高1300m付近  ツマトリソウ。

標高1310m付近
 分岐。
 標柱:八方台登山口まで1.2㎞、裏磐梯登山口まで4.6㎞。

標高1310m付近  分岐。  標柱:八方台登山口まで1.2㎞、裏磐梯登山口まで4.6㎞。

標高1310m付近  分岐。  標柱:八方台登山口まで1.2㎞、裏磐梯登山口まで4.6㎞。

標高1310m付近
 アカモノ。

標高1310m付近  アカモノ。

標高1310m付近  アカモノ。

標高1400m付近
 階段も交えて、急な登りが続く。

標高1400m付近  階段も交えて、急な登りが続く。

標高1400m付近  階段も交えて、急な登りが続く。

標高1440m付近
 サラサドウダン。

標高1440m付近  サラサドウダン。

標高1440m付近  サラサドウダン。

標高1460m付近
 標柱:八方台登山口まで1.7㎞、弘法清水まで1.1㎞。
 次々と追い越され、下りて来るたくさんの人とすれ違う。

標高1460m付近  標柱:八方台登山口まで1.7㎞、弘法清水まで1.1㎞。  次々と追い越され、下りて来るたくさんの人とすれ違う。

標高1460m付近  標柱:八方台登山口まで1.7㎞、弘法清水まで1.1㎞。  次々と追い越され、下りて来るたくさんの人とすれ違う。

標高1470m付近
 タニウツギ。

標高1470m付近  タニウツギ。

標高1470m付近  タニウツギ。

標高1490m付近
 スダヤクシュ。

標高1490m付近  スダヤクシュ。

標高1490m付近  スダヤクシュ。

標高1520m付近
 白いサラサドウダン。

標高1520m付近  白いサラサドウダン。

標高1520m付近  白いサラサドウダン。

標高1590m付近
 ゴゼンタチバナ。

標高1590m付近  ゴゼンタチバナ。

標高1590m付近  ゴゼンタチバナ。

標高1600m付近(下山時撮影)
 分岐。
 標柱:八方台登山口まで2.5㎞、お花畑まで0.2㎞、弘法清水まで0.3㎞。

標高1600m付近(下山時撮影)  分岐。  標柱:八方台登山口まで2.5㎞、お花畑まで0.2㎞、弘法清水まで0.3㎞。

標高1600m付近(下山時撮影)  分岐。  標柱:八方台登山口まで2.5㎞、お花畑まで0.2㎞、弘法清水まで0.3㎞。

標高1630m付近
 マムシグサが他のきれいな花達に負けて目立たずたたずんでいる。

標高1630m付近  マムシグサが他のきれいな花達に負けて目立たずたたずんでいる。

標高1630m付近  マムシグサが他のきれいな花達に負けて目立たずたたずんでいる。

標高1635m付近
 弘法清水に着く。
 右側は、弘法清水 岡部小屋。

標高1635m付近  弘法清水に着く。  右側は、弘法清水 岡部小屋。

標高1635m付近  弘法清水に着く。  右側は、弘法清水 岡部小屋。

四合目弘法清水
 冷たくておいしい水が流れ出ている。
 磐梯山の山頂は五合目である。「富士山の標高が3776mに対し磐梯山は富士山の約半分の1816mなので、信仰の対象となっていた富士山を基準に考えて磐梯山の頂上を五合目とした」などの説がある。「同じく百名山の恵那山の頂上は二十合目」で、様々あっておもしろい。
 

四合目弘法清水  冷たくておいしい水が流れ出ている。  磐梯山の山頂は五合目である。「富士山の標高が3776mに対し磐梯山は富士山の約半分の1816mなので、信仰の対象となっていた富士山を基準に考えて磐梯山の頂上を五合目とした」などの説がある。「同じく百名山の恵那山の頂上は二十合目」で、様々あっておもしろい。

