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2024年1月2、3日に記念すべき100回を迎える東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝=読売新聞社共催)は、往・復路の計217・1キロ(往路107・5キロ、復路109・6キロ)で争われる。各区ではコース条件が変わり、勝負どころではいろいろな「坂道」が選手の前に立ちはだかって、いくつものドラマが生まれてきた。そんな「坂」を主なキーワードに各区を紹介する。(デジタル編集部)
1区(大手町~鶴見 21・3キロ) 勝負どころは「六郷橋」
レースの流れを大きく左右すると言われる1区には、チーム屈指のスピードランナーがそろう。都心のビル街を抜ける平坦なコースで走りやすく、集団からどこで飛び出すかの駆け引き、戦略が重要となる。
前半の7キロ過ぎ、品川駅を過ぎた新八ツ山橋の上り坂や18キロ付近、東京都と神奈川県の県境の多摩川にかかる六郷橋の下り坂はポイントになりそうだ。特に六郷橋は、渡る手前の上りか、橋を渡り終わっての下りのアップダウンがスパートのタイミングだ。ここから鶴見中継所までのスプリント勝負も見どころとなる。経験者いわく「区間賞を取れればいいが、まずは出遅れないこと」が肝要の区間だ。
2区(鶴見~戸塚 23・1キロ) 「権太坂」を越えた先に「戸塚の壁」
各校のエースが顔をそろえる「花の2区」は序盤の流れを作る重要な区間で「ごぼう抜き」も生まれやすい。
駅伝ファンにおなじみの「権太坂」は、14キロの「狩場町交差点」を過ぎた辺りから本格的な坂となり、約1・5キロを標高差で33メートルほど上る。ビル一階の高さを3メートルとすると、11階分を上ることになる。
ランナーは権太坂を走り切っても、気が抜けない。本当の試練はその先にあるからだ。20キロ付近から戸塚中継所までの3キロ区間は、近年は「戸塚の壁」と呼ばれる場所で、約1キロごとにアップ、ダウン、アップをしながら高低差40メートルを上り、特にラスト800メートルの急な上りでとどめを刺される。
1991年の第67回、早稲田大の1年生、櫛部静二選手(現・城西大監督)が体調不良のため、中継所まであと300メートルの場所で失速してふらふらになる、衝撃のシーンがあった場所だ。ハイペースで飛ばしていくスピード区間だけに、最後の3キロをしっかり上れた選手が真のエースの称号を手にする。
3区(戸塚~平塚 21・4キロ) 前半の緩やかな坂、足の負担がポイント
タスキを受けて、5キロ過ぎには遊行寺の下り坂から平坦な道へと続く。スピードがかなり出るので足への負担も見た目以上にあり、オーバーペースにならないことが後半の走りにつながる。茅ヶ崎市に入り、12キロ手前で市街地を抜けて海岸線に出ると富士山を正面に、相模湾を左に望む絶景だが、風が強いと一気に難易度が上がるし、晴れていれば強い日差しがランナーを苦しめる。素晴らしい景色を楽しむ余裕があるかどうか。
下ってから平坦というコースは、かつては「つなぎ」の区間とも言われ、経験の浅い1年生が起用されたものだが、最近はエース級が投入され、重要性が増した。カギとなる前半の長い下り坂でペースをコントロールしないと、後半が苦しくなる。
4区(平塚~小田原 20・9キロ) 10の橋を越える、クロカン風コース
箱根駅伝の平地区間で最も短い4区だが、10か所の橋を渡るなど小刻みなアップダウンが続く。さながらクロスカントリーを走っているかのようで「準エース区間」と呼ばれる。酒匂橋を渡り、残り3キロあたりから気温が下がり始め、中継所まで1キロを切ると箱根の山に続く上り坂が始まる。
5区の山登りに少しでも有利につなぐためにタイムを稼ぎたいが、疲労が蓄積しやすい複雑なアップダウンをリズム良く走り、最後のスパートにつなげられるかどうか。
93回大会から距離が2・4キロ延び、5区が短縮された。最後に坂が続くことになり、往路の終盤に向けた重要な区間だ。
5区(小田原~芦ノ湖 20・8キロ) 「神」が生まれる究極の上り
