「世界の核兵器数」出典:全米科学者連盟調べ、退役・解体待ちなどを除く
核兵器数 | 世界の動き | 核軍縮 | |
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1942 | 米、研究炉で臨界達成 | ||
1945 | 米、世界初の原爆実験 | ||
広島・長崎に原爆投下 | |||
1946 | 米、ビキニで原爆実験 | ||
1949 | ソ連、初の原爆実験 | ||
1950 | 朝鮮戦争勃発 | ||
1952 | 英、初の原爆実験 | ||
米が水爆実験 | |||
1953 | ソ連、初の水爆実験 | 米、核の平和利用提唱 | |
1954 | 米、ビキニで水爆実験 | ||
第五福竜丸「死の灰」 | |||
世界初の原子力潜水艦 | |||
1955 | 広島で原水禁世界大会 | ||
1957 | ウラルの核惨事 | ||
英、初の水爆実験 | |||
IAEAが発足 | |||
1958 | 日米原子力協定発効 | ||
米英ソ核実験停止会議 | |||
1960 | フランス初の原爆実験 | ||
1962 | キューバ危機 | ||
1963 | 米英ソ、PTBT調印 | ||
1964 | 中国核実験、保有国5に | ||
米、ベトナム軍事介入 | |||
1968 | フランス、初の水爆実験 | NPTに62カ国調印 | |
1970 | 核不拡散へNPT発効 | ||
1972 | 米ソ、SALTⅠ調印 | ||
ニクソン米大統領訪中 | |||
1973 | ベトナム和平協定調印 | ||
1974 | インドが地下核実験 | ||
1975 | 米「核の傘」提供表明 | ||
1976 | 日本、NPTに加盟 | ||
1979 | 米スリーマイル島原発事故 | 米ソ、SALTⅡ調印 | |
ソ連軍、アフガン侵攻 | |||
1980 | イラン・イラク戦争本格化 | ||
1985 | ソ連ペレストロイカ | ||
1986 | チェルノブイリ原発事故 | ||
1987 | 米ソ、INF全廃条約署名 | ||
1988 | INF全廃条約発効 | ||
1989 | ベルリンの壁崩壊 | ||
マルタ会談、冷戦終結宣言 | |||
1991 | 湾岸戦争始まる | 米ソSTARTⅠに調印 | |
ソ連崩壊、冷戦終結 | |||
1993 | 米ロ、STARTⅡ署名 | ||
1994 | 北朝鮮がIAEA脱退 | ||
1995 | NPT無期限延長決定 | ||
1996 | CTBT、国連で採択 | ||
1998 | 印・パキスタン核実験 | ||
2001 | 米NY、同時多発テロ | ||
2002 | イラン核開発疑惑発覚 | 戦略攻撃戦力削減条約 | |
2003 | イラク戦争始まる | 北朝鮮NPT脱退宣言 | |
2005 | 北朝鮮が核兵器保有宣言 | ||
2006 | 北朝鮮が初の核実験 | ||
2008 | 米印原子力協定発効 | ||
2009 | 北朝鮮2度目の核実験 | オバマ氏がプラハ演説 | |
2010 | NPT再検討会議 | ||
2011 | 福島第一原発事故 | 新START発効 | |
2013 | 北朝鮮3度目の核実験 | ||
2015 | NPT再検討会議決裂 | ||
イラン核協議の最終合意 | |||
2016 | 北朝鮮4度目と5度目の核実験 | ||
米大統領初の広島訪問 | |||
2017 | ICANにノーベル平和賞 | 核兵器禁止条約採択 | |
北朝鮮6度目の核実験 | |||
2018 | 核戦略見直し(NPR) | ||
米、INF全廃条約の破棄を表明 |
1945年8月6日午前8時15分、米軍は約35万人が暮らしていた広島市に原子爆弾を投下、街は焦土と化した。9日午前11時2分、約24万人が住んでいた長崎市にも原爆を落とした。その年末までに広島で約14万人、長崎では約7万人が亡くなった。
写真特集「ヒロシマ カメラの証言」 これが被爆4日後のヒロシマ 360度パノラマ写真に1946年7月、ビキニ環礁で行われた核実験(AP)。その後も実験は続けられた
米国は1946―58年にマーシャル諸島で計67回の核実験を繰り返した。54年3―5月にビキニ環礁で6回の水爆実験を実施。3月1日には第五福竜丸の船員23人が被曝し、半年後に1人が死亡した。「ブラボー」と名づけられた水爆の威力は広島型原爆の約1千倍。第五福竜丸の被害は、のちに「ビキニ事件」と呼ばれた。
ビキニ核実験米国のアイゼンハワー大統領が1953年12月8日に国連総会で行った演説の題名。米国による核技術の独占を過去のものと認め、原子力の平和利用を訴えた。国際原子力機関(IAEA)の設立についても言及した。(コトバンク デジタル大辞泉)