四合目弘法清水  冷たくておいしい水が流れ出ている。  磐梯山の山頂は五合目である。「富士山の標高が3776mに対し磐梯山は富士山の約半分の1816mなので、信仰の対象となっていた富士山を基準に考えて磐梯山の頂上を五合目とした」などの説がある。「同じく百名山の恵那山の頂上は二十合目」で、様々あっておもしろい。  

弘法清水
 櫛ヶ峰と北側へ延びる崩壊面。奧は、小野川湖(左側左)と秋元湖(左側右)。
 中央奧に見えるはずの吾妻連峰の山々は雲の中。

弘法清水  櫛ヶ峰と北側へ延びる崩壊面。奧は、小野川湖(左側左)と秋元湖(左側右)。  中央奧に見えるはずの吾妻連峰の山々は雲の中。

弘法清水  櫛ヶ峰と北側へ延びる崩壊面。奧は、小野川湖(左側左)と秋元湖(左側右)。  中央奧に見えるはずの吾妻連峰の山々は雲の中。

弘法清水
 お花畑方向を見下ろす。右側の岩峰は天狗岩。
 後ろは桧原湖。

弘法清水  お花畑方向を見下ろす。右側の岩峰は天狗岩。  後ろは桧原湖。

弘法清水  お花畑方向を見下ろす。右側の岩峰は天狗岩。  後ろは桧原湖。

弘法清水
 ミヤマオダマキ。

弘法清水  ミヤマオダマキ。

弘法清水  ミヤマオダマキ。

弘法清水
 バンダイクワガタ。

弘法清水  バンダイクワガタ。

弘法清水  バンダイクワガタ。

弘法清水
 磐梯山 弘法清水小屋。
 薄雲の山頂方向を見上げる。

弘法清水  磐梯山 弘法清水小屋。  薄雲の山頂方向を見上げる。

弘法清水  磐梯山 弘法清水小屋。  薄雲の山頂方向を見上げる。

弘法清水
 標柱:← 猪苗代登山口・渋谷登山口・川上登山口、→ 八方台登山口・裏磐梯登山口、磐梯山山頂まで0.5㎞。
 弘法清水から山頂に向けて、急な登りが始まる。

弘法清水  標柱:← 猪苗代登山口・渋谷登山口・川上登山口、→ 八方台登山口・裏磐梯登山口、磐梯山山頂まで0.5㎞。  弘法清水から山頂に向けて、急な登りが始まる。

弘法清水  標柱:← 猪苗代登山口・渋谷登山口・川上登山口、→ 八方台登山口・裏磐梯登山口、磐梯山山頂まで0.5㎞。  弘法清水から山頂に向けて、急な登りが始まる。

標高1700m付近
 ミネカエデ。

標高1700m付近  ミネカエデ。

標高1700m付近  ミネカエデ。

標高1730m付近
 左手に、磐梯山東面(沼ノ平側)の激しい崩壊を見ながら登る。

標高1730m付近  左手に、磐梯山東面(沼ノ平側)の激しい崩壊を見ながら登る。

標高1730m付近  左手に、磐梯山東面(沼ノ平側)の激しい崩壊を見ながら登る。

標高1730m付近
 ハクサンチドリ。

標高1730m付近  ハクサンチドリ。

標高1730m付近  ハクサンチドリ。

標高1800m付近
 山頂が見える。

標高1800m付近  山頂が見える。

標高1800m付近  山頂が見える。

標高1810m付近
 ミヤマキンバイ。

標高1810m付近  ミヤマキンバイ。

標高1810m付近  ミヤマキンバイ。

標高1810m付近
 磐梯山頂1819m 岡部小屋。

標高1810m付近  磐梯山頂1819m 岡部小屋。

標高1810m付近  磐梯山頂1819m 岡部小屋。

磐梯山1816.2m山頂
 磐梯明神の石祠。

磐梯山1816.2m山頂  磐梯明神の石祠。

磐梯山1816.2m山頂  磐梯明神の石祠。

山頂
 三等三角点(点名:磐梯)。

 三等三角点「磐梯」
 磐梯山山頂の三等三角点「磐梯」は明治37年(1904年)5月に設置されましたが、長年の風雨の浸食等により、三角点が亡失したため、「磐梯山三角点復旧支援会(代表:猪苗代山岳会)」の協力を得て、三角点の再設置を行いました。
   平成22年(2010年)10月
   国土交通省国土地理院

