特集対談◇゛私″の中に感じる先祖の息吹
デューク更家 VS 西田正法

命のリレーを感じるお盆


デューク更家(でゅーく さらいえ)

ウォーキングドクター、体育学博士。
1954年、和歌山県生まれ。
ファッションショーの演出、プロデュースを経て、モデルのウォーキング指導を手がける。
1993年から一般に向けてのウォーキングレッスンを開始。運動生理学、身体運動科学などの研究に加え、気功、ストレッチの要素を取り入れた独自のウォーキング法を完成。
4月から母校の大阪経済大学の客員教授となる。

http://www.dukeswalk.net/


西田正法(にしだ しょうぼう)

昭和29年11月8日、栃木県足利市、明林寺に生まれる。
駒澤大学仏教学部仏教学科卒業。曹洞宗教化研修所研修課程修了。
愛媛県新居浜市、瑞應寺専門僧堂安居(昭和59年10月〜62年10月)。曹洞宗栃木県青年会会長。
大本山永平寺講師兼伝道部主任(平成6年4月〜9年11月)。平成10・11年、曹洞宗特派布教師。
平成12年4月より曹洞宗関東管区教化センター主監就任、現在に至る。
平成14年より栃木県足利市、明林寺住職。


司会 まさとみ☆ようこ

成蹊大学文学部英米文学科卒業。
フリージャーナリストとして雑誌、メディアなど多方面で活躍中。



知られざるデューク氏の秘密が明かされると共に
仏教の光が当てられてゆく

今や世界的人気のウォーキングドクター・デューク更家氏。
モナコを拠点として日々飛躍し続ける彼の魂の根底には仏教の教えがあった。
そのデューク氏と今回対談をして頂いたのが、曹洞宗関東管区教化センター主監・西田正法師。
実はお二人とも昭和29年生まれだったのだ。まさに、偶然の一致。
一見全く別な生き方をするお二人に、「お盆」をテーマにウォーキングと仏教の世界について語って頂いた。ウォーキング、家族、そして将来の夢・・・。

デュークズウォークは
お母ちゃんへのリベンジ


【まさとみ☆】ウォーキングドクターとして有名なデューク先生が、歩くことに興味を持ったきっかけとは一体何ですか?

【デューク更家】真剣に歩くことを意識したきっかけは、おふくろです。母ちゃんが肝硬変になり、医者に「歩きなさい」と言われたんです。うちの家は新宮(和歌山県)の大浜にあり、ガラッと玄関を開けると目の前は太平洋という環境だったので、そこをお母ちゃんは一生懸命歩いたんです。医者に言われてガンにならないように。歩いた結果、ちょっと無理をしすぎて膝を悪くして腰痛も患ってしまって。ある時、階段から転んで車椅子の生活になって、1年経たないうちに他界してしまったんです。
 お母ちゃん大好きで育ったので、それがショックでショックで。お母ちゃんのことが思い出に変わってきた頃に「歩くって健康にええぞって言うけれど、うちのお母ちゃんは歩いて死期を早めたんじゃないか? 健康に歩くってどういうことなんだろう」。自分の中で、歩くことに対して疑問が浮かびました。でも、日本の文化に「歩き方」というものがないんです。だったら、おれは歩き方を追求してやろう。お母ちゃんへのリベンジ。それが僕のウォーキングのきっかけです。

【まさとみ☆】以前、私もレッスンを体験させて頂いたのですが、先生はどんなに大人数であっても必ず一人ひとりの生徒さんに直接アドバイスして下さるんですね。

【デューク】僕は教育というやり方にはしません。導育。導いて育てるというやり方をします。とりあえず横を一緒に歩いて導育する。導いていかないと歩くことというのはできないんです。
 学ぶというよりはまねしろ。まねした感覚の中から、身体脳という体の脳を使って感覚的に考えよう、と。ウォーキングの方程式は「思う」「動く」「できる」ということです。下手くそな人は「考える」「止まる」。どんどん歩くことによって健康になって体が強くなっていくというイメージをするように教えます。

【まさとみ☆】具体的にはどのようにイメージすれはよいのですか?

