勇気の系譜

冨田洋之さん(上) 重圧の中 体操王国復活かけ演技

【勇気の系譜】冨田洋之さん(上) 重圧の中 体操王国復活かけ演技
【勇気の系譜】冨田洋之さん(上) 重圧の中 体操王国復活かけ演技
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 東京五輪の開幕まで約7カ月。日本のお家芸といわれる「体操」が近年の五輪で強烈な輝きを放ったのは、2004年アテネ五輪だった。

 同年8月16日、体操男子団体総合決勝が開催されたオリンピックインドアホール。渦巻く歓声が静寂に変わり、やがて歓喜に包まれた。

 「金メダルの演技だ」

 日本のエース、冨田洋之は冷静でありながら、興奮していた。日本の悲願のただ中に立っている手応えがあった。

  遡(さかのぼ)ること4年前-。1996年アトランタ五輪でリポーターを担当したNHK解説主幹の刈屋富士雄(59)は、他国のコーチにこう声をかけられた。「体操ニッポンの日は沈んだ。二度と昇ることはない」。低迷が続く日本はこの大会、男子団体総合で日本史上最悪の10位と惨敗を喫していた。

 ロシア語だったので何を言われたか分からず、僕はにこにこ笑っていましたが、通訳から「ひどいことを言われているよ」と。このときの言葉は強く心に刻まれました

 60年ローマ大会から76年モントリオール大会まで、国の総力が試される男子団体総合で5連覇を果たし、「体操王国」と称された日本。しかし、80年モスクワ大会の不参加以降、王者の座から転落していた。

 メダルすらとれない2大会を経て迎えたのが2004年のアテネ大会だった。4年後の母国開催が決まっていた中国が圧倒的な力を誇示し、金メダルの最有力と目された。1992年から本格的に体操の取材をしていた刈屋だが、大会前の関係者らとの会話の中でも「金は中国」との見方がもっぱらだった。

 中国を除いた日本、米国、ルーマニアで銀、銅を争うというのが本番前の現実的な戦力分析でした。でも、練習で日本選手の調子がものすごくよく、予選もトップ通過。ひょっとしてという思いはあった。ただ、僕が実況を始めた80年代以降、日本選手に共通していたのが、本番に弱い、ここ一発のところで負けるというイメージでした  

 2004年8月16日、8カ国が出場した決勝は2日前に開催された予選とは異なり、1種目ごとに出場3選手の合計点で争われた。一人のミスも許されなかったが、進行を早めるために本番前のウオーミングアップが廃止された。

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