LIFETIME ACHIEVEMENT

美輪明宏、差別とのたたかい、そして 男らしさについて語る

春にはエディット・ピアフのドラマティックな生涯を描いた舞台、2018美輪明宏版「愛の讃歌~エディット・ピアフ物語~」を、秋には名曲を「愛」をテーマとしたトークとともに楽しむ「美輪明宏の世界 ~愛の大売り出し2018~」を成功させた美輪明宏。私たちは「ライフタイム・アチーブメント」賞を献呈する。 聞き手・鈴木正文(GQ) 構成&文・今尾直樹 Photos: Maciej Kucia @ AVGVST
美輪明宏、差別とのたたかい、そして 男らしさについて語る

名誉都民になった

自民党の杉田水脈・衆議院議員による「LGBTには生産性がない」という『新潮45』への寄稿が発端となり、同議員のトンデモ主張が物議を醸したことは記憶に新しい。杉田自身は党内から賞賛され、『新潮45』が休刊に追い込まれた2018年は、美輪明宏に東京都から名誉都民の称号が贈られた年でもあった。顕彰の理由は、「戦後の日本に『ジェンダー』を超えた生き方を示すとともに、長きにわたり舞台・映画・テレビ・講演・著作と多方面で活躍してきた」というものだった。

1935年長崎生まれ。16歳で、銀座7丁目にあった「銀巴里」の専属のシャンソン歌手としてデビュー。1967年、寺山修司の演劇実験室「天井桟敷」旗揚げ公演に参加、「青森縣のせむし男」「毛皮のマリー」の主演をつとめる。以後、活動は歌手、作詞・作曲、俳優、演出と多岐にわたり、2018年のいまも現役。春には演劇を、秋にはコンサートを行うのを定例としている。2019年の春は「毛皮のマリー」の何度目かの上演が決定している。まずはその抱負を小誌編集長・鈴木正文が訊ねた。

「もう何百回も上演してますからね。このあいだ三島由紀夫さんの『葵上・卒塔婆小町』というのを2本立てでやったんです。これも長いこと、上演しているんですけど、手をとるシーンが多いんですよ。『毛皮のマリー』では、上半身裸で湯船につかって、それはもうえんえんと続きますでしょ。いくら客席が遠いといっても誤魔化せません。でも、まだ大丈夫なようなので、じゃあ、また来年もやりましょうか、ということになっているんです。ただ、寺山の場合、心理的に錯綜したところは三島さんの作品とどっこいどっこいぐらいむずかしい。そのロジカルなものをいかにわかりやすく、お客に伝えるかというのが腕の見せ所なんです」

三島由紀夫と寺山修司。俳優・美輪明宏はふたりの天才から愛された。

「そもそも三島さんの『黒蜥蜴』という江戸川乱歩さん原作のお芝居をやるようになったのも、『毛皮のマリー』を寺山修司と新宿(アートシアター新宿文化)で初演をやっていたことがきっかけでしたんですけれど。それはもう、道路に交通整理が出なきゃいけないぐらい大盛況だったんですよ。で、三島さんがその地下で『三原色』という芝居をやっていて、三島さんはご自分の芝居を終わられて、『毛皮のマリー』を見にいらしたんです」

そんなきっかけがあったのか、といわんばかりの鈴木の表情がおもしろい。

「そして楽屋にいらして、ものすごい興奮状態で、“きみ、あの難解な寺山のセリフを石鹸箱か歯ブラシを使うみたいに日常的に観客に伝えることができるというのはすごい技術だよ。俺の『黒蜥蜴』をやってくれないか”といわれたんです。私、あの、大女優だった水谷八重子さんとお友達だったから、水谷さんが黒蜥蜴で、芥川比呂志さん、芥川龍之介さんの息子さんですね、あの名優のかたが明智小五郎をやってらして、私も見てました。ただ、そのときに楽屋に行ったら、水谷八重子さんが“これは私がやるよりもあなたがやったほう がいいような役よ”といわれたことがあったんです。どうして? って聞いたら、“だって私は健康な女だから、こんな女の心理状態はわからないのよ”って。じゃあ、私は不健康という意味? と聞いたら、“だってそうでしょ”。たしかにそうだわね、って(笑)。