【デューク】歩く前に必要なことはまず立ち方。立ち方がきちんと出来ていないと歩けない。「仙骨を立てる」という表現の基に、僕のウォーキングはやっています。そして、しっかりと安定した状態になったら、なるべく1本の線を歩く。
 デュークズウォークは「パーソナルウォーク」と「スタイリッシュウォーク」の二本立てです。元気から入るのか、美しくから入るのか。元気さも美しさも、最終的に行き着くところは一緒だと思うんです。息切れをしたり、最近体が重いなぁって思っている方に対しては、「美しい」ではなく、「元気」から入っていただく方法としてパーソナルウォークを立ち上げました。

【まさとみ☆】パーソナルウォークとスタイリッシュウォーク。実際にどういった歩き方なんですか?

【デューク】美しく歩く「スタイリッシュウォーク」は基本的に1本の線を綺麗に。元気に歩く「パーソナルウォーク」は1本の線の許容範囲が広い。つまり、元気というのは枠組みがないんです。美しさよりも間口が広いんで入りやすい。

【まさとみ☆】とりあえず、自分で思う1本の線の上を歩くということですね。

【デューク】よく、健康のためには1万歩歩かないとダメだって言うけど、負荷が強すぎます。目安は三千歩。それにあと千歩だけ多く歩けば良いんです。美しく歩くときは三百歩と言ってます。三百歩だけ美しく歩いたら、あとは一切忘れてくださいと。そうじゃないと、疲れちゃう。
 日本人は、腕立て伏せとかスクワットとかハーハーいうことが運動と思っているんです。「フフフフン」と鼻歌が出るくらいが日常の運動です。トイレへ行く時の一歩、二歩から始まる動作。そんな感じで歩くことを捉えたほうが健康、元気になるのではないかって思います。

仏壇と向かい合って
エネルギーチャージ


【まさとみ☆】ハードスケジュールで健康やテンションをキープするのは大変だと思います。何か秘訣はありますか?

【デューク】朝起きると、必ず15分から30分時間を止めて一つのことに集中するんです。僕は仏壇が好きですから、一日1回仏間に座って小一時間います。

【まさとみ☆】無になるんですか?

【デューク】無になるというか、何も考えない。まず自分の時間を止めることから始める。夜寝る時も、30分から1時間くらい仏間に座ってゆっくりします。

【まさとみ☆】その時に、1日を振り返ったりするんですか?

【デューク】反省はしますが、くよくよはしません。みなさん、今日はこんなことがあったとか色々考えるからたくさん寝ないといけないような気がします(笑)。

デューク更家流
超簡単カラダリセット術


【まさとみ☆】読者の方や高齢の方が手軽にできるものを教えてもらえませんか?

【デューク】やり直しがきくのが体。年齢には関係なく、体は特にリセットできます。

【まさとみ☆】リセットできるんですか?

【デューク】はい。手が動けばまず大丈夫。上半身の小指だけ。小指に力が入れば全部リセットできます。病気になると小指に力が入りません。下半身は足の親指。手の小指と足の親指を同時に三十回くらいギュッギュッと曲げるだけで、体はリセットできます。
 それから上半身では肩甲骨。肩甲骨が堅くなるとダメなんです。体というのは前に回すと力が抜けて、後ろに回すと力が入るんです。夜寝るときはワキを緩めて肩を前に回してリラックスする。朝起きた時は、ワキを閉じて後ろに回す。これだけで朝晩のオンとオフが体の中できれいに切り替わるんです。それが反対になると機能が落ちていきます。肝臓の機能が落ちたり、胃痛やストレスもそう。全部、体の使い方が悪いからなんですよ。