山頂  三等三角点(点名:磐梯)。  三等三角点「磐梯」  磐梯山山頂の三等三角点「磐梯」は明治37年(1904年)5月に設置されましたが、長年の風雨の浸食等により、三角点が亡失したため、「磐梯山三角点復旧支援会(代表:猪苗代山岳会)」の協力を得て、三角点の再設置を行いました。    平成22年(2010年)10月    国土交通省国土地理院

山頂  三等三角点(点名:磐梯)。  三等三角点「磐梯」  磐梯山山頂の三等三角点「磐梯」は明治37年(1904年)5月に設置されましたが、長年の風雨の浸食等により、三角点が亡失したため、「磐梯山三角点復旧支援会(代表:猪苗代山岳会)」の協力を得て、三角点の再設置を行いました。    平成22年(2010年)10月    国土交通省国土地理院

山頂から
 西方向。
 左側から、古城ヶ峰(左側)、猫魔ヶ岳(中央)、雄国山(右側)。これらの山に囲まれた雄国沼は、猫魔ヶ岳の裏側。
 アルツ磐梯スキー場(左側)と磐梯高原スキー場(右側)。
 右側奧に見えるはずの飯豊連峰の山々は雲の中。

山頂から  西方向。  左側から、古城ヶ峰(左側)、猫魔ヶ岳(中央)、雄国山(右側)。これらの山に囲まれた雄国沼は、猫魔ヶ岳の裏側。  アルツ磐梯スキー場(左側)と磐梯高原スキー場(右側)。  右側奧に見えるはずの飯豊連峰の山々は雲の中。

山頂から  西方向。  左側から、古城ヶ峰(左側)、猫魔ヶ岳(中央)、雄国山(右側)。これらの山に囲まれた雄国沼は、猫魔ヶ岳の裏側。  アルツ磐梯スキー場(左側)と磐梯高原スキー場(右側)。  右側奧に見えるはずの飯豊連峰の山々は雲の中。

山頂から
 北方向
 桧原湖(中央)と小野川湖(右側)。1888年(明治21年)の噴火では左右に見える崩壊面の幅で山体崩壊し桧原湖まで岩屑なだれが到達した。右側にあった小磐梯(磐梯山より数十メートル低い 噴火で崩壊し消失)を想像する。
 右端奧に見えるはずの西大巓、西吾妻山は雲の中。

山頂から  北方向  桧原湖(中央)と小野川湖(右側)。1888年(明治21年)の噴火では左右に見える崩壊面の幅で山体崩壊し桧原湖まで岩屑なだれが到達した。右側にあった小磐梯(磐梯山より数十メートル低い 噴火で崩壊し消失)を想像する。  右端奧に見えるはずの西大巓、西吾妻山は雲の中。

山頂から  北方向  桧原湖(中央)と小野川湖(右側)。1888年(明治21年)の噴火では左右に見える崩壊面の幅で山体崩壊し桧原湖まで岩屑なだれが到達した。右側にあった小磐梯(磐梯山より数十メートル低い 噴火で崩壊し消失)を想像する。  右端奧に見えるはずの西大巓、西吾妻山は雲の中。

