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インタビュー/働くあなたに伝えたいこと

中途半端はもうしない。さまざまな経験を経て、いま新たな自分へ/藤沢久美さん

ふたりで社会を変える(9)

28歳のときに日本初の投資信託評価会社を創業し、その後売却。さらにはテレビのキャスターやダボス会議のメンバー、さまざまな企業での取締役や団体の理事など、多岐にわたる華々しいキャリアを歩んできた藤沢久美さん。いまはちょうど大学院を修了し、人生の棚卸しをしたところなのだとか。こんな時だからこそ、ピンチをチャンスに変えた経験や、今の心境、これからのことをインタビュー。緊急事態宣言の出る中、オンラインで話を伺った。

藤沢久美(ふじさわ・くみ)
大阪市立大学卒業後、国内外の投資運用会社勤務を経て、96年に日本初の投資信託評価会社を起業。99年、同社を世界的格付け会社スタンダード&プアーズに売却後、2000年にシンクタンク・ソフィアバンクの設立に参画。現在、代表。20007年、ダボス会議を主宰する世界経済フォーラムより「ヤング・グローバル・リーダー」に、さらに翌年には世界の課題を議論する「グローバルアジェンダカウンシル」のメンバーにも選出され、世界40か国以上を訪問。政府各省の審議委員、日本証券業協会やJリーグ等の公益理事といった公職に加え、静岡銀行や豊田通商など上場企業の社外取締役なども兼務。自身の起業経験を元に、NHK教育テレビ「21世紀ビジネス塾」のキャスターとして、全国の中小企業の取材を経験後、国内外の多くのリーダーとの交流や対談の機会に積極的に参画し、取材した企業は1,000社を超える。現在、政官財の幅広いネットワークを活かし、官民連携のコーディネータとして活躍。ネットラジオ「藤沢久美の社長Talk」のほか、書籍、雑誌、テレビ、各地での講演などを通して、リーダーのあり方や社会の課題を考えるヒントを発信している。2020年3月に早稲田大学大学院スポーツ科学研究科を首席で修了。

人は突然死ぬ。「やりたかった」と思いながら後悔したくない

起業しようと思ったのは、大学生で就活をしていた時です。当時は大阪の大学生が東京の企業に問い合わせると、「女性は東京に実家がないと雇わないから」と当たり前のように言われる。その時、日本の企業がそういうつもりなら、自分で起業しようと決意したんです。まずはビジネスを勉強しようと、小さな投資運用会社に入社しました。

起業のために動き出したのはその6年後。会社の同僚と2人で作ろうとしたのは、投資評価会社です。当時、各社が運用している投資信託の成績は全く公表されていませんでした。証券会社の言うままに投資信託を購入して、損をする人がたくさんいた。情報を開示し評価することで、大事な資産を失う人が減ってほしいと考えていました。

ところが、ことはそう簡単には進みません。まずは起業前に出資者を探しましたが、見向きもされない。何度もくじけそうになりました。

そんなときに起こったのが阪神淡路大震災。自分が知っている場所が燃える様子や、親戚が疎開する話を見聞きし、「人は突然死ぬ」ということを実感しました。さらには2か月後に、地下鉄サリン事件が起きます。私はいつも同じ路線を使っており、1時間ずれていたら命を失っていたかもしれない……。いつ死ぬかわからないなら、「やりたかったのに、やらなかった」という後悔だけはしたくないと思ったんです。

何とか事業提携してくれる会社を見つけ、晴れて起業することができた。ところが、資本金は人件費や家賃で消えていきます。1年目の私の年収は、たったの96万円でした。

どの会社も渡してくれないデータを入手できたのは、たった一言の言葉から

全然うまくいかなかった事業が、後に軌道に乗るきっかけは2つあります。ひとつは、『金融ファクシミリ新聞』という、ファックスでニュースが届く金融業界向けの新聞に載ったこと。「若い人たちが投資信託の評価会社を立ち上げたが、苦戦しているようだ」という内容で、ほんの2行の記事が掲載されたんです。それを朝日新聞の記者が見つけてくれて、私たちを新聞で大きく取り上げてくれました。

掲載された翌日にテレビ東京のワールドビジネスサテライトから連絡があり、10分ほど放送されたんです。その後、電話での問い合わせが殺到。徐々にお客さんが見つかり、コンサルティング契約なども増えていきました。

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起業家向けの雑誌に取り上げられた。

ただ、私たちは、投資信託の成績を運用会社からも提供してもらえないことに苦労していました。投資運用会社にいたときにはすべての会社のデータが見られたのに、独立したとたん、どの会社も開示してくれないのです。データを持っているはずの投資信託協会にも掛け合ったのですが「業界の人たちから許可が出ないと出せないんだよ」と冷たくあしらわれてしまい……。肩を落として帰ろうとすると、事務局長が後ろから声をかけてくれたんです。

