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「土偶」とは何か?─謎に包まれたその正体とは……─

今月の歴史人 Part.3


歴史の教科書でもおなじみの「土偶」。知っているようで実際、なんだったのか、どんな用途があったのか、なんのためにつくられたのか、についてここで改めて紹介し直してみる。


 

縄文時代晩期の東北地方から出土する亀ヶ岡文化の土偶。全身に施された衣裳諷の雲形文、赤彩などを特徴。(九州国立博物館蔵/出典:Colbase)

 

■土偶の定義と特徴

 

 土偶とは、土(粘土)で作られた人形(ひとがた)のことである。しかし、土偶という言葉は本来日本の石器時代(戦前における縄文時代から弥生時代)の土製の人形に対して用いられたものなので、研究が進んだ現在では、縄文及び弥生時代の、完全な形であれば頭・手足のついた人形の土製品に対して土偶の語を用い、それ以降の事例に対しては、埴輪(はにわ)を除き、人形土製品の語を用いることが多い。

 

 土偶は初期段階から、体の前面に一対の膨らんだ乳房の表現をもち、自立する、あるいは自立せずとも立った状態を前面として見る形で作られており、いわば女性像のトルソーとして出現してくる。脚部をもち自立するものは基本的に二足で直立し、長野県棚畑(たなばたけ遺跡から出土した「縄文のビーナス」のごとく、歩行する様を表現したものも存在する。直立二足歩行は人類の定義でもあることから、土偶の形状は元来ヒトをモチーフとして作られたと考えてよい。

 

 また、土偶には他の動物に見られるような尾が存在せず、多くの乳房が存在する表現をもつものもない。そうした点も、土偶本来のモチーフがヒトだったことを傍証(ぼうしょう)するだろう。

 

 さらに、長野県中ッ原(なかっぱら)遺跡から出土した「仮面の女神」のように、股間に女性器の表現が付加される事例もあることに加え、腹部が膨らみ、妊娠線と思われる文様が施されるなど妊産婦を模したと考えられる事例も多いことから、土偶は基本的にはヒトの女性をかたどったものと考えられている。ただし、土偶自体は日本各地で長期に渡って制作されており、それゆえに形態的なバリエーションも多種多様となっている。

 

■土偶を作った目的

 

 では、なぜ土偶が作られたのか。この謎に対して、これまで考古学研究者は多くの考察を行ってきた。
 例えば、土偶の研究が始まった明治時代前半頃には、玩具(がんぐ)説・神像(しんぞう)説・装飾説が唱えられており、その後に護符(ごふ)説や祖霊像(それいぞう)説などが追加されている。したがって、日本における石器時代研究の初期段階において、すでに土偶は祭祀(さいし)・呪術(じゅじゅつ)に使用される遺物と考えられていたことになる。

 

 大正時代に入ると土偶の事例数も多くなり、そのほとんどが女性像であることが指摘され、安産のお守りという説も出た。昭和時代には、「大地の地母神(ちぼしん)像」とする説や特定の性別にとらわれない精霊説、神霊が宿るための依代(よりしろ)説など、様々な説が提出されたが、いずれも決定打となるものはない。ただし、やはりヒトの女性を模しており、妊産婦を写したものが多いことからすれば、その本質は女性にしかできないこと、すなわち生命を産み出すという点が重要な要素だったことは間違いない。

 

監修・文/山田康弘

歴史人2023年7月号「縄文と弥生」より

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