立廻りが見どころのひとつになっている歌舞伎演目の中から、「極付幡随長兵衛」(きわめつきばんずいちょうべえ)の物語の概要と、立廻りの見どころをご紹介します。
作者 | 河竹黙阿弥(かわたけもくあみ)三代目河竹新七(かわたけしんしち)らにより改訂 |
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初演 | 1881年(明治14年)10月 |
「極付幡随長兵衛」は、通称「湯殿の長兵衛」(ゆどののちょうべえ)とも呼ばれる「世話物」です。主役の幡随長兵衛(ばんずいちょうべえ)は、日本の侠客(きょうかく:任侠を建前に世渡りする人物)の元祖とも言われ、江戸時代から弱きを助け強きをくじく庶民のヒーローとして扱われており、講談や映画、テレビ時代劇の題材などにもよく登場する人物です。
この長兵衛を取り上げた物の中でも決定版と言える作品として、「極付」(きわめつき)が付いたとされています。
江戸村山座の舞台での芝居の進行中に、客席で酔っぱらった中間(ちゅうげん)のことがきっかけに、ささいな喧嘩が起こります。この中間の主人・坂田金左衛門が中に入ったことから大事に。
それを見かねた侠客・幡随長兵衛が間に入って事なきを得ますが、桟敷で見物していた旗本・白柄組(しろつかぐみ)の水野十郎左衛門(みずのじゅうろうざえもん)は、自分の仲間の坂田の非を公衆の面前で指摘されたことから、長兵衛を深く恨むようになり、対立が続くのです。
舞台は変わり、長兵衛の家に水野家から招待の使者が来ます。表向きは水野からの和解の申し入れですが、長兵衛の子分たちは罠だからと止めます。
しかし長兵衛、「人に後ろを見せてはこれから人前に出られない。ましてこのあと、この世界で生きていく人間のためにならない。」と頑として聞き入れず、誘いを受けます。
長兵衛は妻子に別れを告げ、死を覚悟してただひとりで水野の屋敷へと乗り込むのです。
やはり待っていたのは、水野の策略。
水野の友人で白柄組の一員・近藤登之助(こんどうのぼりのすけ)らも合流して酒宴が始まり、その最中に「長兵衛がもとは武士だ」という噂話が飛び出し、長兵衛は「剣術の手並みを見せてほしい」とせがまれます。長兵衛は水野の家来や近藤と立会い、みごと打ち負かします。
そして再開された祝宴で水野はわざと長兵衛の袴に酒をこぼさせ、風呂を勧めて湯殿へと連れ出すのです。湯殿で浴衣1枚になった長兵衛に槍で襲いかかる水野とその家来達。それに素手で応戦する長兵衛。結果、長兵衛は命を落としますが、柔術を組み入れた立廻りが大きな見どころです。