山頂から
 北東方向。
 櫛ヶ峰。
 左側奥に見えるはずの吾妻連峰の山々は雲の中。

山頂から  北東方向。  櫛ヶ峰。  左側奥に見えるはずの吾妻連峰の山々は雲の中。

山頂から  北東方向。  櫛ヶ峰。  左側奥に見えるはずの吾妻連峰の山々は雲の中。

山頂から
 南方向。
 大きな大きな猪苗代湖。

山頂から  南方向。  大きな大きな猪苗代湖。

山頂から  南方向。  大きな大きな猪苗代湖。

山頂から
 東方向。
 左側から箕輪山(左側三角)、鉄山(中央)、矢筈森(右側)、安達太良山(右端突起)。(ズーム)

山頂から  東方向。  左側から箕輪山(左側三角)、鉄山(中央)、矢筈森(右側)、安達太良山(右端突起)。(ズーム)

山頂から  東方向。  左側から箕輪山(左側三角)、鉄山(中央)、矢筈森(右側)、安達太良山(右端突起)。(ズーム)

山頂から
 南東方向。
 沼の平(左側下)と赤埴山(右側下)。

山頂から  南東方向。  沼の平(左側下)と赤埴山(右側下)。

山頂から  南東方向。  沼の平(左側下)と赤埴山(右側下)。

標高1490m付近
 コケイラン。

標高1490m付近  コケイラン。

標高1490m付近  コケイラン。

標高1490m付近
 サンカヨウが実になっている。

標高1490m付近  サンカヨウが実になっている。

標高1490m付近  サンカヨウが実になっている。

八方台登山口
 どんどん下って八方台登山口に戻り、同行者の車でこがね平に送られて山行を終える。
 八方台登山口から晴れ渡った青空に山頂が見えて、ズームする。

八方台登山口  どんどん下って八方台登山口に戻り、同行者の車でこがね平に送られて山行を終える。  八方台登山口から晴れ渡った青空に山頂が見えて、ズームする。

八方台登山口  どんどん下って八方台登山口に戻り、同行者の車でこがね平に送られて山行を終える。  八方台登山口から晴れ渡った青空に山頂が見えて、ズームする。

耶麻郡北塩原村檜原小野川原 820m  休暇村裏磐梯に、前日泊する。

休暇村裏磐梯から  朝、櫛ヶ峰(左側)と今日登る磐梯山(右側)が宿からきれいに眺められる。右側は丸山。  1888年(明治21年)の磐梯山噴火の岩屑(がんせつ)なだれが8㎞離れたここまできたと思うと、びっくりする。噴火前は、磐梯山(大磐梯 おおばんだい 1816m)の左側に小磐梯(こばんだい 大磐梯より数十メートル低い 噴火で崩壊し消失)があった。

標高1115m付近  磐梯山ゴールドライン、こがね平。  八方台登山口の駐車場はいっぱいで、こがね平に駐車して八方台まで車道を歩く。

こがね平  説明文:磐梯山(爆裂噴口)  磐梯山は那須火山帯奥羽山脈の磐梯朝日連峰に属し、標高1819mで、大磐梯(おおばんだい)・小磐梯(こばんだい)・赤埴山・櫛ヶ峰よりなる連山の総称であり、古くは秀麗な山容から会津小富士ともよばれていました。  明治21年(1,888年)7月15日午前7時45分、磐梯山が突然大爆裂を起こしました。大磐梯・小磐梯・赤埴山・櫛ヶ峰のうち、小磐梯(約14億5千万m3、約30億トン)を一瞬のうちに吹き飛ばし、死傷者524人(内・死者477人)、被害面積約110k㎡の大被害を受けました。  現在は、この大爆裂による大小300余の湖沼群発生等によって磐梯朝日国立公園となり、裏磐梯の美しい自然環境が、訪れる人の心に感動を与え続けています。    福島県