「すべての会社のデータは、協会の入り口の棚の上にある。動かしてはいけないけど、閲覧は自由だよ

その言葉が突破口でした。それから私たちは毎月、当時はとても重かったノートパソコンを2台持ち込み、5000種類くらいのデータを手作業で必死に入力し続けたんです。

私たちの小さな会社は投資信託の評価を公開できるようになり、業界を変えることができました。業界の人からは「各社の情報を比較するなど営業妨害だ」「社員には家族もいるのに、業績が落ちたらどうしてくれる」と言われたこともあります。でも、なけなしのお金で投資に失敗する人を救う方が、ずっと意義がある。私たちのその意思は揺らぎませんでした。

売却後の苦労と新たなチャンス

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NHK教育テレビ「21世紀ビジネス塾」のキャスター時代。様々な中小企業の現場を巡った。

創業から4年後、会社を売却することになります。売却の条件は、5年間はその会社にいること。しかし、もっとやりたいことが見つかり、1年ほどで会社を離れることに。5年の約束を守れなかったために金額は半分以下になりましたが、私にとっては投資だったと思っています。

後に代表になるシンクタンク・ソフィアバンクの設立に参画してまもなく、NHK教育テレビのキャスターのオファーを受けました。バブル崩壊後の日本で小さく光る中小企業を紹介していく番組です。「現場に行かせてくれるなら」という条件で了承。3年間さまざまな場所に赴きました。

そんな中、私の世界を大きく変えたのは、2007年に、ダボス会議と言われる、世界経済フォーラムのヤング・グローバル・リーダーに選ばれたこと。英語が苦手な私に務まるのかと心配でしたが、そんなことが気にならないくらいの衝撃を受けました。2030年に向けて、世界をよくするために自分たちができることを真剣に考えている人たちがいる。参加者たちの経験談がすさまじく、自分の苦労話など小さすぎると思うほどでした。

メンバーとして6年間、仕事が減っても、赤字になってもかまわないと、世界中を飛び回りました。そこで気が付いたのは、ダボス会議での日本の存在感のなさと、日本人の参加率の悪さです。機会があっても積極的に行こうとしない。そこで私は、任期中に、日本でヤング・グローバル・リーダーの集まりを開催することを目標に活動し、2016年、ついに日本でスポーツ・文化・ワールド・フォーラムとヤング・グローバル・リーダーの年次総会を同時開催したのです。

一方で、NHKで仕事を通じてライフワークと感じた日本の中小企業を応援しながら、世界との橋渡しもしていきました。事業規模が小さくとも、志まで小さいわけではありません。日本の企業の方や経営者の方と一緒に海外を訪れると、中小企業同士で同じことに悩んでいたりする。人と人をつなぐ、草の根運動のようなこともしていました。

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2014年の世界経済フォーラムにて。

50歳を超え、これまでのポリシーを捨てて新たな行動指針を作る

私はつい最近まで、頼まれた仕事は断らないようにしていました。「人から批判されたくない」「褒められたい」という気持ちが強いのか、やりたくないことも受けてしまうことがあったんです。でも最近、そんな自分の考えを見直す機会がありました。

年齢が50歳を超え、人生が100年だとすると半分経ちました。企業の取締役や財団の理事などいろいろしているけれど、こんな「名誉職のおじさん」みたいなことをしていていいのだろうかと、人生を棚おろししたくなったんです。ビジネスだけでなく官庁や自治体、テレビのことなどにも精通している平田竹男さんに棚おろしを手伝っていただきたくて、平田先生のゼミがある早稲田大学の大学院へ通いました

ゼミの内容はスポーツ。私はスポーツのことを何も知らなかったので、それがむしろ謙虚になれてよかった。これまでいろいろなことを「わかっているつもり」になって、学ぶチャンスをみすみす逃していたのだと気が付きました。

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ゼミの仲間と講義で発表する課題の準備。

また、同じゼミのメンバーはJリーグや空手、テニスといった分野で一流の人たち。「やりたいことは何が何でもやり遂げる」という気概があるんですね。私は研究を通して平田先生のお力を借りて自分の棚おろしをしながら、「中途半端に気を遣ったりせず、やりたいことをやり切る」というスタイルを学びました。

大学院の最終ゼミで意を決し、自分の行動指針を変えると宣言しました。中身は……恥ずかしいから内緒です(笑)。

私はちょうどこのタイミングで行動指針をがらりと変えましたが、新型コロナウイルスの影響で、これからは世界中の価値観が大きく変わるでしょう。人と会うのがままならない中で、自分で考える時間が増え、より自分らしさが発揮できる時代が来るのではないでしょうか。これを機に、自分が本当に幸せを感じる瞬間や、それを増やすための具体的なプランを考えてみてほしい、そんなふうに思っています。

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修士論文提出前夜、深夜まで指導教官やゼミの仲間と提出用ファイルづくりに励んだ。

取材・文/栃尾江美、写真提供/藤沢久美さん

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栃尾江美
外資系IT企業にエンジニアとして勤めた後、ハワイへ短期留学し、その後ライターへ。雑誌や書籍、Webサイトを問わず、ビジネス、デジタル、子育て、コラムなどを執筆。現在は「女性と仕事」「働き方」などのジャンルに力を入れている。個人サイトはhttp://emitochio.net

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