奥山元松竹社長の“遺言”息子・和由氏が思い代弁

2009.11.30


奥山融氏【拡大】

 映画の老舗・松竹で映画界の変革に乗り出しながら“クーデター”のため表舞台から去り、今月7日に85歳で亡くなった同社元社長、奥山融(とおる)氏。奥山氏は死期が近いのを悟り、半生と映画界への提言を『物申す』と題した長文に書き上げていた。「親父が僕に全てを残してくれた」と、次男で映画プロデューサーの奥山和由氏が父への思いを語った。

 原稿用紙約1000枚に及ぶ“遺言”。父の死後、都内にある自宅書斎の机の上に置かれていた束を和由氏が見つけた。

 25枚に及ぶ序文は、《先づ、今回死にかけた事をお話します(原文ママ、以下同)》という書き出しで始まる。昨年9月13日の朝に急性心不全で緊急入院してから10日間、意識不明だったことや、約1カ月、食事を許されなかった入院生活が細かにつづられている。

 社長時代の1993年、冠状動脈に狭窄が見つかって以来、“病気の百貨店”と自嘲するほど次々に病魔に襲われた。「人一倍病気の話を嫌がった親父が病気の話を延々と書いていた。読み始めてすぐ、半端な覚悟で書いたのではないことが分かった」と和由氏。

 序文の後半は映画界がテーマ。担当医から「あなたは死にかけた」と言われ《猛然とこの世への執念が湧き出てきた。胸につかえている思いを存分に吐き出してスッキリしたい》と心境の変化を明かす。

 社長時代、低予算で斬新な映画を量産する「シネマ・ジャパネスク」や、97年に開館した日本初のシネコン「MOVIX六甲(神戸市)」、CSによる映画放送事業などを立ち上げた。《映画製作面に於ける周到な育成強化と環境づくりが疎かになり…》と、98年1月の解任事件につながった事態に悔悟をにじませつつ、《怨みがましい事を今更言ってどうなるものでもない。それよりも日本の映画界が辿りついている現状と将来の展望について率直に述べてみたい》と締めくくっている。

 和由氏は「親父と僕が挑戦してきたころと比べ、映画界は変わらないどころかますます先が見えなくなっている」と胸中を代弁。「親父から受け継いだ志をもって映画作りに挑む」と決意を新たにする。

 辞任後は中高年向けインターネット情報サイト「ベストライフ」を運営、最後までビジネスに意欲を燃やしていたという奥山氏。そして、“生みの親”が亡くなったのと歩調を合わせるように、MOVIX六甲は来年1月末で閉館する。(萩原和也)

 

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