そのときは冗談ですませていたんですけど、ご本人の三島さんがそうおっしゃったんで、私、水谷さんから役をとるのは嫌だし、できませんと断ったんですよ。で、2度、申し入れがあって。3度目電話があって、会いたいとおっしゃって、銀座で会って、また同じことを繰り返されるので、“それほどまでにおっしゃるなら”って。といういきさつ等があって引き受ける事になったんです。それでやったら、大当たりになって映画にもなり大ヒットし、社会現象みたいになっちゃったんですね」

さらに美輪はこう続けた。

「『毛皮のマリー』は2本目で、その前に『青森縣のせむし男』というのを寺山が私のために書いてくれたんですね。で、3本目も書こうとしていた。ところが、私、三島さんとタッグを組んじゃったものだから、彼がちょっとすねちゃって、それで書くのをやめたというんですね。惜しいことをした。もう少しダマしておけばよかったんですけれど(笑)」

差別とのたたかい

10歳のとき長崎で被爆した美輪は、反戦のひとでもある。作詞・作曲家として、『亡霊達の行進』では、真夜中の地球上を戦争で亡くなった老若男女の亡霊がぐるぐる回っているさまを歌ったといい、『悪魔』という曲についてはその詩をそのままハミングするようにそらんじた。

「原爆水爆大好きな戦争亡者の親玉よ お前の親や兄弟が女房や子供が恋人が焼けて爛れて死ぬだろう 苦しみもがいて死ぬだろう そうして最後は手前らだ ボタンを押したその指は 真っ赤な血潮を這回り ドクロになったその口が戦え!戦え!と叫ぶのだ」

ジェンダー、人種、あらゆる差別に対して、美輪ほど一貫して批判してきた芸能人はいない。どうしてこういう人間に育ったのか、と次に訊ねた。

「どうしてでしょうねぇ。長崎の実家が水商売だったでしょ。当時は国際都市でしたからね、長崎は。戦前は外国に行くのに船だったでしょ、飛行機じゃなくて。国際港は神戸と横浜と長崎しかなった。だからものすごく活気があったんです。私の母は、大阪の日赤(日本赤十字)で看護婦長をやっていたんです。それを父に騙されて奥さんになって、カフェのマダムになった。そうすると、店には住み込みの人たちがいるわけですよね、ホステスとかボーイさんとか。私は子供と遊ばないで、大人のおもちゃだったんですよ。大人にかわいがられて、それで室生犀星とか本が積んであって、それを読まされるんですよ、字を教わって。だからませてくるんですよね。そして、カワイイ、カワイイといわれてかわいがられた。実家はお風呂屋さんもやっていて、りっぱな身なりのひとが裸になると情けない体だったり、その逆だったりするわけでしょ。ヨイトマケのおばさんはもう臭いし、汚いけど、脱ぐと立派な裸をしている。だから、着るものってなんだ、インチキじゃないか、と思った。

一方カフェでは、学校の先生や警察官、政治家だとか、聖職とかの偉いひとが酔うほどに痴態を繰り広げるわけでしょ。女給さんのスカートのなかに手とか頭とかを突っ込んだり、ビールかけられてヘラヘラしたり、昼間の顔って、なんだインチキじゃないかと。そうすると、ひとを見るときに、このひとの正体はなんだろう、って裸を見るようになって、裸を通り越して、その人のこころ、性格、つまり、いかに魂がきれいか、きれいでないか、それだけを見るようにすれば間違いないと。ませた子供だったんですね。容姿容貌、年齢、性別、国籍、持っているもの、そういったものはいっさい見ない。目の前にいるひとの魂、心がきれいかきれいじゃないか、それだけが問題であって、それが基準になったんです。

