西城秀樹さん逝く 63歳 脳梗塞から懸命リハビリ、現役貫く

[ 2018年5月18日 05:30 ]

死去した西城秀樹さん
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 「傷だらけのローラ」「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」などのヒット曲で知られる歌手の西城秀樹(さいじょう・ひでき、本名木本龍雄=きもと・たつお)さんが16日午後11時53分、急性心不全のため横浜市内の病院で死去した。63歳。広島県出身。日本で初のスタジアムコンサートを開くなど、音楽界に数々の功績を残した。2度の脳梗塞で倒れても、懸命なリハビリでステージ復帰。最期まで「現役歌手」にこだわった。

 西城さんは誕生日翌日の先月14日、栃木県足利市で開かれた「同窓会コンサート」に出演。同19日に都内でコンサートを鑑賞し、元気そうに階段を歩くなど笑顔を見せていた。体調が一変したのは同25日。自宅で家族と団らん中に意識を失い、救急搬送され入院。今月16日に容体が急変し、家族が見守る中、静かに息を引き取った。

 入院した際は「余命は1週間、長くても10日」と医師から宣告を受けた。意識が戻ることはなかったものの、美紀夫人(45)の献身的な看病に支えられ、西城さんは驚異的な忍耐力で22日間生きた。関係者は「時折、反応することがあった。家族のために頑張っていたんだと思う」と振り返った。

 病魔との闘いは15年間に及んだ。48歳だった03年6月に最初の脳梗塞を発症。韓国での公演中にろれつが回らなくなり、帰国後に緊急入院した。原因は、極端なダイエットと水分を取らずにサウナに入り続けたこと。正しく発音できなくなる「構音障がい」が残った。

 懸命なリハビリで発症から1年半後にステージに復帰したが、11年12月に再発。右半身にまひが残った。それでも「勇気を与えたい」とステージに立ち続けた。満足に歌えない中、自らに言い聞かせたのは「諦めない」という言葉。最初の脳梗塞は結婚からわずか2年後。17年間の結婚生活のほとんどで闘病していたが、夫人と3人の子供が支えだった。

 高校時代に広島のジャズ喫茶でスカウトされ上京。72年にアイドル歌手としてデビューし、同世代の野口五郎(62)、郷ひろみ(62)とともに「新御三家」と呼ばれた。情熱的なパフォーマンスで「傷だらけのローラ」「ギャランドゥ」などヒット曲を連発。代表曲「YOUNG MAN(ヤングマン)」はアルファベット「YMCA」を両手で表す振り付けが話題を集め、大ヒットとなった。ハウス食品「バーモントカレー」のCMでは「ヒデキ、カンゲキ!」などのセリフでお茶の間の人気者になった。

 最後のコンサートになった同窓会コンサート。ファンの“ヒデキコール”で出迎えられたステージで、人生最後に歌ったのは「ヤングマン」。共演者と観客の大合唱となり、西城さんはうれしそうに笑顔を見せていた。最期までステージを愛した男だった。

 ◆西城 秀樹(さいじょう・ひでき、本名木本龍雄=きもと・たつお)1955年(昭30)4月13日生まれ、広島市出身。中学時代からバンド活動を始めた。72年「恋する季節」でデビュー。キャッチフレーズは「ワイルドな17歳」。「ちぎれた愛」「傷だらけのローラ」で日本レコード大賞歌唱賞受賞。NHK紅白歌合戦には18回出場した。

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