幾多の「山の神」のドラマが生まれた、言わずと知れた箱根の山登り。小田原中継所でタスキを受けたランナーは前傾姿勢で路面を黙々と踏みしめながら、曲がりくねった坂道を国道1号線最高点の標高874メートルの最高点まで「天下の険」を一気に駆け上がる。
コースのタフさに加え、山を登るにつれて気温も低くなっていくため、オーバーペースは禁物だ。コースの全体像を把握し、ペース配分するマネジメント能力が問われる。「山登り」で有名な区間だが、終盤の約4キロ、芦ノ湖に向けた下りに適応した走り方への切り替えも大きなポイントだ。
6区(芦ノ湖~小田原 20・8キロ) 「もう走れない」…身を削る下り坂
急な下り坂が続く6区。前傾姿勢で「転がり落ちるように」と表現する選手もいるほどだ。早朝、氷点下になろうかという寒さの中で芦ノ湖畔をスタートし、最初の約4キロは登り。標高874メートルの最高点を過ぎると今度は10キロ以上、曲がりくねった急坂を下る。
平均すると100メートルを16秒台前半というハイペースで走り下りていくので、平地では考えられないような体への負荷がかかり、まさに身を削る闘いだ。残り3キロの箱根湯本駅あたりからは、緩やかな下り坂が小田原中継所まで続くが、ここで脚が止まって苦しむ選手も多い。
7区(小田原~平塚 21・3キロ) 最初の緩やかな下り、飛ばしすぎると…
序盤は山からの冷たい風、後半は気温が上昇する時間帯で、気温差が激しくなりやすい区間だ。最初は緩やかに下るが、9キロ過ぎから後半は小刻みなアップダウンが続く複雑なコースだけに、前半で飛ばしすぎると後半に足が止まってしまう。ペース配分がレースのカギとなる。かつては、つなぎの区間とされていたが、近年では重要性も増して「復路の2区」と位置づける学校も多い。
レース終盤の大磯駅付近から平塚中継所までは、往路4区とは異なるJRの線路寄りのコースを走るため、全長は往路よりも400メートル長くなる。20キロ過ぎ、東海道をまたぐ大磯跨道橋を飛ばして走り切ることができれば、中継所は目の前だ。
8区(平塚~戸塚 21・4キロ) 難所は「遊行寺の上り坂」
前半は平坦な海岸線、後半は上りとなる。スタート後は海沿いの平坦な道がしばらく続くが、9キロ過ぎの浜須賀交差点(茅ヶ崎市)を左折して海に別れを告げるとやがて、9キロに及ぶ上りが待ち受ける。
特に15キロ付近で約700メートル続く「遊行寺の坂」(藤沢市)は、その直前にある坂とあわせた2段階の上りとなり、箱根山中に次ぐ難所と言われる。選手の忍耐力が問われる。
さらに戸塚中継所手前にも最後の坂が待ち受ける。後半の坂で失速しないよう、前半のオーバーペースに気をつけたい。レースは終盤に差し掛かり、下位のチームにはそろそろ繰り上げスタートも気になるところだ。
9区(戸塚~鶴見 23・1キロ) スタート直後の急な下り坂、逆転も演出?
復路区間の最長コース。「花の2区」を逆走する9区にもエース級の選手が集まる。戸塚中継所を出発してすぐに3キロ余り続く下り坂に入るが、起伏の多い長丁場の区間だけに、最初でオーバーペースにならないよう、スピードをコントロールできる走りが要求される。
選手起用次第では数分の差をひっくり返す逆転劇も起こりうる区間。下位チームの繰り上げスタートを巡るドラマが繰り広げられてきた鶴見中継所のタスキリレーまで目が離せない。
10区(鶴見~大手町 23・0キロ) 都心の目抜き通りから日本橋を渡って、ビクトリーラン
いよいよ最終区。中継所を出て多摩川にかかる六郷橋を渡れば、あとはほぼ平坦なコースだ。終盤は、1区でたどったコースを逆走するのではなく、日比谷通りを馬場先門で右折して京橋から日本橋に回り込む。このため、区間距離は1区より1・7キロ長くなる。
沿道の観衆に迎えられるビクトリーロード。往復217・1キロのレースは大詰めで、優勝争い、シード権争いはクライマックスを迎える。
大手町のゴールの100メートル余り手前には、2011年の大会でランナーがコースを外れ、慌てて戻って猛スパートでぎりぎりのところでシード権をもぎ取ったドラマで知られる場所があり、駅伝ファンの間では「寺田交差点」と呼ばれている。こちらは平坦なコースだが、駅伝ファンや当の選手、チームにとっては「まさか」の「さか」だった。