「生産者の笑顔、お客さんの笑顔が自分のガソリンになる」と言う阿部さん=東京・中野
東京・中野の「青森です」店内。下北の商品など県産品がずらり

 東京や千葉県の商店街やイベント会場で期間限定の県産品直販店を出店する会社「青森生産者ふるさと会」(本社・青森市)。創設者で会長の阿部高志さん(56)は、県産リンゴなどの知られた商品から地元で話題の逸品まで、魅力的な県産品を首都圏で販売している。「店舗移動型のこんな業態は他にないでしょう」

 商店街の空き店舗を一定期間借りて店を開設、契約満了後は別な場所へ。「同時期に複数箇所で開くため年間累計800日程度は営業している」。店舗名「青森です」の認知度は高い。

 スタッフは社員とアルバイトで10人程度、ボランティアも多く、ほぼ青森県の関係者だ。地元でなければ入手困難な菓子、総菜など加工品を求める顧客らの声に応え、品ぞろえは約300種に増えた。店近くに住む都民が客の中心だったが「近年はSNS(会員制交流サイト)で商品の入荷を知り遠くから買いに来る本県出身者も多い」。阿部さんと顧客でつくるSNSの情報交換グループは、商品の感想やリクエストなどの書き込みで盛り上がっている。

 会社員時代、管理職よりも営業の現場の方が楽しかった。都内では小さな出店が集まる「マルシェ」(市場)が流行していた。リンゴの行商のように都内で県産品を売れないか-。阿部さんは退職するとそれまで培った地元生産者の縁で県産品を仕入れ、都内各所ののマルシェで売り歩いた。「これが今の仕事の基盤」

 2011年3月、東日本大震災の被災や原発事故の風評被害で青森県や東北の生産者は打撃を受けた。「苦しむ人たちの力になりたいと使命感に駆られた。被災した福島に行って農産物を買い付け、首都圏で販売した。これを3年続けた」

 この経験が今夏の下北豪雨災害で生きた。「ボランティアの女性から下北が大変だと聞き、血が熱くなった」。発災数日後に迂回(うかい)路で被災地付近に入り、道路不通で売り上げがなくなった土産品店、出荷できなくなった生産者から商品を買い付け、店で売り出した。この「青森下北復興市」コーナーは今も続く。「首都圏もコロナ禍で大変だが、下北の災害も見てほしい。復興をステップに下北産品の知名度向上、ブランド化を目指す」と意気込む。

 「やる気ある地元の人々と機動的に地場産品を売り出すのはやりがいがある」と阿部さん。一方で固定店舗を持たない業態は、開設場所の善しあしなどデメリットも少なくない。「失敗もある。でもそれを糧に慎重な経営を続ければいい。この業態に好機はまだまだあるはずだ」

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 <あべ・たかし 1965年青森市生まれ。市内の小、中、高校を経て東京の大学を卒業後、88年に大手飲料メーカーに入社。13年務めて退職し、2001年に農産品や加工食品の販売会社を設立。都内や千葉県の各地で期間限定・移動型の県産品直販店を運営中>