2000年3月4日,ソニー・コンピュータエンタテインメントが「プレイステーション 2」を発売した。

図1 プレイステーション 2の初代機 本格普及の前だったDVDプレーヤーとして利用できることが人気に拍車を掛けた。筐体のデザインは,VAIOシリーズのノート・パソコンなどを手掛けた後藤禎祐氏が担当した。
図1 プレイステーション 2の初代機 本格普及の前だったDVDプレーヤーとして利用できることが人気に拍車を掛けた。筐体のデザインは,VAIOシリーズのノート・パソコンなどを手掛けた後藤禎祐氏が担当した。 (画像のクリックで拡大)

 「これは大ネタだ――」。記者稼業をしていると何年かに一度,知った瞬間に心臓が高鳴るニュースに出くわす。その時がまさにそうだった。1998年11月に米国サンノゼで開かれた,「ISSCC(IEEE International Solid-State Circuits Conference) 1999」のプログラム発表会でのことである。配られた資料に目を通すと,ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)と東芝が,共同開発した250MHz動作のマイクロプロセサを発表する旨が記載されていた。

 「次世代プレステのチップがついに出た」。両社がプレイステーションの後継機に向けたマイクロプロセサを開発していることは知っていた(図1)。だからこそ,即座に確信できた。幸い,その場に10人ほどいた米国の記者たちはそのことに気付いていないようだ。プログラム委員会が用意したマスコミ向けの説明資料も,ゲーム機向けとは触れていなかった。緊張を周りに悟られないようにしながら,発表会場だったホテルの一室からそっと抜け出したことを昨日のことのように思い出す。取るものも取りあえず,廊下にあった公衆電話に小銭を入れて日本の編集部にコレクトコールをかけた。締め切り間際の次号にページを確保するためだ。こうして執筆した速報記事は,大反響を呼んだ。

3日で100万台を出荷

 「プレイステーション 2」(PS2)への搭載が後日正式に発表されたこのマイクロプロセサ「Emotion Engine」は,その巨大さで目を引いた。0.25μmルールで1350万トランジスタを集積した15mm角のチップは,民生機器向けとしては異例といえる規模だった。4Mバイトと大容量のDRAMを混載するグラフィックスLSI「Graphics Synthesizer」と組み合わせることや,これらのチップの製造ラインにSCEが総額1200億円を投じると発表したこともあって,「果たしてこれで採算が取れるのか」といぶかる声が少なからずあった。

 ふたを開けてみれば,PS2に対する消費者の期待は,こうした前評判を一蹴するのに十分だった。2000年2月にPS2の販売予約がインターネットで始まると,3万9800円という家庭用ゲーム機としては強気の値付けにもかかわらず,サーバーがダウンするほどアクセスが殺到した。結局,2000年3月4日の発売から3日間でSCEが販売したPS2は98万台に上った。

 半導体の集積度は指数関数的に増えていくという「ムーアの法則」の恩恵をPS2ほど端的に示した機器は,筆者には思い浮かばない。当初こそその大きさで話題となったEmotion EngineとGraphics Synthesizerは,半導体製造技術の微細化とともに毎年のようにシュリンクが進んだ。これに呼応するように,PS2の価格は2001年11月に2万9800円,2003年5月に2万5000円,同年11月に1万9800円といった具合に下がっていった。