八方台登山口 1194m  八方台休息所、トイレ、広い駐車場がある。

八方台登山口  説明文:磐梯山とブナ林  1 磐梯火山の成り立ち  磐梯火山は、磐梯山(大磐梯 おおばんだい)(1816m)、櫛ヶ峰(くしがみね 1636m)、赤埴山(あかはにやま 1430m)の三つの峰からなる成層火山です。磐梯火山の活動はおよそ70万年前に始まりました。古い時期の活動で、櫛ヶ峰や赤埴山を含んだ大きな山体が形成されました。その山体が崩壊した後、1~2万年前には大磐梯や小磐梯(こばんだい)を中心とした新しい山体ができ上がりました。さらに、1888(明治21)年の水蒸気爆発による噴火で小磐梯の峰が崩壊し、切り立った崖に岩肌が露出した爆裂火口が生じました(写真1)。この時に岩なだれによる川のせき止めで、桧原湖や五色沼を始めとする裏磐梯の湖沼群が誕生しました(図1)。  2 ブナ林  ブナは、樹齢600年をこえる木もあり、一般的に太い立派なブナができるのに300年以上かかると言われています。しかし、八方台からかつての湯治場である中ノ湯(写真2)までの登山道には、樹齢100年ほどの若いブナを中心とする林が見られます(写真3)。このブナ林は、1888年の噴火でブナをはじめとする多くの木々が爆風や飛んできた岩石で倒され、荒地となった跡から新たに育ったものです。そこでは、噴火を生きのび種をつけ、若いブナ林の親木となったと思われる巨木や老木にも会うことができます(写真4)。 【ブナの実】  熟すと、イガイガがさけて種子が出る。 【ブナの葉】  葉は波を打つようなギザギザがある。 【ブナの樹皮】  白くて滑らかであるが、コケに似た地衣類がまだらにつく。 【中ノ湯】  明治の噴火以前、磐梯山の中腹には、上ノ湯と中ノ湯と下ノ湯の3つの湯治場がありました。  しかし、1888年の噴火により上ノ湯と下ノ湯は壊滅し、中ノ湯に宿泊していた人のうち数人だけが助かりました。その中の一人、新潟県から来ていた住職の鶴巻浄賢(つるまきじょうけん)は貴重な噴火体験を証言しています。     磐梯山ジオパーク協議会  鶴巻浄賢(本名 良尊):北側山腹にあった上ノ湯と下ノ湯の湯治客21人は全員死亡、中ノ湯の湯治客10名のうち5名(3名は鶴巻浄賢の同行者)が死亡した。新潟県から中ノ湯に湯治に来ていた来迎寺(らいこうじ)住職の鶴巻浄賢は負傷しながら奇跡的に生還し、後日、研究者の依頼に応じて噴火の詳細を書簡で送った。

標高1210m付近  石祠に、山行の安全をお願いする。

標高1290m付近  マイヅルソウ。

標高1290m付近  クルマソウ。

標高1300m付近  エンレイソウは実になっている。

標高1305m付近  林を抜けると中の湯と山頂方向が見渡せる。  左側奥に見えるはずの櫛ヶ峰と右側端の奧に見えるはずの磐梯山山頂は雲の中。

標高1300m付近  中の湯。  標識:← 弘法清水、→ 八方台登山口。

中の湯(廃屋)  右側(写真の外)の祠付近からお湯が湧き出ている。

標高1300m付近  ツマトリソウ。

標高1310m付近  分岐。  標柱:八方台登山口まで1.2㎞、裏磐梯登山口まで4.6㎞。

標高1310m付近  アカモノ。

標高1400m付近  階段も交えて、急な登りが続く。

標高1440m付近  サラサドウダン。

標高1460m付近  標柱:八方台登山口まで1.7㎞、弘法清水まで1.1㎞。  次々と追い越され、下りて来るたくさんの人とすれ違う。

標高1470m付近  タニウツギ。

標高1490m付近  スダヤクシュ。

標高1520m付近  白いサラサドウダン。

標高1590m付近  ゴゼンタチバナ。

標高1600m付近(下山時撮影)  分岐。  標柱:八方台登山口まで2.5㎞、お花畑まで0.2㎞、弘法清水まで0.3㎞。

標高1630m付近  マムシグサが他のきれいな花達に負けて目立たずたたずんでいる。

標高1635m付近  弘法清水に着く。  右側は、弘法清水 岡部小屋。

四合目弘法清水  冷たくておいしい水が流れ出ている。  磐梯山の山頂は五合目である。「富士山の標高が3776mに対し磐梯山は富士山の約半分の1816mなので、信仰の対象となっていた富士山を基準に考えて磐梯山の頂上を五合目とした」などの説がある。「同じく百名山の恵那山の頂上は二十合目」で、様々あっておもしろい。  