キシュティムの碑。リクビダートルたちに捧げられている=副島英樹撮影
1957年9月29日、南ウラルの核兵器工場で起きた放射能大量放出事故。チェルノブイリ原発事故に次ぐ規模といわれる。汚染範囲は長さ約300キロ、幅約50キロに及び、住民1万人が緊急避難した。工場は初の原爆を製造した49年にも、廃液のたれ流しで住民約10万人が移住させられる放射能汚染を起こした。(1991年3月5日 朝日新聞朝刊)
核リポート (核リポート)特別編:隠された核惨事、命を賭した人々(2015年10月21日掲載)ウィーンで5月撮影(2015年 ロイター/Heinz-Peter Bader)
原子力の平和利用推進と軍事転用防止を目的とした国際機関。核拡散防止のための査察を担うため「核の番人」と呼ばれる。米国の提唱で1957年に設立。本部はウィーンで、145カ国が加盟。理事会は、国連安保理常任理事国5カ国と日本やドイツ、インド、ブラジル、南アフリカなど計35カ国で構成する。
当時の紙面
1962年10月、米政府はソ連がキューバに中距離ミサイル基地を建設中と発表した。ケネディ大統領は軍の主張する空爆案を退け、ソ連にミサイル撤去を要求して、海上封鎖を行った。さらに、非公式にはトルコの米ミサイルの撤去を約束するなど外交を巧みに組みあわせて撤去を勝ち取った。決着に至る13日間は、一歩間違えば全面核戦争に突入する緊張の連続だった。
大気圏内、宇宙空間、水中の核実験を禁止した条約。地下の核実験は禁止しない。1963年、米ソ英が調印・発効。すでに地下核実験の技術をもっていた米ソ英は、以後、地下核実験に移行した。また、地下核実験の技術をもたない仏、中など当時の非核保有国の核実験を制約する意図もあった。(コトバンク 知恵蔵2015)
米・英・ロ・中・仏の5カ国だけに核兵器の保有を認める条約。この5カ国以外に核兵器の製造や取得を禁じる(不拡散)▽核軍縮交渉に誠実に取り組む▽原子力の平和利用を認める――ことを3本柱とする。191カ国・地域が締約。核保有国のインド、パキスタン、イスラエルは非締約。北朝鮮は脱退を宣言している。(2015年10月4日 朝日新聞朝刊)
1969年に開始された米国・ソ連間の戦略兵器制限交渉。第一次(SALTⅠ)は72年暫定協定を結び、第二次(SALTⅡ)は1979年条約調印したが発効しないまま1985年失効。(コトバンク デジタル大辞泉)
スリーマイル島原発は現在も稼働中=米ペンシルベニア州ミドルタウン
1979年3月28日、2号機で給水ポンプが動かなくなり、人為ミスなどが重なって炉心溶融に至った。放射性物質を含む汚染水が建屋内に漏れた。米原子力規制委員会(NRC)などによると、住民への明確な健康影響はなかったとされる。国際的な事故評価尺度(INES)では、最悪レベルである旧ソ連のチェルノブイリ原発、福島第一原発のレベル7に次ぐレベル5。
事故直後のチェルノブイリ原発4号機=アレクサンドル・ボロウォイ博士提供
1986年4月に起きた史上最悪の原発事故。4号炉で試験運転中に事故を起こした。発生から10日間で福島第一原発事故の約6倍の520京ベクレルの放射性物質を放出した。2週間以内に住民11万6千人が避難。4号炉をコンクリートの壁で覆った「石棺」は兵士ら60万人が動員され、わずか半年で造った。
特集「チェルノブイリ事故」射程500~5500キロの中距離核戦力(INF)を全面的に禁止する米国とロシア(締結時はソ連)の間の条約。1987年の首脳会談で署名され、翌88年発効。ソ連崩壊後はロシアが継承。核兵器の削減を決めた初めての条約で、これにより地上配備の中距離核ミサイルが欧州から撤去された。世界全域でのINFの生産・実験・保有を将来にわたって禁止している。(コトバンク デジタル大辞泉)
第一次のSTART1は1991年7月、米国とソ連の間で調印され、94年12月、発効した。戦略核弾頭数を旧ソ連側が6500発(調印前は1万900発)、米国が8600発(同1万3000発)に削減する内容。ソ連の崩壊で、旧ソ連の核を引き継いだロシア、ウクライナ、ベラルーシ、カザフスタンと米国との計五カ国の条約に改められた。START2は93年1月、米ロ間で調印され、2003年までに戦略核弾頭数の上限を3000―3500発に削減するなどとした。(1995年6月6日朝日新聞朝刊)
1996年に国連総会で採択された。63年発効の部分的核実験禁止条約(PTBT)で対象外だった地下も含め、あらゆる核実験を禁じている。署名国は181カ国で、日本など148カ国が批准した。発効には特定の44カ国の批准が必要だが、米国、中国、イラン、イスラエル、北朝鮮、インド、パキスタンなど9カ国が未批准。(2009年8月7日 朝日新聞朝刊)
米国からインドに対し、民生用の原子炉や核燃料輸出を可能にする協定。両国が2007年に締結した。インドは原子力施設を民生用と軍事用に分け、民生用について、IAEAの査察を受けることを条件としている。
