フジツボが貼り付く仕組みを応用、新しい「医療用接着剤」が瞬時に止血するメカニズム

フジツボにヒントを得た接着剤を使って患部を止血する方法を、米大学の研究チームが開発した。医師たちが絶賛するこの新しい手法は、いったいどのようなメカニズムなのか。
フジツボが貼り付く仕組みを応用、新しい「医療用接着剤」が瞬時に止血するメカニズム
解決したい問題があるのなら、進化の過程でその問題を解決した動物を見つければいい。PAUL MAGUIRE/GETTY IMAGES

大量出血という現象は、見方によっては“工学的”な問題でもあるらしい。「わたしたちの目には、あらゆるものが機械のように見えます。人間の体さえもです」と、マサチューセッツ工科大学(MIT)で機械工学を研究するリサーチサイエンティストのユク・ヒョヌは言う。「故障したり壊れたりすることもありますが、機械を扱う場合と同じやり方で問題を解決することもできるのです」

この現代において、毎年およそ190万人が失血によって命を落としている。外傷が原因の場合もあれば、手術台の上で亡くなる人もいる。

出血で濡れた体は感染症にかかりやすく、一刻も早い治療が必要だ。ところが、濡れた状態の傷口をふさぐ作業は難しい。そのうえ危険な出血を止めるために使われる一般的な医療製品のほとんどは、効果が出るまでに数分を要する凝血剤の働きに依存している。だが、その数分を待てない患者もいるのだ。

ユクの研究チームはこれまで7年間にわたり、従来とはまったく異なる止血法の開発に取り組んできた。接着剤を使う方法だ。具体的には、フジツボにヒントを得た接着剤を使用する。

ユクによると、フジツボはくっつきにくい面にしっかり貼りつくという難問を、進化の過程で解決してきたのだという。学術誌『Nature Biomedical Engineering』に2021年8月に掲載された論文のなかで彼らは、フジツボに着想を得たこの接着剤がいかに速やかに出血を止めるのかを解説している。


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生物の世界にヒント

実験においてユクは、まず広く外科医に使われている製品を使い、心臓や肝臓から出血するラット群への治療を試みた。これは失敗に終わり、出血は続いた。ところが別のラット群に研究チームが独自に開発した油性のペースト剤を使ってみたところ、「まったく同じ状態の傷口を、わずか10秒ほどでふさぐことができたのです」とユクは言う。

この接着剤のおかげでラットたちは生き延び、ユクらと共同で研究を実施しているメイヨー・クリニックのチームの実験対象となったブタたちも命拾いできた。こうしたエヴィデンスはまだ予備的なものではあるが、人間でも特に血管や心臓、肝臓に障害をもつ外科患者にとっては朗報になる。

「この接着剤に対する印象は『信じられないほど素晴らしい』のひと言に尽きます」と、スタンフォード大学心臓外科のレジデントであるハンジェイ・ワンは言う。ワンはこの研究には参加していない。「とにかくこの状況を切り抜けなければならない…といったとき、特に緊急医療の現場で発生するニーズに間違いなく応えてくれるはずです」

MITの技術者たちは、生物の世界にヒントがあるかもしれないと考えた。「自然界の進化を支える原動力は『生き残ること』です」と、ユクは言う。解決したい問題があるなら、進化によってその問題を解決した生物を見つければいいのだ。

自分たちが注目したのはフジツボだったと、彼は言う。フジツボは気味が悪いほど何にでもくっつく生き物だからだ。「岩にも錆びた鉄にも、クジラの皮膚やカメの甲羅のようにぬめりのある場所にも貼りついていますよね」

フジツボが貼り付く秘密

フジツボがどこにでも貼り付くのは、「額(ひたい)」に当たる部分にあるセメント腺から接着性のたんぱく質を分泌しているからだ。

しかし、その“秘伝のソース”…というより秘密のオイルとでも呼びたくなる物質には、さまざまな脂質成分が含まれている。たんぱく質が十分に接着効果を発揮できるよう、そのオイル成分が対象物の表面の汚れを洗い流しているのだ。「つまりフジツボは、狙った場所を自分たちが生息しやすいように整えているわけです」と、ユクはその即効性のある優れた接着力の理由を語る。

