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激しく愛し、生きた――。作品に描いた女性たち同様、情熱のままに生きた瀬戸内寂聴さんが9日、99歳で亡くなった。作家、僧侶の枠にとどまらぬエネルギッシュな活動と発信力で、最晩年まで現役として活躍していたが、10月中旬から体調を崩して入院していたという。
原点にあったのは戦争体験だった。終戦を迎えたのは中国・北京。夫と故郷の徳島に引き揚げて初めて、母親が防空
悲しみと敗戦国の惨めさを味わう一方、日本は民主国家に生まれ変わり、「書きたかった小説を書いて、新しく生き直したい」との思いがわき起こる。学者だった夫の教え子と恋に落ち、「小説家になります」と告げて家を出た時、残した娘はまだ3歳。後に「戦争がなかったら、夫以外の人を好きになることも、娘を捨てることもなかった」と語った。
51歳、すでに売れっ子作家だった時の突然の出家は、公私ともに行き詰まった末の行動だった。「良い小説を書くため、文学の背骨になる思想が必要」というのが理由だ。「寂聴」の名を授けたのは、大僧正だった作家の
僧侶としての後半生は新たな境地に入る。京都・嵯峨野の自坊「
昨年2月以降、寂庵での法話の会はコロナ禍で中止。外出の機会は減ったものの、新聞や文芸誌の連載を続け、最近も秘書のインスタグラムでは、秘書の子供と一緒に遊ぶ写真などが公開されていた。
来年1月には、新潮社から「瀬戸内寂聴全集 第二期」が出版される予定だ。その内容を紹介する文章には、「私にとっては、生きることはひたすら書くことにつきます。(略)全巻を前に、ああ、もう死んでもいいとため息をついています」とつづられていた。