常識破って結果を出した、看護師のスキルで人を探す山岳遭難捜索チーム代表・中村富士美さんの「戦場」

2023年6月3日 11時30分
<山にまつわるエトセトラ⑦>
3月に「すごい女性がいる」と、世界の8000m峰全制覇を目指す看護師登山家の渡辺直子さんをこのコラムでご紹介しましたが、またまた山に関わるすごい看護師さんにお話を伺うことができました。
4月半ばに新潮社から上梓された「『おかえり』と言える、その日まで 山岳遭難捜索の現場から」の著者・中村富士美さん(45)。2人の子どもを持つ看護師であると同時に、民間の山岳遭難捜索チーム「LiSS」の代表を務めるスーパーママさんです。

深い山中で捜索中の中村富士美さん(本人提供)

看護師ならではの視点で、山から帰ってこなかった人を探し、その家族をサポートする。その手法とは? 捜索のプロから登山者に伝えたいメッセージとは? キーワードは「プロファイリング」、そして「迷ったら山を下らない」―。「苦しんでいる人を助けたい」という情熱とともに、発想の転換の大切さを教えてもらいました。(デジタル編集部・竹村和佳子)

◆看護師なら誰でも日常的にやっている

巨大な荷物を背負って何日も山中を歩き、人を背負ってロープで岸壁を登り…。そんな山岳救助隊の訓練を取材したことがあったため、屈強な姿を思い浮かべていたら、インタビュールームに現れたのは細く小柄な女性。きびきびした明るい話し方に、むかし記者の亡父が入院していた病院でお世話になった看護師さんを思い出した。

笑顔の素敵な中村さん=東京都新宿区で

6つの遭難事件について、それぞれ遭難者を発見するまでの軌跡を描いたこの本を読んで、ぜひ中村さんに話を聞いてみたいと思ったのは、そのちょっと変わった捜索方法に興味を持ったからだ。本に出てくる具体例を紹介すると…
・小学生が遠足で登るような山なのに、山のプロたちがどんなに探しても見つからなかった迷い道を「素人目線」で見つけると、その先には2つのご遺体が…。
・遭難女性の友人が持っていた1枚の写真から道を間違えたきっかけを推理し、まったく方向が違う別の山で発見。

「『おかえり』と言える、その日まで 山岳遭難捜索の現場から」(中村富士美著 新潮社・1400円)

・テントに下着を干したまま行方不明になった男性。その周辺を2カ月探しても見つからなかったが、中村さんは男性の妻から聞いた家でのルーティンをヒントにテントは今回の山行とは関係がないと見抜き、別の山を探したところ…。
いずれも人が亡くなっている実話で、このような言い方をしては不謹慎かも知れないが、発見に至る筋道は推理小説のような面白さで引き込まれた。中村さんの独特な捜索方法は、看護学校時代に習った「プロファイリング」の応用だという。
「同業者(看護師仲間)からは『アレを使ったの?でも、納得できる』ってよく言われます。看護師は日常的にやっている、あまり特別感のない事なんですけどね」

◆小さなピースを集めてパズルを埋めていく

看護学校で学ぶプロファイリングは、患者の細かい情報を1枚の紙に書き込んでいって、その人の全体像を探る手法だ。患者それぞれに合わせた看護の仕方や、退院後の社会復帰について検討する材料にするのだという。
捜索の現場で中村さんは、遭難した人の家族構成や性格、癖、登山歴や職業、登山以外の趣味、家族と交わした会話など、看護現場でのプロファイリングと同じように詳細な情報を集めていく。

看護学校で学んだ「プロファイリング」を遭難捜索にも応用しているという中村さん

「看護師として聞くのとは違う聞き方、見方なんですけど、遭難だったらこういうところが必要だよな、って。最初は小さなピースを集めていって、パズルのように埋めていくと、次第に大きな絵になって『こういう人なんだね』というのが見えてくる」
警察や消防などによる山岳救助隊は、管轄している山域の危険箇所を熟知しており、過去に滑落や道迷いが起きた事故現場を中心に探していくのが一般的な捜索方法なのだという。
中村さんが山岳捜索に関わり始めた頃、なかなか対象が見つからず「なんでだろう」と悩んだ時期があった。救助隊のやり方で見つからないなら別の方法はないか、場所から探してダメなら人からアプローチしてみたら…。発想を転換したとき、思い出したのが「プロファイリング」だった。
「やってみたら意外にはまった。実際見つかったりもしたので、これは使えるのかもしれないと思ったんですね。我々以外は、あまりやっていないんじゃないでしょうか」。独自の方法に手応えをつかみ、やがて独立して「LiSS」を立ち上げることになる。

◆家族の苦しみに寄り添い、支える

「LiSS」の正式名称は「MOUNTAIN LIFE SEARCH AND SUPPORT」。SEARCH(探す)はもちろん、SUPPORT(支える)も大きな柱になっている。支える対象は、山岳遭難者の捜索を依頼してきた家族だ。

滝つぼの中をカメラで探している中村さん(本人提供)

依頼が寄せられるタイミングは、遭難直後から1カ月以上経過してからなどさまざまだ。朝、「行ってきます」と普通に出かけた家族が帰ってこない戸惑い、長期にわたって発見されないことへの不安やいらだち、逆に遺体が見つかる事で愛する家族の死が確定することへの恐れ…など、家族の心境も複雑である。
その残された家族のメンタルケアを、中村さんはとても大事にしている。「プロファイリングはご家族のケアにもつながっています。情報を引き出すためには家族としっかり対峙たいじして信頼関係をつくらないといけない。こちらの考えを主張するだけでは信頼関係を築けない。何が問題になっているのか、どこが不安なのか、いらだちも含め、とにかく話を聞くことが一番と思っています」。苦悩する人々に寄り添う姿勢は、看護師・中村さんの原点でもある。

