人情も味わう一杯飲み屋を満喫してみた・・・「レトロ」人気の韓国ソウル・乙支路地区 じわり再開発の波

2023年6月14日 16時00分

ソウルの乙支路で、鉄工などの町工場と、若者らに人気のカフェが共存する街並み(木下大資撮影)

 韓国の高度経済成長を支えた鉄工、建築、印刷などの零細業者が密集するソウルの乙支路ウルチロ地区は、都心部ながら古い町工場の情緒が残る。近年はじわじわと再開発の波に侵食されながら、レトロな街の空気感が若者や観光客を引きつけている。紀行作家の鄭銀淑チョンウンスクさん(55)と変わりゆく街を歩いた。(ソウルで、木下大資)

◆「クモンカゲ(穴の店)」で頼んだおつまみは・・・

 町工場が多いのは地下鉄2号線の乙支路3街サムガ4街サガ駅の周辺。かつて朝鮮戦争で荒廃してバラック街が形成され、再建のため集まった、さまざまな業者たちが1960〜70年代の高度成長に貢献した。
 韓国の食文化や下町情緒を紹介する著作が多い鄭さんは、来韓する日本人読者からツイッターを通じて予約を募り、「ソウル大衆酒場めぐり」と題して案内している。夕方の少し早い時間に乙支路4街駅で待ち合わせ、はしごしながら飲み歩こうと約束した。
 迷路のような路地に分け入ると、あちこちから金属加工や印刷機の音が響く。街角に、簡易なテーブルといすを備え、酒や食料品を並べた売店が点在する。ネズミの巣のように狭いという意味合いで「クモンカゲ(穴の店)」と呼ばれ、街で働く労働者らが一杯飲む空間になっている。
 その一つ「大福テボク商会」に入った。ポンテギ(蚕のさなぎ)の缶詰をスープ風に調理してもらい、まずは瓶ビールで乾杯。メニューはなく「店内にあるものを頼む」というスタイルだ。

ソウルの乙支路で、つまみの缶詰などが並ぶ「大福商会」の店内。左は鄭銀淑さん(木下大資撮影)

 地元の人とおぼしき年配の男性客が次々に訪れ、客の回転は速い。鄭さんは「農作業の合間にマッコリを飲むように、肉体労働者には休憩時間に軽く飲酒する習慣があった。90年代以降はかなりなくなった文化だが、この街には今も残っている」と解説する。

◆3軒目でおじさん2人組に声を掛けられ

 2軒目は、案内されないと見過ごしてしまうような外観の「ヒョン食品」。建物は日本の植民地時代からあるという。切り盛りするチェユンヒさん(72)は「一番景気が良かったのは私たちが入居した80年代。竜山ヨンサンに電子街ができて、そっちに移った人も多かった」。最近は周辺でもしばしば再開発計画が発表され、すでにフェンスで囲われ更地になった区画が目につく。「もう年だし、よそに移転してまで続けることは考えていない」と崔さん。

ソウルの乙支路で、「ヒョン食品」で飲酒しながら談笑する常連客ら。建物は日本統治時代からあるという(木下大資撮影)

 そんな中、歴史ある街のたたずまいが若者らに交流サイト(SNS)を通じて再発見され、乙支路に「新しく個性が強い」を意味する英単語「ヒップ」を掛け合わせた「ヒップチロ」という通称も生まれた。鄭さんは以前から韓国人の人情が息づくクモンカゲの常連だったが、入りにくくなるほど混雑するようになった店もあるという。
 鉄工の町工場が並ぶ路地に面した古めかしいビルに「乙支精密 カフェ&バー」というネオン看板があった。階段を上ると、コンクリート打ち放しの空間に日本の70〜80年代のシティーポップが流れ、若者らでにぎわっていた。経営する朴宰民パクジェミンさん(43)によるとビルは築60年超で、唯一無二の雰囲気に引かれてカフェに改装した。「いつまで続けられるか分からないが、再開発でいずれ消えていく空間だからこその魅力がある」
 68年に造られ、ソウル市が前市長の時代に再生させた住商複合施設「世運商街セウンサンガ」を通り抜け、3軒目のクモンカゲに移動。鄭さんとコルベンイ(ツブ貝)をつまみにマッコリを飲んでいると、隣席のおじさん2人組に声を掛けられた。カラオケ合戦になり、取材を忘れて杯を傾けた。最初はとっつきにくい感じがした町工場の風景に、いつの間にか親近感が湧いていた。

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