弘法清水  櫛ヶ峰と北側へ延びる崩壊面。奧は、小野川湖(左側左)と秋元湖(左側右)。  中央奧に見えるはずの吾妻連峰の山々は雲の中。

弘法清水  お花畑方向を見下ろす。右側の岩峰は天狗岩。  後ろは桧原湖。

弘法清水  ミヤマオダマキ。

弘法清水  バンダイクワガタ。

弘法清水  磐梯山 弘法清水小屋。  薄雲の山頂方向を見上げる。

弘法清水  標柱:← 猪苗代登山口・渋谷登山口・川上登山口、→ 八方台登山口・裏磐梯登山口、磐梯山山頂まで0.5㎞。  弘法清水から山頂に向けて、急な登りが始まる。

標高1700m付近  ミネカエデ。

標高1730m付近  左手に、磐梯山東面(沼ノ平側)の激しい崩壊を見ながら登る。

標高1730m付近  ハクサンチドリ。

標高1800m付近  山頂が見える。

標高1810m付近  ミヤマキンバイ。

標高1810m付近  磐梯山頂1819m 岡部小屋。

磐梯山1816.2m山頂  磐梯明神の石祠。

山頂  三等三角点(点名:磐梯)。  三等三角点「磐梯」  磐梯山山頂の三等三角点「磐梯」は明治37年(1904年)5月に設置されましたが、長年の風雨の浸食等により、三角点が亡失したため、「磐梯山三角点復旧支援会(代表:猪苗代山岳会)」の協力を得て、三角点の再設置を行いました。    平成22年(2010年)10月    国土交通省国土地理院

山頂から  西方向。  左側から、古城ヶ峰(左側)、猫魔ヶ岳(中央)、雄国山(右側)。これらの山に囲まれた雄国沼は、猫魔ヶ岳の裏側。  アルツ磐梯スキー場(左側)と磐梯高原スキー場(右側)。  右側奧に見えるはずの飯豊連峰の山々は雲の中。

山頂から  北方向  桧原湖(中央)と小野川湖(右側)。1888年(明治21年)の噴火では左右に見える崩壊面の幅で山体崩壊し桧原湖まで岩屑なだれが到達した。右側にあった小磐梯(磐梯山より数十メートル低い 噴火で崩壊し消失)を想像する。  右端奧に見えるはずの西大巓、西吾妻山は雲の中。

山頂から  北東方向。  櫛ヶ峰。  左側奥に見えるはずの吾妻連峰の山々は雲の中。

山頂から  南方向。  大きな大きな猪苗代湖。

山頂から  東方向。  左側から箕輪山(左側三角)、鉄山(中央)、矢筈森(右側)、安達太良山(右端突起)。(ズーム)

山頂から  南東方向。  沼の平(左側下)と赤埴山(右側下)。

標高1490m付近  コケイラン。

標高1490m付近  サンカヨウが実になっている。

八方台登山口  どんどん下って八方台登山口に戻り、同行者の車でこがね平に送られて山行を終える。  八方台登山口から晴れ渡った青空に山頂が見えて、ズームする。

この活動日記で通ったコース

八方台往復コース

  • 04:40
  • 7.0 km
  • 729 m
  • コース定数 18

磐梯山ゴールドラインにある八方台(駐車場・トイレあり)を起点に、弘法清水(売店小屋あり)を経由して磐梯山頂上を往復するコース。