◆紛争地で活動する医療者の姿を見て憧れ

中村さんが看護師を目指したきっかけは、小学4年生の時にテレビで見たベトナム戦争のドキュメンタリー番組だ。戦場で活動する医療者の姿が印象に残り「私もこういうことをやりたい。痛がっている人、苦しんでいる人の側で何か出来ないかと思った」と、国境なき医師団のような紛争地での看護に憧れを持った。
20代で2人の子どもを産み育てながら、看護師としては主に救急救命センターでキャリアを積み、山の事故で搬送されて来る人もたくさん見てきた。「どうして山でケガをするんだろう?」と漠然と感じていた疑問を、山岳救助に関わる知り合いに聞いたところ、「百聞は一見にしかず。山に登ってみましょう」と言われ、登山を始めた。

◆偶然遭遇した要救助者、思い出した原点

2012年、当時30代半ばだった中村さんは、日本第2の高峰で南アルプスの主峰・北岳に挑んだ。無事登頂し下山する途中で、けがをしている人に遭遇した。聞けば、転倒して動けなくなっているとのこと。同行の友人が救助のヘリコプターを呼んだと言うが、2人は慣れないことに気が動転し、何をしていいのか分からないような状態だった。

日本第2位の北岳(中央)。左奥に見えているのは富士山=仙丈ヶ岳山頂から撮影

看護師として「なにか手伝えることはないか」と声を掛け、ケガの状態(後に足首の骨折と判明した)を確認し、楽な姿勢をとらせたり、救助隊のヘリコプターを誘導したりした。
夢中で救助活動を手伝ううちに、小学生の頃にテレビで見た戦場の看護師の映像と、山で人を救おうと格闘する自分の姿が結び付いた。考えてみれば、そもそも山登りを始めたきっかけも、医療現場で山岳事故による負傷者を目の当たりにしたことだった。
「あ、こうやってけがは起こるのか、と知って原点回帰というか、元々病院の外で活動する医療者になりたかった、それを思い出してしまった。私がやりたい事ってこういうことかもって思ったんです」
一方、初めて山岳救助の現場に直面して「できたこともあったけど、できていなかったこともあった」と痛感。医療や登山の専門知識や技術を習得することを決意し、2017年には日本に24人(22年現在)しかいない国際山岳看護師の資格を取得し、18年に「LiSS」を立ち上げた。
記者も年に70日前後は山に登っているが、山中で要救助者やご遺体に遭遇したことなどない。中村さんは山岳遭難の世界にかかわるべく、何かに導かれていたのでは…と思わずにはいられない。

◆約5年半で35件の活動、3年かかった案件も

LiSSには10人前後が所属する。全員が医療関係者や山岳ガイドなど他に仕事を持っており、中村さんも非常勤ながら普段は病院で勤務している。中には月〜金曜日は本業があり、土日しか参加できない人もいるが、依頼が入ると、活動できる人でスケジュールを組む。
「大勢の隊員が列をなして山に入っていく…そんなイメージを持っている人が多いですが、うちは少数精鋭なんで。2人一組でそれが数組、あまり目立たないようにごそごそって山に入る感じです」。山中での捜索以外に、遭難者の家族を訪れて直接話を聞くこともある。

登山道から外れ道もない藪をかき分け捜索する中村さん(本人提供)

2018年の立ち上げからこれまで約5年半で受けた依頼は計35件に上る。積雪で捜索できない時期を除けば、年間を通して常に案件を抱えている状態だという。捜索2日目で無事を確認できたこともあれば、遺体の一部を見つけるまで3年を要したこともある。時間がかかるほど発見は困難になる。

◆捜索費用は家族の負担、山岳保険の備えを

遭難捜索にはばくだいな費用がかかりそう…ドラマなどから、そんなイメージを持っている人は多いのではないだろうか? 警察などの公的機関の1次捜索は基本的に無料(一部有料の自治体もある)だが、捜索が打ち切られた後に頼む民間の救助隊は有料だ。ある山岳保険のサイトでは「民間ヘリに捜索・救助を依頼すると、運航費用は一般的に1時間あたり約50万円」としている。
LiSSでは捜索隊員の日当3~5万円に交通費や山小屋宿泊費などがかかる。二次遭難を避けるために活動は2人一組で行い、日当だけでも最低で1日6万円。仮に2組で10日も捜索すれば軽く100万円は超えてしまう。

大きなザックを背負い山を見渡す中村さん。ヘルメットをかぶり、腰にはクライミングなどに使うカラビナやロープなどが多数ぶら下がっている(本人提供)

日当を高いと感じる人もいるかもしれないが、岩登りやロープワークなど特殊技術が必要で、探す方も命の危険がある現場となればやむを得ないだろう。日当と実費のみとはいえ、発見までにどのくらいの日数がかかるか分からない。山岳保険に入っていれば数百万円までまかなえるが、見つからない時、いつ捜索を打ち切るかを決めるのは残された家族。精神的にも金銭的にも大きな負担だ。
だからこそ、中村さんは家族の決断とサポートを大事にする。「私たちが諦めることはありません」。なぜなら、捜索し尽くしたと思われた状況からでも発見した経験があるから…。家族との再会を願う人がいる限り、中村さんは小さな体で道なき道を駆け巡り、今も誰かを探している。
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