出血している生き物の傷口をふさごうとするなら、フジツボと同様の特別な力が必要になる。ユクによると、さまざまな血液細胞を含む血液は均質ではないことから、ある意味で「汚染された液体」なのだという。接着剤の働きを生かすには、これらの細胞を除去しなければならない。

そこで本物のフジツボを試験用の接着剤として使う代わりに、ユクらはフジツボのたんぱく質を一種の化学的基準として参照し、高圧のバリア物質を開発した。粘着性のたんぱく質粒子の代替品として、彼らが以前開発した生体適合性をもつ接着シートが再利用されたのである。

このシートは、さまざまな有機分子や水、甲殻類の外殻に含まれる糖質のキトサンでつくられている。フジツボはキトサンに似たキチンと呼ばれる物質を分泌する。またキトサンはすでに外傷被覆材として広く利用されている。ユクらはこの接着シートを低温粉砕機にかけ、直径100分の1ミリメートルほどの微細な破片に加工した。

血液をはじく撥血剤として彼らが用いたのは、手術器具用の不活性潤滑剤として、また網膜剥離患者の硝子体液の代用品として、すでに医療の現場で使われているシリコーンオイルだった。こうして粉砕した接着シートの微粒子とこのオイルを混ぜ合わせ、見た目も触感も歯磨き粉のような白く濁った接着剤が完成した。

フジツボは汚れをはじくオイルを分泌し、船底やクジラの胴体に貼りついている。PHOTOGRAPH BY HYUNWOO YUK

生きた動物でも実験は成功

完成したペースト剤は、組織サンプルをいかに隙間なく素早く密封できるかを審査する一連の厳しいテストを通過した。

ユクがシリンジを使ってブタの心臓の断片にペーストを絞り出し、小さな金属ヘラを上から押し当てる。すると、その勢いでシリコーンオイルが接着面の細かいゴミや液体を押し流した。それと同時に粘着性の微粒子の塊と、組織の表面から突き出したたんぱく質の周縁部とが固く結びつく。こうしてペースト剤は、わずか数秒のうちに組織に強力に貼りついた。

続いてユクは、フジツボにヒントを得た接着剤を、外科医が使用する止血用ペースト剤「SURGIFLO」や凝血パッチ剤「TachoSil」といった製品と比較してみた。その結果、「フジツボ接着剤」は既存製品の8倍の接着強度をもつことがわかった。また、切除したブタの大動脈を使って接着部が破れる限界値を示す「バースト圧」を測定したところ、ユクの接着剤は血流から予測される数値の2倍の圧力に耐えたという。

この結果に力を得たユクらのチームは、発明の成果を生きた動物でも試してみることにした。心室の筋肉につけられた直径2mmの傷口から出血しているラット群を麻酔下におき、「フジツボ接着剤」または既存製品の「SURGICEL」と「COSEAL」のいずれかを使って止血を試みた。

すると「フジツボ接着剤」のみが、脈打つ心臓の動きに邪魔されることなく傷口をふさぎ、出血は数秒のうちに止まった。その模様はこちらの動画でご覧いただけるが、映像が生々しいのでご注意いただきたい。「非常に衝撃的な映像でした」とユクは言う。

医者も驚く効果

さらにユクたちは、ラットの肝臓でも同じように実験した。動物の体内で血管が最も多く集まる肝臓は、出血の研究において重要な意味をもつ臓器だ。

このときも出血は数秒で止まり、2週間が経過しても心臓と肝臓の穴は変わらずしっかりふさがれていた。「ラットは麻酔から覚め、回復しました。観察室にいるあいだじゅう、そのラットをなでてやりましたよ」とユクは語る。

フジツボにヒントを得て、粘着性の微粒子とシリコーンオイルを混ぜてつくった接着剤。オイルが接着面の血液をはじいて取り除く。PHOTOGRAPH BY HYUNWOO YUK

続いてブタを使った実験をすることになり、ユクは大型動物を扱う設備が充実しているメイヨー・クリニックの研究チームに協力を求めた。彼らは血液に自然に備わっている凝固力に頼ることは避けたいと考えた。手術中の患者は血液を固まりにくくする処置を受けていることが多いからだ。