【まさとみ☆】使い方を間違えていたということですね。

ウォーキングの呼吸法
ルーツは大悲心陀羅尼


【デューク】般若心経というのは、小学校のときから覚えていました。時間があれば神社に参ったり、お寺さんに参ったりします。曹洞宗の修行はきつすぎて僕には耐えられませんので、修行はしてませんが(笑)。でも、大悲心陀羅尼くらいは完全に体の中に入っています。あれはウォーキングとピッタリなんです。ウォーキングの言葉で「いいですか、美しいですよ。一本の線の上ですよ」と言うのと「ナムカラタンノートラヤーヤー」が全部一緒なんです。エネルギーをどんどん高めていく時にすごく良いんです。

【まさとみ☆】読みながら動くのですか?

【デューク】僕の「しゃべりながら動く」ことの原点なんです。

【まさとみ☆】シュッシュッと息を吐きながらのウォーキング。まさしく呼吸法ですね。

【デューク】あれは「ダイヒシンダラニ」からきている呼吸法です。

お盆とは
命のバトンリレー


【デューク】僕の故郷では海に向かって「お帰りなさい」と、お盆の時は迎えいれる。今でもお盆は自分のところでやります。海外へ行っても、お盆やおふくろの命日はちゃんと。

【西田】東奔西走の毎日で、今年はお盆を忘れたとか、命日をうっかりしていたとか、ということはないんですか?

【デューク】それはありません。やることをやらなければならないという気持ちが僕の中にあるのと、神様や仏様は頼るものではなく信じるもの、という考えがあるから。今の人は、すぐ頼って自分の願いばかり言って、結果次第で「当てにならない」なんて言うけど、僕はそうは思わない。信じるものやから。

【西田】ご立派ですね。宮本武蔵の「神仏は尊し、されど神仏を頼まず」という言葉を思い出します。ところで、私はお盆とは過去の命が今に受け継がれ、今の命が未来に受け継がれて行くという、命のリレーを感じる機会だと思っているんです。デュークさんの中に、熊野の山を歩いたおじいさんの命があり、お父さんやお母さんの命がある。その命を受け継いでデュークさんが今を生きている。そして、デュークさんがお子さんと共にお盆や命日を忘れず営むことで、お子さんたちにその命が確かなものとして伝承され、デューク更家という父親もまたお子さんや未だ見ぬお孫さんや曾孫さんの中にいつまでも生き続けてゆくのだと思います。
 お盆とは、普段忘れがちな命の重さ、命の深さ、命の責任に思いを致す機会ではないでしょうか。失礼ながら、一見イメージが異なるデュークさんが、生活の中でそのことを大事にされていたことに驚きました。

【デューク】ちょうどお盆の時にはモナコなんです。だから、お盆はいつでもモナコで過ごすんですが、「うちの新宮ではこういうことをしたよ」と、モナコの海に連れて行き、石を積んで「おじいちゃん、おばあちゃん、お帰りなさい」って、迎え火を焚き、花火をして、モナコの野菜をお供えします。子どもはすごく喜びますよ。

【西田】モナコでのお盆、見てみたいですね(笑)。

【デューク】モナコで迎え盆をしているのはうちだけです。他には誰もやっていません。(笑)。でも、僕は親にしつけられた良いことは絶対子どもにもつないでゆこうと思って、モナコにいる時にはモナコで、日本にいる時には日本でお盆を迎えます。

【西田】そのお盆なんですけど、今日本で行われているお盆は、真夏の猛暑の中、僧侶がお檀家さんの家を訪ね、一軒づつお経を読んで歩いていますよね。でも、昔は亡き人の為に僧侶にご馳走を振る舞うのがお盆だったんです。うらやましいですね(笑い)。
 『仏説盂蘭盆経』というお経には、「自恣の日」といって、外出することなく90日間修行した僧がその間心ならずも犯してしまった過ちを自ら反省しあう日が自恣の日ですが、これが7月15日だったのです。いわば、この修行を積みその間の反省が終わった最も理想的な僧に食事をふるまうことが亡き人への最高の供養とされたわけです。これは、仏・法・僧の三宝に対する帰依を象徴したものと考えられます。この7月15日が陰暦であったため、太陽暦採用後も農業の都合などもあり地方では陰暦の7月15日、つまり太陽暦の8月を採り「八月盆」となり、都市部では太陽暦7月で「七月盆」となったのです。これが大変都合よく、地方から都会に出て働いている人達が御先祖の供養を兼ねてお盆に帰省する習慣が出来たわけです。もっとも、最近はお盆とお正月は「民族大移動」などと言って、国内外に旅行する人が増えて御先祖様は寂しがっていますが・・・。

