京都から下関まで14時間半 「偉大なるローカル線」に乗ってみた

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鈴木智之
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 書店で売られている鉄道時刻表の地図をご存じだろうか。

 およそ正確とは言い難い形をした日本列島の中にいびつな曲線が何本もひかれ、ぎっしりと駅名が詰まっている。

 記者の私(31)は、旅のロマンが凝縮したこのページの20年来の愛読者だ。食い入るように見つめたあげく、この冬、乗ろうと決めたのは「偉大なるローカル線」こと、JR西日本の山陰本線だった。

 古都の玄関・京都駅から本州最西端の山口県下関市・幡生(はたぶ)駅までを結ぶ673・8キロの鉄路。これを1日かけて乗り通すことにしたのだ。

 東海道・山陽新幹線を使えば3時間ほどの距離を、起点から終点まで乗り通す人間はまあまれだろう。同好の友人から、せめて1泊すれば、と至極まっとうなアドバイスを受けたが、無視した。行程上に日中は運休する区間があってやむをえなかったこともあるが、「1日で乗る」こと自体に意味を見いだしたかったからだ。

 支線を除けば、山陰本線は東京と大阪・神戸を結ぶ東海道本線をも上回る日本最長の在来線なのだ。だから、きっと達成感も日本一なのではないか、と勝手に考えた。

 記者としての興味もあった。ローカル線としてご多分に漏れず乗客の減少が続き、全体の半分の区間では輸送密度(1キロあたりの1日平均乗客数)が2千人を切っている。JR西日本の社長が「大量輸送機関である鉄道としての特性が生かせず、非効率」と言い切る厳しい状況だ。

 「今のうちに乗って、この目でみておきたい」。休みをとった私は1月のある朝、京都駅に向かった。

【8時38分・0キロ・京都発(特急はしだて1号)】

 肌寒い京都駅。立派な駅ビルに守られるように、すみにある山陰本線のホームで出発を待っていたのは特急はしだて1号だ。名前からわかるように、天橋立(あまのはしだて)に向かう電車だ。後ろにはこれまた文字通り、東舞鶴(まいづる)駅行きの特急まいづる1号をつないでいる。

 定刻で出発した特急は静かに速度を上げ、あっという間に京都の市街地、そして観光名所の嵯峨嵐山(さがあらしやま)を通過した。トンネルと橋で保津峡(ほづきょう)を抜ければ、田園や山が続く風景に変わる。車窓は曇り空だが、日本海とともに過ごす旅の序章にはふさわしいのかもしれない。私は都合良く考えた。

 9時54分、福知山駅(京都府福知山市)着。はしだて1号はここから京都丹後鉄道へ乗り入れる。兵庫、鳥取、島根、山口へと、山陰本線をたどるつもりの私は乗り換えが必要だ。

【9時55分・88キロ・福知山発(特急こうのとり1号)】

 次のこうのとり1号はホームの向かい側にとまっていた。福知山線経由で新大阪からやってきた特急電車だ。「2本連続で特急を使うなんて無粋だ」と思われるかもしれない。だが、この後の行程を考えれば、体力を温存しておきたかった。

 私は鉄道に乗ることが好きな、いわゆる「乗り鉄」だ。中学校では鉄道部に所属していた。関西に住んでいたので、このあたりまでは何度となく利用したことがある。見慣れた沿線でも、春夏秋冬移ろいゆく車窓は面白い。積雪を見ると、日本海に近づいているということを実感する。

 10時48分、あっという間に豊岡駅(兵庫県豊岡市)に着いた。かばんの生産量日本一で知られるまちだ。こうのとりは城崎(きのさき)温泉駅まで行くが、次の普通列車の始発がここだったので、特急料金の節約のために降りた。

【10時56分・148キロ・豊岡発(普通)】

 さてついに普通列車がお目見えした。うっすら積もった白い雪に映える朱色の「キハ47」。国鉄時代に製造された「気動車」で、重厚感のあるいかめしい顔つきをしている。

 気動車というのは、これまで乗ってきた特急のように、架線から電気を取り入れてモーターで走る「電車」とは違う。基本的にディーゼルエンジンで軽油を燃やして走り、ディーゼルカーとも呼ばれる。キハ47の座席は硬く、特急のようなリクライニングはもちろんない。

