沿線点描【山陰本線】江津駅から益田駅(島根県)

赤い甍の家々を車窓に、砂浜と荒磯が織りなす石見路をゆく。

島根県の江津駅から、西の益田駅まで約60キロメートル。 紺碧の日本海、長々と続く白砂の浜、荒々しい断崖の磯…。 山陰本線でも屈指の海岸美を誇る沿線の絶景は、まさに爽快。 赤い石州瓦の家並みを眺めつつ石見路の風物を楽しんだ。

石見の海岸線は白砂あり、岩場の荒磯ありと、 車窓からの眺めに飽きることがない。 (岡見駅から鎌手駅)

赤い甍と白砂の渚が続く江津

江津市から浜田市まで続く石見海浜公園の砂浜と、石州瓦の赤い家並み。

 「中国太郎」の異名をもつ大河、江[ごう]の川は島根県西部の日本海に注ぎ込む。その河口にあるのが江津[ごうつ]で、「江の川の港」が地名の由来だ。古くから山陰と山陽を結ぶ舟運の要所で、江戸時代には北前船が寄港し、天領米の積出港として栄えた。

 江津駅から川沿いに南へ少し辿ると、この地方独特の赤い屋根瓦の古い家並みがある。「天領江津本町甍街道」と呼ばれる歴史地区で、 その佇まいは天領だった頃の名残を色濃く留めている。

 そんな江津の町を後に、2両編成の列車で西へと向かった。駅を離れるとすぐ左手に星の印のある山が見える。島の星山といい、平安時代に隕石が落ちたという言い伝えがあるそうだが、別名を「高角山[たかつのやま]」。万葉集ファンならすぐ柿本人麻呂の名歌『石見相聞歌[いわみそうもんか]』を口ずさむにちがいない。「石見のや 高角山の 木[こ]の間[ま]より 我が振る袖を 妹[いも]見つらむか」。

 人麻呂は『万葉集』の代表的歌人にして和歌の祖といわれ、石見の国庁での任期を終えて大和への帰路、この地の妻である依羅娘子[よさみのおとめ]との別れを惜しんで詠んだ歌である。内容は「妻の住む里のほうを何度も振り返ってみるけれど、山が立ちはだかってもう見えない。どうか山よ消え去ってくれないか」。その山が高角山である。

 車窓の右手には、白い砂浜が直線的に延々と続く。紺碧の色の日本海が見渡す限りに広がり、砂浜とのコントラストが実に鮮やかである。次々に車窓に現われる小さな浦々の漁村や船溜まりの、絵に描いたような風景についのんびりと見とれてしまう。この辺りは、世界的に評価される石見根付や、水瓶、壷で全国的に知られた石見焼の里でもある。

 長い砂浜は大崎鼻[おおさきばな]で一旦途絶え、そこから列車は海岸線から離れるが、岬を過ぎれば再び海岸部は石見海浜公園へと延々と続く。波子駅で途中下車し、西日本で唯一「シロイルカ」が見られる水族館「しまね海洋館アクアス」に立ち寄るのもいい。そして、その先には約1600万年前の姿をとどめる石見畳ケ浦のなんとも不思議な景観に出会える。海岸のいたるところにノジュールと呼ばれる坊主頭のような岩の瘤や奇岩が見られ、おびただしい数の古代の貝の化石を見ることができる。

「石見の甚五郎」といわれた清水巌を祖とする石見根付。根付とは、木や猪の牙に彫刻を施したもので、作品は海外でも高く評価されている。江津市に住する田中俊晞さんは、石見根付の技を唯一継承する根付師。

国の伝統的工芸品の指定を受ける石見焼。地元の良質な陶土を約1,300度で焼き上げたもので、耐久性に優れている。「石見のはんど」として、全国に親しまれる。(写真は石州宮内窯)