【デューク】お盆も正月も旅行のための手段になっていますよね。

【西田】たとえモナコにいても、昔ご自分が習った行事を実際に行い、お子さんたちに命の奥深さを伝えておられるデュークさんは素晴らしいですね。

【デューク】お盆というのは旅行に行くものではなく、本当は先祖をお迎えするものだと分かってもらえると良いんですよね。

【西田】お盆になるとよくお子さんたちに尋ねられるんですが、「おじいちゃんや、おばあちゃんは本当に帰って来ているの?」と。よく聞いてみると、お父さんやお母さんにきいたら「そんなこと分からないよ。お坊さんが来たら聞いてみな」と言われたと言うんです。(笑)。親が答えられないんですね。
 子どもに尋ねられたら、盆棚や仏壇の前に連れて行き、お灯明を点け、お線香を上げさせて、子どもと一緒に手を合わせ、「どうだ、おじいちゃん帰って来てるだろう。おばあちゃんがいるだろう」と教えてあげたら良いんですけどね。御先祖というものは、何か得体の知れないお化けみたいなものではなく、実際に行う行為の中に存在する、行為に宿るものなんですよ。

【デューク】「本当におった?」と言われたら、僕はいつも「おると思う」と答えます。今ここにも、僕はおふくろがいるつもりで手を合わせますし。

【西田】いいですね。悪いことができなくて。(笑)。先祖を持つとか、亡くなった親を感じる、もちろん生きていてもいいんですが、感じるとか、意識するということは、自分だけで済む問題ではないということです。

【デューク】自分の思いの中にあれば良いんですよね。

「故郷」と「モナコ」
それは「陰」と「陽」


【デューク】僕のお母ちゃんは面白いひとで、「お母ちゃんも辛いし、みんなで死ぬ練習をしよう」と言って僕のポケットに石を入れ、お姉ちゃんの洋服の中にも石を入れて、みんなで手をつないで波打ち際を腰まで入ったことがあるんです。それから、お母ちゃんは「よし、ここで終わり。もう死んだで。また頑張ろう」と。

【西田】立派なお母さんですね。

【デューク】素晴らしいです。死を僕に教えてくれた人です。ポケットに石を入れられながら「本当に死ぬのかな」と。3月だったので足を入れるとまだ冷たくて……。でも、何かすごいことを教えられたような気はしましたね。
 それが僕の中にいつもこびりついていて、商売でどんなに辛かった時でも「明日は明日」。人に嫌なことを言われても「まぁ、いいか」。あまり固執しないでいい自分というのが楽でした。お母ちゃんの教えを弟子達にも教えていきたいなと思っています。
 田舎の海を見ると辛いんです。僕にとっては、あまり楽しい思い出の海ではないんです。ところが、モナコの海に行くと、家族とのすごく楽しい思いばかり。ちょうど僕の中で田舎の海が陰、モナコの海が陽として重なるんです。子供を育てる時は陽の海で、お盆をモナコの海で家族が一緒に手を合わせるのもいいかなぁて。

