技術資料

やわらかサイエンス

未来の種子

担当:秋山 克
2004.05

新緑がまぶしい爽やかな季節になりました。家庭菜園では、そろそろ野菜のタネまきを始める頃ではないでしょうか。そこで今回のやわらかサイエンスでは、タネにまつわるバイオテクノロジーの一つ、「人工種子」について、組織培養技術にも触れながらお話ししたいと思います。

みなさんは、ナスやトマトの苗を畑に植えてしばらく育てた時、茎の地際から根が生えてきているのを見たことはありませんか?またガーデニングで「挿し木」をすると、枝や茎から根が生えてくるのを不思議に思ったことはありませんか?

動物でも植物でも、多くの生き物の体は、細胞と呼ばれる小さな単位の集合体です。人間は約60兆個の細胞からできています。1950年代、アメリカ・コーネル大学の植物学者スチュワードは、バラバラにしたニンジンの細胞を試験管で培養して、たった一つの細胞から完全な植物体を育てることに成功しました。このように、一個の細胞が完全な個体を再生する能力を持つことを分化全能性といいます。そしてスチュワードの例のように、植物体のごく一部を取り出して、試験管やフラスコのなかで育てる方法を組織培養といいます。意外と知られていないかも知れませんが、日本国内で栽培されているジャガイモの9割以上、イチゴの6割以上に、組織培養で作られた苗が使われています。

組織培養によって植物を増やす利点として、1.ウィルスに感染していない細胞から植物体を育てることでウィルスフリーの苗を作ることができる、2.種子による繁殖が難しい植物を大量に増やすことができる、などが挙げられます。例えばイチゴは、親苗から出てくる蔓(ランナー)上にできた子苗を利用して繁殖する栄養繁殖性植物ですが、親苗にウィルスが感染していると子苗にもウィルスが感染する可能性が高くなります。そこで、ウィルスの感染していない苗を作るために組織培養技術が有効な手段になるのです。もう1つの例として、コチョウランなどは、タネで増やすのが非常に難しく株分けでも増えませんが、組織培養による大量増殖法が開発されたことによって、以前よりも手頃な値段で販売されています。

植物が本来みずからを再生させる能力を持つ部分は、茎頂(芽の先端)と胚(将来的に芽になる小さい部分)です。組織培養で茎頂と胚以外の体の部分から植物体を再生させるために、培養する条件を変えることで人為的に茎頂や胚を誘導する方法が工夫されてきました。本来胚ではない部位から形成された胚のことを「不定胚(ふていはい)」、それが芽であれば「不定芽(ふていが)」と言います。そして、それらの誘導された不定芽・不定胚を人工膜で包んだものが人工種子となるわけです。

種子の断面図と人工種子の断面図例

つまり「人工種子」とは、「将来植物となりうる培養物を人工的に包んだカプセル」です。 現在、人工種子は、アルギン酸ナトリウムと塩化カルシウムを利用したアルギン酸カルシウム法によって作られています。作り方は、アルギン酸ナトリウムを含む溶液に不定胚などを入れ、溶液ごと不定胚をピペットで吸い上げて、塩化カルシウム溶液に滴下します。すると外側に水に溶けないアルギン酸カルシウムの皮膜ができて、不定胚を封じ込めることができるのです。

人工種子のイメージ

そうしてできた人工種子はどのように利用されるのでしょうか。
培養物をカプセル化する際に植物の生長を制御する物質や肥料・農薬をあらかじめ添加することができるので、栽培労力を軽減させたり、より強い苗を育てることができます。また、先の組織培養法により大量に増やした培養物をすぐさまカプセル化することで、自然環境の変化に左右されることなく周年生産が可能となりますし、種子生産の機械化も容易となることでしょう。
ただ、不定胚を効率よく生産できる作物種が限定されているため人工種子を作ることが可能な作物が少ない、人工種子の発芽の揃いが悪い、など、まだまだ問題点の多い技術でありますが、現在、ニンジン・セルリーなどで実用化に向けて研究が進んでいます。将来的には、重要な遺伝資源の保存や、環境問題・食糧問題の解決にも貢献する技術の一つになるでしょう。

ちなみに、アルギン酸ナトリウムは食物繊維の一種で、昆布などの海藻類に多く含まれるねばねばした物質の成分です。人工イクラもアルギン酸を使って、人工種子と同じようなカプセル化の技術を用いて作られています。


参考資料
1) 千葉県立現代産業科学館
2) 大澤勝次,久保田旺:農学基礎セミナー植物・微生物バイテク入門,農山漁村文化協会,2003
※資料最終参照日:2004年5月

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