 江津駅から約30分ほどで列車は石見地方の中核都市、浜田に到着。駅前で「どんちっち神楽[かぐら]時計」が出迎えてくれた。

「しまね海洋館アクアス」は、約400種1万点の海の生物を展示。中でも、シロイルカの口から空気の輪を吐き出すパフォーマンス「幸せのバブルリング」は大人気。(写真提供: しまね海洋館 アクアス)

国の天然記念物に指定される石見畳ヶ浦。ここの地層は地質学的にも貴重で、「天然の博物館」と言われる。

「どんちっち」の浜田から人麻呂と雪舟ゆかりの益田へ

 「どんちっち」。石見神楽[いわみかぐら]のことを浜田の人はそう呼び、老若男女を問わず、みんな一緒になって神楽三昧。浜田に限らず、石見地方のどの町も神楽が町の文化で、生活の中に神楽がしっかりと根づいている。

磯の香りいっぱいの石見地方の郷土料理「ボベ飯」。「ボベ」とは、岩に張り付いている貝のこと。(撮影協力 : 植本家)

浜田駅前にある「どんちっち神楽時計」は午前8時から午後9時まで毎正時、5分間にわたり神楽囃子に合わせてからくりが作動する。演目は、石見神楽の中でも代表的な「大蛇(おろち)」だ。

 浜田駅を発った列車は市街地を過ぎると、ほどなくして海岸線に沿って走りはじめるが、それまでの穏やかな砂浜の風景とは一転 して、複雑に入り込んだリアス式海岸の際を行く。その後、列車はしばらく内陸部を走って三保三隅[みほみすみ]駅に着く。ここは1,300年の歴史を誇る「石州和紙」の里で、柿本人麻呂がその技術を伝えたという伝承が残る。石州和紙は伝統的工芸品に指定され、その中の石州半紙はユネスコの無形文化遺産に指定されている。

 岡見駅を過ぎて短いトンネルを抜けると、「うわっ」とおもわず声が出た。視界に飛び込んできたのは荒磯の絶景美。男性的な景観が連続的に続く。切り立った絶壁、眼下に切れ落ちた断崖。車窓から眺める眼下の海は深いエメラルドグリーンで、日射しにきらきらと照り輝いている。鉄道写真の愛好家の間で有名なのは、小さな青浦鉄橋を渡る列車の姿で、車窓からの眺めもこの沿線で指折りの絶景ポイントである。列車は複雑で荒々しい海岸を進むと、前方に長い砂浜が見えてくる。益田川の鉄橋を渡るとすぐ益田駅だ。

石州和紙伝統工芸士の久保田彰さんは、「強靭さが石州和紙の特徴。使う人の気持ちに近づき、要望に応えられる紙づくりをしていきたい」と話す。

石州和紙会館では、和紙製品の販売や紙漉き体験なども行っている。

断崖絶景の青浦鉄橋を渡る列車。(岡見駅から鎌手駅)

 益田は人麻呂と特にゆかりのある土地で、一説には人麻呂の出生地であり、高津川河口の沖にあった鴨島が終焉の地だという。ただ人麻呂は大歌人でありながら謎の多い人物で、実のところ確かな史実はない。とはいえ、石見の人々は親しみを込めて「ひとまろさん」と呼んで、慕い敬っている。

 町には人麻呂ゆかりの史跡が多く、高津柿本神社は全国にある柿本神社の総社として、人々の信仰を集めている。また益田は画聖といわれた雪舟が晩年を過ごし、その生涯を閉じた地でもある。萬福寺には史跡の雪舟庭園が残され、「雪舟の郷記念館」の敷地内には墓がある。

 石見の海岸線に沿った約60キロメートルの旅は、旅人の視線を捉えて離さない日本の美しい海岸線の風景を味わいつくす旅であった。

柿本人麻呂の霊を祀る高津柿本神社。全国の柿本神社の総社で、学問、農業、安産などの神として崇敬されている。

画聖雪舟によって作られた萬福寺の雪舟庭園。仏教の世界観である須弥山世界を象徴した石庭。

ページトップへ戻る
ローカルナビゲーションをとばしてフッターへ