ジャンプの笠谷幸生さん死去 72年札幌「日の丸飛行隊」 冬季五輪日本勢初「金」

1972年札幌冬季五輪のスキー・ジャンプ70メートル級で表彰台を独占した(左から)2位の金野昭次さん、優勝した笠谷幸生さん、3位の青地清二さん  =宮の森
1972年札幌冬季五輪のスキー・ジャンプ70メートル級で表彰台を独占した(左から)2位の金野昭次さん、優勝した笠谷幸生さん、3位の青地清二さん  =宮の森

1972年札幌冬季五輪スキー・ジャンプ70メートル級(現ノーマルヒル)で表彰台を独占した「日の丸飛行隊」の一員で日本人初の冬季五輪金メダリストとなった笠谷幸生(かさや・ゆきお)さんが23日午前7時35分、虚血性心疾患のため札幌市の病院で死去した。80歳。北海道出身。葬儀は近親者で行った。喪主は妻則子(のりこ)さん。後日お別れの会を開く。

北海道の余市高(現余市紅志高)から進んだ明治大時代の64年、インスブルック五輪に出場。ニッカウヰスキー入社後は70年世界選手権70メートル級で2位になるなど、力強い踏み切りと美しい空中姿勢を武器に活躍した。

1972年札幌冬季五輪で金メダルを獲得した宮の森ジャンプ競技場で、取材に応じる笠谷幸生さん=2021年11月、札幌市
1972年札幌冬季五輪で金メダルを獲得した宮の森ジャンプ競技場で、取材に応じる笠谷幸生さん=2021年11月、札幌市

札幌五輪のシーズンは、年末年始恒例のジャンプ週間で3連勝。しかし国内戦のために最終戦を欠場し、本場欧州で物議を醸した。日本オリンピック委員会(JOC)理事として10年バンクーバー五輪で日本選手団副団長。18年に文化功労者に選ばれた。

1972年札幌冬季五輪のスキー・ジャンプ70メートル級で優勝した笠谷幸生さん=宮の森
1972年札幌冬季五輪のスキー・ジャンプ70メートル級で優勝した笠谷幸生さん=宮の森
1972年2月6日、札幌冬季五輪70メートル級ジャンプで金メダルを獲得した笠谷幸生さん =札幌市の宮の森ジャンプ競技場
1972年2月6日、札幌冬季五輪70メートル級ジャンプで金メダルを獲得した笠谷幸生さん =札幌市の宮の森ジャンプ競技場
1972年2月6日、札幌冬季五輪70メートル級ジャンプで金メダルを獲得した笠谷幸生 =札幌市の宮の森ジャンプ競技場
1972年2月6日、札幌冬季五輪70メートル級ジャンプで金メダルを獲得した笠谷幸生 =札幌市の宮の森ジャンプ競技場
1972年札幌冬季五輪スキー・ジャンプ70メートル級で金メダルを獲得し、肩車される笠谷幸生さん =宮の森
1972年札幌冬季五輪スキー・ジャンプ70メートル級で金メダルを獲得し、肩車される笠谷幸生さん =宮の森
1972年2月6日、札幌冬季五輪スキージャンプ70メートル級でメダルを独占した日の丸飛行隊。左から青地清二さん(銅メダル)、笠谷幸生さん(金メダル)、金野昭次さん(銀メダル) =札幌市の宮の森ジャンプ場
1972年2月6日、札幌冬季五輪スキージャンプ70メートル級でメダルを独占した日の丸飛行隊。左から青地清二さん(銅メダル)、笠谷幸生さん(金メダル)、金野昭次さん(銀メダル) =札幌市の宮の森ジャンプ場
1972年札幌冬季五輪のスキー・ジャンプ90メートル級を飛ぶ笠谷幸生さんと満員の観客席 =大倉山
1972年札幌冬季五輪のスキー・ジャンプ90メートル級を飛ぶ笠谷幸生さんと満員の観客席 =大倉山
1972年札幌冬季五輪のスキー・ジャンプ90メートル級で、美しいフォームで飛ぶ笠谷幸生さん=大倉山
1972年札幌冬季五輪のスキー・ジャンプ90メートル級で、美しいフォームで飛ぶ笠谷幸生さん=大倉山
笑顔でインタビューに答える笠谷幸生さん =2013年8月、札幌市中央区
笑顔でインタビューに答える笠谷幸生さん =2013年8月、札幌市中央区

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