【西田】お若い頃の失敗を乗り越えて、現在モナコから世界に向かってデュークズウォークを発信出来るまでになられたのは、そういうお母さんの教えがあったからなんですね。陰と陽の発想、面白いですね。お盆には迎え火や送り火をしますが、あれは陰陽道からきているらしいのです。陰陽道ですから、すべての成り立ちや現象を陰と陽でとらえるわけです。火は空に向かいますから陽で、魂魄の魂、つまり心ととらえ、水は大地に吸収されますから陰で、魂魄の魄、つまり肉体ととらえるわけです。
 今、デュークさんが田舎の海を陰と言い、モナコの海を陽といわれましたが、デューク更家という人格も陰と陽で成り立っているわけです。モナコで過ごすデュークさんを田舎での陰の部分が正に陰で支えているわけでしょう。

【デューク】陽だけだったら、たぶん成り立たないでしょうね。海外にいるからこそ日本人の魂の良さ、日本人の特性の良さがわかります。そこをきちんと、子供や弟子達に伝えたいと思っています。

日本中を元気にしたい
それが最後のリベンジ


【デューク】ある程度、自分の家族が僕のような思いをしないで良いところまでお金はつくりました。「お母ちゃん、一緒に貧乏したけど、今はこうなったよ」という気持ち。お母ちゃんのリベンジみたいな気持ちがあるんです。そして、お母ちゃんの最後のリベンジとして、自分のお金を土に返したいと思っています。

【まさとみ☆】
最後のリベンジですか?

【デューク】ウォーキングパラダイス計画というのがあり、今着々と弟子を育てているのはそこなんです。今の日本には人が元気になる場所がないと思うんです。何か、窮屈で窮屈で。僕は日本中に元気になる場所を作りたいんです。朝から晩までオープンしていて、そこは無料でウォーキングができて元気になる。こんな話をするとすごいええことばっかり言っているように聞こえるかもしれんけど。僕は悪い面もいっぱいあるし欠点だらけの人間なんです。でもやっぱり最後は色々なことをやってきた罪滅ぼしをしたいんです。お母ちゃん一人助けられなかった自分があって、お母ちゃんみたいにもっと生きたかったのに「残念やなぁー」と言って死んでいく人は沢山いるんだと思うんです。そういう人達に、最後の最後に「ああ、よかったな」と思って頂ける場所があったらいいなぁと。そんな場所を僕は絶対作りたい。それまでは僕は死んでも死にきれないです。

【西田】ウォーキングパラダイス計画、大変感銘しました。ご自分が成功して万々歳ではなく、お母さんの無念を恨みとして引き継ぐのではなく、お母ちゃんのリベンジとして同じような境遇にある人達に元気になって欲しいと願う姿勢。素敵です。

【デューク】僕の後を継ぐのは、一生懸命やってきたやつがやればいいと思っています。僕の夢の最終的なところは、ウォーキングパラダイス計画に僕がつくった財産を潔く全部差し出してしまおうって、いうこと。

【西田】仏教で「布施」って言うと、お寺に差し出すお経料なんて思っている人もいますが(笑)。布施というのは、自らに見返りを求めず、ただひたすら他に尽くしてゆくことなんです。お金でも、物でも、時間でも。デュークさんが今語られた夢は、正に布施に生きるということで、菩薩さまの生き方ですよ。

【デューク】昔の夜店みたいに、そこへ行ったら何かみんなが楽しめる。楽しいから家族で来るようになる場所、自由にできる場所になれば面白いなぁーて、思ってます。

【まさとみ☆】お祭りみたいでいいですね。

【デューク】そうです。最終的に、僕はお祭りを考えているんです。あまり難しく、堅くガチガチなものではなく、自由に色々な人が色々な所からやって来て、自由に帰る。  それは自然発生的なものとして、こっちからあまり仕組んではいけないと思うんです。仕組まないでそういう形までいったら、素晴らしいものになるだろうと思っています。

【西田】本当にパラダイスですね。

【デューク】パラダイスという言葉がぴったり当てはまるようなことを夢に描いています。

【西田】お寺を会場にしたらどうですか?  是非うちをご利用下さい。

【デューク】その時はきちんと口説きに行きますので(笑)。