そして、また目の前が楽器屋さん、隣が劇場でお芝居や映画をやっている。そうすると、いろいろな人生を山ほど疑似体験していくわけですね、映画やお芝居で。シャンソンもかかっていたし、中学はフランス人が創立した学校で、3年間フランス語の基礎を教わって、ちゃんとシャンソンを歌うような道筋ができちゃったんです。そうすると、男女の悲喜こもごもの心象風景も手に取るようにわかっているし、シャンソンを歌うときに自分の過去の人生を振り返るような、そんな感じになって、美輪さんの歌を聞いていると何本も映画を見たような気がするっていわれるんですけど、それは自分自身が(たくさんの映画などでたくさんの人生)を疑似体験しているからなんですね」

男らしさとは

LGBTがなにかと話題になり、海外では#MeToo運動が昨年から盛り上がったりして、男性像が変わらなければいけない時代になっている。とすると、ではいまの時代に求められる「男らしさ」というのはどういうものになるのでしょうか、というのが最後の質問である。美輪の答は明快だった。

「男らしさ女らしさというのは時代遅れです。人間らしさ、でよろしい。大人しくて繊細で、というのが女らしさだと昔からいわれているけれど、そんな女、見たことありませんよ。地震でもあったら、男が枕を抱えて、どうしようどうしようといっているときに、何やっているのよ、貯金通帳持った? とか現実主義なのは女だし、弱い女なんて見たことがない、って私はいうんです。弱いのは力だけ。だけど最近は腕力までも手に入れているのが出てきた。史上最強の動物だって、私はいってるんですけどね。だから、男らしいとか女らしいというよりも、人間らしいというような高みを目指したほうがいいと思いますね」

では、人間らしいとは?

「こころというのは、知力と情念、精神、それの結合ですよね。やっぱり人間って、この世に生まれてきてむずかしいのは、いかに理性で感情をコントロールできるかということですよ。カーッとなったのを、冷静に鎮めて、こういう場合はどうやったらいいのか、理性的にその方法を組み立てて答を出すという、冷静さが大切です。だから、昔からそのバランス、つまり理性で感情をコントロールできるひとが英雄になっているんですよね。そうじゃないと、非業の最期を遂げていますよ、織田信長をはじめ、ジュリアス・シーザーも」

ご自分はどうですか。

「もう情念の塊みたいなもので、どっちかというと、カーッとなるほうです」

どうやって抑えていますか。

「いろんな方法がありますが、南無大師遍照金剛とか南無妙法蓮華経とか南無阿弥陀仏だとか、そういったことを唱えてこころを鎮めます。南妙法蓮華経、南妙法蓮華経と。ご自分のおうちの宗派はなんですか?」

親父もおふくろもキリスト教です、と鈴木。

「じゃあ、聖歌でもお歌いになることね。プロテスタント? いい歌がいっぱいあるじゃないですか。カーッとなったら、♪主よみもとに近づかん」

読者諸兄もぜひお試しあれ。レジェンド美輪明宏はみずからの芸を出し惜しみすることもなく、気前よくばらまいて去っていった。

AKIHIRO MIWA
小学校の頃から声楽を習い、国立音大付属高校を中退し16歳にしてプロの歌手として活動を開始。1957年、「メケメケ」が大ヒット。ファッション革命と美貌で衝撃を与える。日本におけるシンガーソングライターの元祖として、多数の唄を作ってきた。2012年大晦日にはNHK「紅白歌合戦」に初出場。時代を 超えて愛される「ヨイトマケの唄」の名唱を日本中に届けた。美輪明宏が演出・美術・主演を務める「毛皮 のマリー」が、2019年4月~6月にかけて東京・新国立劇場 中劇場ほかにて上演される。