 車両のグレードは大幅に落ちたが、ローカル線らしさはいくぶん増した。普段出会えない気動車に乗り込み、私は思わず笑顔になった。

 豊岡駅を出た列車は、十数人の乗客を乗せ、エンジンのうなりを上げた。豊岡市内の玄武洞(げんぶどう)、城崎温泉と、観光名所の名を冠する駅に続けて停車した。

 ここからしばらくは、架線がない「非電化区間」で、気動車しか走れない。

 鳥取駅(鳥取市)までの72・3キロは、輸送密度が1千人を下回る区間でもある。

 JR西の長谷川一明社長は昨年、私も加わった朝日新聞のインタビューで、輸送密度2千人以下の区間について、「非効率だ」と言い切り、「民間企業として続けていくことが、現実的に難しくなっている」と語った。

 山陰本線ではほかに、出雲市駅(島根県出雲市)―小串駅(山口県下関市)の265・6キロなども輸送密度が2千人に届かない。つまり、「偉大なるローカル線」もおよそ半分が、存続の岐路にさしかかっているということになる。

 やがて、白い波しぶきを上げる荒々しい海が車窓に広がった。思った通り、日本海は曇天にも似合う。

 眼前の海と漁師町の景色を堪能していたら、11時40分、終点の香住(かすみ)駅(兵庫県香美(かみ)町)に着いた。立派な駅舎だが、駅員の姿はない。合理化策はすでに進んでいる。

 昼食のため、この駅では50分ほど乗り継ぎの時間を取った。途中下車し、駅前を散策すると目に入ったのは寒風に揺れる「味自慢 かにうどん」の旗だった。

 冬の日本海と言えばカニだ。迷うことなく店に入った。だしは澄み、カニのほぐし身がたくさんのっていて、こしのある麺にも合った優しい味わいだった。

【12時31分・180キロ・香住発(普通)】

 腹を満たされて駅に戻ると、高校生が「雪だ」とつぶやいていた。小雪が舞う中、ここで見られるとは思わなかった緑色の超豪華列車が姿を現した。寝台気動車の「トワイライトエクスプレス瑞風(みずかぜ)」が私の目の前をゆっくり通過していった。死ぬまでに一度は乗りたい列車だが、料金が高過ぎる。夢のまた夢だ。

 私が乗るつもりの普通列車は、定刻の約10分遅れでやってきた。今回も朱色の古豪「キハ47」だった。山陰線は路線名こそ「本線」だが、京都の近郊を除き、中心となって活躍しているのは1、2両編成の普通列車だ。「偉大なるローカル線」は言い得て妙だ。

 鉄道ファンらが好んで使うこの表現の元祖は、鉄道旅行記で知られる作家・宮脇俊三(みやわきしゅんぞう)が約40年前に書いた「旅の終りは個室寝台車」(新潮社版)の中にある。

 当時の山陰本線には、機関車が客車を引っ張るタイプの列車が残っていた。宮脇はその中でも、当時日本国内で最長距離を走っていた普通列車(824列車)に乗り、「にっぽん最長鈍行列車の旅」として紹介している。

 門司(もじ)駅(福岡県北九州市)を早朝5時22分に出て、山陰本線を延々と東に走り、終着の福知山駅に着いたのはなんと深夜23時51分。「五九五・一キロを十八時間半かかって乗り通してこそ」という、「鈍行愛」あふれる紀行文だ。

 この中で、宮脇は同行していた小説新潮の編集者に対し、「名目上は幹線でも、まあローカル線を長くしたようなもので、いわば偉大なるローカル線ってところですな」と講釈するのだった。

 時を経て、宮脇らとは逆に西へ西へと向かう私の気動車は香住駅から10分ほどで、高さが40メートルほどもある余部橋梁(あまるべきょうりょう)にさしかかった。コンクリート製の真新しい橋の隣には古い鉄橋の一部が残る。

 1986年12月28日、ここを走っていた旧国鉄の回送列車が風にあおられ、カニ加工場に落ちた。従業員5人と列車の車掌1人が亡くなり、6人が重傷を負った。

 事故があった初代の鉄橋は2010年に架け替えられた。35年前の事故を思い、車内から黙禱(もくとう)を捧げた。

 13時54分、終点鳥取駅に着いた。昼過ぎだが、距離でみればまだ全体の3分の1強だ。

日が傾いても西へ西と進む記者。やがて闇に包まれた列車の乗客は、私だけになりました。後半ではローカル線に対する不安と希望もつづっています。

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