岸井成格さんお別れの会。東京・千代田区の如水会館で

2018年5月15日、肺腺癌がんのため東京都内の自宅で亡くなったジャーナリスト、岸井成格さんのお別れの会が、2018年6月18日、東京都千代田区の如水会館で開かれました。

当日は14時から関係者によるお別れの会が、また16時からは一般の参列者による献花が行われ、毎日新聞社特別編集委員、TBS系ニュース番組『NEWS23』や『サンデーモーニング』など数々のテレビやラジオ番組でも活躍してきた岸井さんを偲び、大勢の方々が会場を訪れ、献花で最後のお別れをしました。

お別れの会の発起人は、朝比奈豊毎日新聞社代表取締役会長、丸山昌宏毎日新聞社社長、石原俊爾TBSテレビ会長、武田信二同社社長、関口宏さん。お別れの会の施行は株式会社セレモアです。

 

 

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写真でつづった岸井成格さんの軌跡

岸井成格さんのお別れの会、会場となった如水会館2階スターホールでは、14時のお別れの会開式を前に、献花に並ぶ人々の長い列ができました。

会場入り口には、在りし日の岸井さんを偲ぶ、写真の数々が飾られていました。力士に立ち向かう少年の岸井さん、記者駆け出しのころ熊本時代の岸井さんと、その原点ともいえる貴重な姿に、献花に訪れた人々はパネルの前に立ち止まり、思い出を語り合っていました。

岸井さんの写真パネルを見つめる関口宏さん(撮影:手塚耕一郎)

 

映像で振り返る、岸井成格さんの在りし日の姿

お別れの会は14時に開始しました。

はじめに会場内の大きなスクリーンに、岸井さんの在りし日の姿を偲び映像が映し出されました。映像は岸井さんと共に番組を制作してきたTBSのスタッフの方々が作成しました。

常に時代と向き合い、社会や政治の在り方を問いかけ続けた岸井さんの原点は、新人記者として赴任した毎日新聞社熊本支局での水俣病の取材にありました。

この時、重い障害があった少女の発する何かを訴えようとする声が、うめき声にしか聞こえなかったといいます。

「私がもっと真剣に耳を傾けていたら、あの子の声が聞こえてきたかもしれない。公害という巨大な暴力の中で、人の命がないがしろにされているのを、本当にそれに気づくことができなかったという、悔恨がある」

「権力に最も遠い声なき声にこそ、耳を傾けるべし。そして、権力に勇敢であれ」そんな岸井さんの生き様を物語るエピソードの数々が紹介されました。

 

 

岸井成格さんへのお別れの言葉

「岸井成格さんお別れの会」であいさつする、毎日新聞社の朝比奈豊会長(撮影:手塚耕一郎撮影)

VTRに続き、会場では発起人を代表して、朝比奈豊毎日新聞社代表取締役会長がお別れの言葉を述べました。

朝比奈会長は岸井さんとはかつて、よく明け方まで議論をしていたという思い出を披露。

父親が第二次大戦前に毎日新聞の前身、東京日日新聞の政治部長などを務めたという岸井さん。その原点は、「戦前の新聞の過ちを繰り返してはいけない」ということにあったといいます。そんな岸井さんに毎日新聞の主筆を依頼した際には、上質で寛容な保守というスタンスを忘れてはいけない。責任を持ったリベラル。こういう立場で闊達な社内議論を進め、自由を保障しながら社論をつくっていこうと引き受けてくれたと語りました。

 

さらに長年岸井さんと仕事をともにしてきた『サンデーモーニング』司会者の関口宏さん、そして岸井さんと小学校から大学まで一緒に学んだという元ホンダF1総監督桜井淑敏さんが、岸井さんへ弔辞を奉読しました。

関口宏さんは、岸井さんを「無類の酒好きで、しかもお酒に強かった」と語ります。しかし、お酒を飲んでいる時でも、岸井さんから必ず出てくるのはジャーナリズムの先行きを心配する話だったそうです。そんな岸井さんの思いをどこまで引き継げるかわからないとしながらも、もう少し頑張ってみたいと、あちらの世界で岸井さんが落ち着いたら、「大きなエールを送ってもらいたい」と結びました。

 

また岸井さんとの別れを悼み届いた数々のメッセージの中からは、植物生態学者で横浜国立大学名誉教授宮脇昭さん、安倍晋三内閣総理大臣、そして村山富市元首相の3名からの弔辞が奉読されました。

献花する関口宏さん(撮影:手塚耕一郎)

遺影に向かって献花するフリーアナウンサーの膳場貴子さん(撮影:手塚耕一郎)

(画像提供:毎日新聞社)

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