卓球は7日、女子団体の決勝が行われ、日本は中国に0―3で敗れ、銀メダルだった。1988年ソウル五輪で卓球が実施競技になって以来初のメダル獲得。中国は2大会連続の金メダル。
日本は1番手の福原愛(ANA)がシングルス金メダルの李暁霞に1―3で敗れ、続く石川佳純(全農)は丁寧に0―3。石川が平野早矢香(ミキハウス)と組んだダブルスでも1ゲームを奪うのがやっとだった。
個々の力の差が大き過ぎた。女子の日本は、シングルスの金銀メダリストを擁する中国に決勝で敗れ、五輪の卓球で日本勢初のメダルは「銀」になった。現在の中国との力関係は明確だった。
1番手の福原が一矢を報いた。シングルス金メダルの李暁霞から第2ゲーム終盤、得意のバックハンドを繰り出して6点を連取し奪った。それが精いっぱい。2番手の石川はシングルス銀メダルの丁寧に力負け。結局、0―3の完敗だった。
19歳の石川は「技術、精神面で強くなって、4年後に中国に挑戦したい」と誓った。
北京五輪で4位に終わってから、日本は悲願の初メダル獲得のため、4年計画でシンガポールと韓国を破ることに心血を注いできた。福原と平野に、急成長した石川。準決勝でシンガポールを破ってメダルを確定させ、思いは実っていた。
戦略的に相手をかく乱するため、団体戦で1試合あるダブルスは3人がどの組み合わせでも力を出せるように強化を図った。北京五輪の3位決定戦で屈した韓国を倒すために、カットマン対策も重視。その練習に割く時間は「全体の半分以上」(福原)、「3日に1度から、1日に1度」(石川)へと増やした。
しかし、裏を返せば、打倒中国のための対策まで手が回らなかった。ただでさえ高速のラリーの中で回転を微妙に変え、男子並みの球質で迫ってくる中国の圧倒的な強さ。村上監督は「技術が進化し、パワーも増している。追い付くのは容易ではない」と現実を直視した。日本は4年で階段を一つ上った。次の一段は、とてつもなく高い。
偉業を遂げた3人娘が泣いた。卓球女子団体の準決勝でシンガポールを倒し、日本に悲願の初メダルをもたらした感激が会場全体に広がった。1番手で難敵を倒した福原愛選手(ANA)はベンチで顔を覆い、最後にダブルスで勝利を決めた石川佳純選手(全農)と平野早矢香選手(ミキハウス)は抱き合った。
北京五輪は3位決定戦で韓国に敗れてメダルを逃した。あの時も最後のダブルスをベンチから見詰めていた福原選手は「今回は正反対の景色を見られた」と感慨に浸った。女子シングルス銅メダリストのフェン・ティアンウェイ選手を我慢の卓球で破り、流れを日本に引き寄せた。
4年前に福原選手とともに悔し涙を流した平野選手は、まとめ役だった。昨年5月、シングルス代表入りを逃した夜は一晩中泣いたというが、出番がなかった個人戦では2人を支えた。「2人の気持ちが自然に団体戦へ入っていけるようにしただけ」と謙虚な最年長が、結束をもたらした。
北京五輪をスタンド観戦した石川選手にも、先輩2人の無念は伝わっていた。「今回は出場できる。絶対に勝ちたい」と強気を貫き、ラケットを振り切った。シングルスで日本勢初の4強入りを果たし、今やエース格といえるが、初舞台の五輪では経験豊かな先輩に助けられた。「2人に感謝です。すごく幸せ」と声を震わせた。
ロンドン五輪の卓球女子団体決勝で、日本チームは王者中国を相手に粘り強く戦った。シングルス、ダブルスともに1ゲームを奪う健闘。銀メダルを手に笑顔を咲かせた。
一番手の福原愛選手(ANA)は、今大会の個人金メダルを取った李暁霞選手(24)と対戦。スマイルを封じ、研ぎ澄まされた表情。失点が重なっても、落ち込む様子は見せず、繰り返しうなずく。自分に何かを言い聞かせているようだ。
相手のリードを追う展開が続き、点差が開いても食い下がる。第2ゲームは5-9から6連続で得点し、逆転勝ちした。
石川佳純(全農)、平野早矢香(ミキハウス)両選手のダブルス。2ゲームを取られ、土壇場に追い込まれた後も諦めなかった。声を掛け合い、時に笑みも浮かべ、3ゲーム目は競り勝った。
3人は表彰台で銀メダルを首から掛けられると、満面に笑みを浮かべ、歓声に手を振って応えた。「泣き虫愛ちゃん」と呼ばれた福原選手に涙はない。初の五輪メダルに触り、しばらく見詰めた。
「被災地に希望をくれる試合だった」。決勝で惜しくも中国に敗れ、銀メダルを獲得した卓球女子団体。福原愛選手(23)の出身地、仙台市では7日深夜から8日未明にかけ、中心部の広場に特設のモニターが設置され、詰めかけた約150人が声をからして声援を送った。
仙台では、東北三大祭りの一つ「仙台七夕まつり」を開催中。祭りステージを改造して観戦席を急ごしらえした。
地元の卓球協会の関係者も駆け付け、応援団を結成。福原選手が決めると、大きな拍手と「愛ちゃん」コール。点を落とすと「がんばれ、これからだ」の声が飛んだ。
敗れはしたが、堂々の銀メダル。会場からは「最高に素晴らしい試合だった」と感謝の言葉も。最後の1点まで精いっぱいの応援だった。
福原選手が卓球を覚え始めたころから知っているという仙台市卓球協会の鈴木伸一事務局長は「120%の力を出してくれた。中国は強敵だが、追い上げているなと思える立派な内容だった」と健闘をたたえた。
愛ちゃん、ついに五輪の表彰台へ。福原愛(ANA)が卓球女子団体戦でメダルを獲得。3歳で卓球を始めて、20年で悲願を遂げた。
高速ラリーを打つ少女の姿を日本中が覚えている。5歳から各年代別の全日本選手権で優勝し、15歳でアテネ五輪に出場。一流選手へ順調に階段を上るかと思われた。
ただ、劣勢で打ち急ぐ精神面のもろさと、フォアの強打を苦手とするなど、技術面で幅の狭さを克服できないでいた。
2度目の五輪出場となった4年前の北京五輪は、女子団体戦3位決定戦で韓国に敗れた。その後の4年間は「大変なことが多かった」。早大に入学し、中退。日本開催で期待された2009年の世界選手権横浜大会では2回戦敗退に終わった。
そして昨年3月の東日本大震災。地元仙台も甚大な被害を受け、一つの転機を迎えた。
被災地にメダルを―。目標は使命感に変わり、プレーから淡泊さが消えた。今年1月の全日本選手権で念願の初優勝。日本女子代表の村上恭和監督は「大震災以降、試合で簡単に諦めなくなった」と認める。
技術面も成長した。メダル獲得へのライバル、韓国とシンガポールの対策を入念に練った。今年3月の世界選手権団体戦では宿敵だった韓国のカットマン、金暻娥から初勝利を挙げた。
ロンドン五輪女子団体準決勝のシンガポール戦。1番手で相手のエース、フェン・ティアンウェイに落ち着いたラリーと切れのあるサービスを軸に3-1で快勝。全てが凝縮された卓球で、日本卓球界初の五輪メダルにつなげた。
日本が準決勝に勝ち、メダル獲得が確定すると、福原は両手で顔を覆った。幼い頃、試合に負けると泣きじゃくった「泣き虫愛ちゃん」。20年分の感激がこもった涙を流した。
このページは、時事通信社が配信したニュースをまとめたものです。
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