このため実験用のブタ3匹には、事前に抗凝血剤のヘパリンを投与した。その後、3匹それぞれの肝臓に幅1cm、深さ1cmの穴を3つずつ開け、計9つの傷口を「フジツボ接着剤」のペーストと凝血パッチ剤TachoSilのいずれかを使って治療した。

チームに所属する獣医のひとりであるティファニー・サラフィアンは、こんな接着剤はいままで見たことがないと語る。「ペーストを塗布したら、あとは数秒間待つだけです」と彼女は処置の様子を振り返る。「術野から手を離すと、『待って、もう出血が止まってる!』という感じで、本当にびっくりしました」

サラフィアンは当初、比較のために使ったTachoSilが3分ほど経っても効かなかった場合、ブタを生かすために抗凝血剤を体外に出し、自然に血を固まらせて傷を治そうと考えていた。ところが、もっと早く出血を止めようと、彼女はとっさに別の行動をとった。豆粒大の「フジツボ接着剤」を傷口に絞り出したのだ。「奇跡の接着剤と呼んでいいほどだと思います」と彼女は言う。

患者の救命率を向上させる

公平を期すために言うと、TachoSilのような凝血パッチ剤は、凝血不能な傷を負った組織からの大量出血を止めるために開発された製品ではない。しかし、医療の現場ではそうしたニーズが満たされないままになっているのだと、メイヨー・クリニックのチームメンバーで心臓麻酔医と救命救急医を兼務するクリストフ・ナブズディクは指摘する。

「高齢化が進むにつれ、後天的に出血性の病気を患う人や、抗凝血剤を処方される患者がますます増えています」と、ナブズディクは言う。「出血とその管理に関する問題は非常に重要です」

さらにナブズディクとサラフィアンは、大量出血を止められるうえに濡れた傷口にも使える安価な接着剤を常備できれば、患者の救命率は向上するだろうと語る。特に荒地や戦闘地域、発展途上国といった、外科的な医療資源が不足している場所で役に立つはずだという。

「原料に目新しいものはひとつもありません。しかし、このコンセプトは非常に魅力的で斬新です」と、ハーヴァード大学医学大学院の研究室で室長を務める生体医学工学者のシュライク・チャンは言う。シリコーンオイルや接着成分といった原料はいずれも珍しいものではないが、それらを組み合わせることで素晴らしいものが生まれる。「結論を出すには早すぎますが、動物実験のデータにはかなり説得力があります」と彼は語る。

課題を克服できるか

しかし、スタンフォード大学心臓外科レジデントのワンによると、この接着剤を人間の治療に用いるには改善すべき点がまだいくつかあるという。緊急処置として傷口をふさいだり、周辺の健康な組織にこびりついたりした接着剤の塊が、その後の外科治療を難しくする可能性があるのだ。「問題は、あとでその箇所を手術できるかどうかです」と、彼は言う。

そこでユクらのチームは、「フジツボ接着剤」をはがす方法を考案した。ラットを使った予備実験の結果は良好だという。

彼らは接着剤がどれだけ長持ちするかを見極めたいとも考えている。組織が自然に治癒するまで溶けずにいることが理想だが、永久にそのままであっても困る。

こうしたなかラットを使った別の実験の顕微鏡画像から、「フジツボ接着剤」は12週間以内にほとんど溶けてしまうことが新たにわかった。傷の具合や回復状況にもよるが、十分な日数と言えるだろう。

もうひとつの課題は、ほかの接着剤のなかには時間が経つと組織を殺してしまうタイプのものがあるということだ。ワンもユクも、長期的な調査が不可欠だろうと指摘している。これまで最長の観察期間としては、ブタを使ったメイヨー・クリニックの実験で、接着剤を塗布してから約1カ月後に臓器からの出血が確認された例がある。

信頼性の高い縫合糸に代わって接着ペーストが使われるようになるには、まだ多くの年月が必要かもしれない。だが、外科医も機械技術者たちも、患者の体を素早く元に戻し、機械に油を差すように再び動かしてくれる優れた接着剤の登場を心待ちにしている。

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TEXT BY MAX G. LEVY

TRANSLATION BY MITSUKO SAEKI