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<災とSeeing>16 四七災害(愛知県豊田市) 進む住宅開発 土砂災害の教訓つなぐ

2022年7月4日 05時05分 (7月4日 05時06分更新)
四七災害を伝える犠牲者慰霊碑と災害復興記念碑を示す田中隆文准教授=愛知県豊田市で

四七災害を伝える犠牲者慰霊碑と災害復興記念碑を示す田中隆文准教授=愛知県豊田市で

  • 四七災害を伝える犠牲者慰霊碑と災害復興記念碑を示す田中隆文准教授=愛知県豊田市で
  • 四七災害で裏山が崩壊し直撃を受けた家屋=豊田市提供
 一九七二(昭和四十七)年七月に起きた豪雨災害の「四七災害」から今年で五十年になる。梅雨前線の影響で大雨が続き、全国で四百人以上が犠牲になった。愛知県の西三河地方でも七月十二日夜半から雨が強まり、土砂崩れや土石流が発生。死者、行方不明者は六十八人に上った。被害が大きかった豊田市小原町には、当時の田中角栄首相の名が刻まれた「犠牲者慰霊碑」と、「災害復興記念碑」が立つ。
 名古屋大の田中隆文准教授(砂防学)は「一日で三〇〇ミリを超える雨が降り、この小原地区と藤岡地区の境辺りでは、一平方キロメートルで二百カ所ほど土砂の崩壊が起きた」と説明する。
 同市に住む永井保徳さん(60)は十歳で被災した。夜中に裏山が崩れて家が流され、兄や妹ら家族四人を亡くした。自身も土砂に巻き込まれ、四カ月の大けが。「気づいたら田んぼの泥の中にうつぶせでいた。何が起きたか分からず、暗闇の中でただゴーゴーと音がしていた。悪夢のようだった」と振り返る。
 土砂崩れの原因について、田中准教授はこの地域に広がり、水を含んで流れやすい「まさ土」という地質に注目する。「雨水が地中に染み込みやすく、小規模な崩壊が数多く起きる。崩れた土は土石流となって樹木を巻き込み、破壊力を増して人家を襲った」と指摘する。
 半世紀前の災害の記憶をどう伝えるか。藤岡地区に住む中村鋭士さん(75)は、地元の中学生らに災害があった場所を案内し、当時の様子をまとめた映像を作るなど伝承活動を続ける。「開発が進んで新しい住宅が増え、四七災害を知らない人が増えている。どんなところでも災害は起きるんだよと伝えたい」と話す。
 二十二人が犠牲になった藤岡地区には、災害の翌年に建った「殉難の碑」がある。碑を見つめ、田中准教授は言った。「土砂災害への備えは早めの避難につきる。普段から街歩きをして地域をよく知り、いつ、どこを通って誰とどこへ逃げるか考えておく。それが防災の第一歩になる」  (横井武昭)

アクセス

 犠牲者慰霊碑と災害復興記念碑 愛知県豊田市小原町の小原ふれあい公園内。名鉄豊田線豊田市駅から、とよたおいでんバスに乗り小原大草下車、徒歩3分。東海環状自動車道豊田藤岡インターチェンジ(IC)から約30分。
 殉難の碑 豊田市藤岡飯野町。愛知県指定有形文化財の「旧山内家住宅」のそばにある。

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