2009年4月、チェコ・プラハで演説し、「核なき世界」を訴えたオバマ米大統領=AP
チェコの首都プラハで2009年4月5日、オバマ米大統領が「核なき世界」を目標に掲げた演説。「核兵器を使ったことのある唯一の核保有国として、行動する道義的責任がある」と述べ、目標に向けた道筋を示した。オバマ氏はその年のノーベル平和賞を受賞。11年には、米ロで戦略核の配備弾頭数を1550に制限する新戦略兵器削減条約(新START)を発効させた。 プラハ演説
NPT(核不拡散条約)再検討会議対立の構図(2015年5月11日朝日新聞デジタル)
核不拡散条約(NPT)に基づいて、核軍縮・不拡散の進展を確認するため、5年に1度開催。191カ国・地域が参加した4~5月の会議では、中東非核地帯構想をめぐり、米国、英国、カナダが最終文書案に反対して採択できなかった。 (2015年7月30日 朝日新聞朝刊)
核疑惑をめぐり協議を続けてきた米英独仏中ロ6カ国とイランが2015年7月、13年がかりで最終合意に達した。イランは10年以上にわたり核開発を大幅に制限し、軍事施設への査察も条件付きで受け入れる。核不拡散条約(NPT)体制のもと、外交交渉で新たな核兵器保有国ができるのを防ぐ歴史的合意となった。
原爆死没者慰霊碑への献花を終え、演説するオバマ米大統領(中央)と安倍首相=2016年5月27日午後5時49分、広島市中区の平和記念公園、代表撮影
2016年5月27日、現職の米大統領として初めて被爆地を訪問。原爆資料館を見学し、原爆死没者慰霊碑に献花、黙祷(もくとう)した。被爆者とも言葉を交わした。演説では「核兵器なき世界を追求する勇気を持たなければならない」「いつかヒバクシャの声が聞けなくなる日がくるだろう。しかし記憶を薄れさせてはならない」と訴えた。(2016年8月6日 朝日新聞朝刊)
核兵器禁止条約の採択後、「前進し、世界を変えよう」と力強く演説し場内から大きな拍手を浴びるカナダ在住の被爆者サーロー節子さん(中央)=2017年7月7日、ニューヨークの国連本部、松尾一郎撮影
2017年7月7日、122カ国の賛成多数で国連で採択された。核兵器の製造や保有、使用に加え、その援助や使用するとの威嚇も禁止。また、核実験被害者の支援や汚染された環境の改善措置を盛る。2019年12月現在、80カ国が署名し、34カ国が批准を済ませているが、核保有国や日本を含む「核の傘」依存国は背を向けている。50カ国が批准した90日後に発効。
ノーベル平和賞を授与され、笑顔を見せるサーロー節子さん(中央)。右は「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)のベアトリス・フィン事務局長=2017年12月10日午後、オスロ、林敏行撮影
核戦争防止国際医師会議(IPPNW、1985年ノーベル平和賞受賞)を母体とし、2007年にウィーンで発足。日本のピースボートなど101カ国に468のパートナー団体を持つ。スイスのジュネーブと豪州のメルボルンに事務所を置く。有志国政府と連携して国際会議へのNGOの参加を促したり、核兵器禁止条約を求める国際世論を高めたりするために、メディアやネットを使ったキャンペーンを展開してきた。17年10月、「核兵器禁止条約」の成立に大きく貢献したとしてノーベル平和賞に。 (2017年10月7日 朝日新聞朝刊)
2019年1月17日、米国防総省でミサイル防衛について演説するトランプ米大統領=バージニア州アーリントン、ランハム裕子撮影
今後5~10年の米核政策の指針となる米政府の報告書で、トランプ政権では初めて。トランプ大統領が昨年1月の就任直後に核兵器の近代化などを盛り込んだ新NPRの策定をマティス国防長官に指示した。NPRは1994年、2002年、10年に続いて今回で4回目。機密扱いになっていたブッシュ(子)政権下の02年のNPRでは「多用な威力の核戦力があれば、様々な敵を抑止できる」と記載したとされる。オバマ前政権の前回は、核兵器の役割や規模を小さくする方針が示された。(2018年1月13日 朝日新聞朝刊)
国別の核兵器保有数(2019年1月31日朝日新聞デジタル)
2018年10月、トランプ米大統領がINF全廃条約を破棄する方針を表明。翌年2月にロシアへ正式通告した。ロシアなどから強い反発が出ており、軍拡競争が加速する恐れがある。トランプ氏は「ロシアは長年、条約違反をしてきた。我々は合意を破棄し、離脱する」と明言した。米国が米ソ間の軍縮条約を破棄するのは、2002年にブッシュ政権が弾道弾迎撃ミサイル(ABM)制限条約から脱退して以来。(2018年10月22日 朝日新聞朝刊)
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