「野球は相手がいてこそ…」対戦チームへの気遣い、当たり前の光景に
(20日、第105回全国高校野球選手権記念大会 休養日)
自分が同じ立場ならできないな、と思った。
19日の準々決勝、沖縄尚学―慶応(神奈川)の八回。5点を追う沖縄尚学は1死一、二塁から主将の佐野春斗が初球を打って、三邪飛に倒れた。
佐野はその場で打球を追った相手捕手が戻ってくるのを待ち、拾っていたキャッチャーマスクを手渡してから、ベンチに引き揚げた。
「初球からいって、チームに勢いをつける覚悟だった。悔しい」。試合後、そう振り返った。気になってマスクのことを聞いた。「悔しいなかで、相手の選手を気遣えたのはどうしてですか」
少し意外な質問だったようだ。でも特に考え込むこともなく、答えてくれた。「野球は相手がいてこその競技だと教わってきました。敬意を払うのは当たり前です」と。
比嘉公也(こうや)監督(42)にも聞いた。「私は『マスクを拾うように』と教えているわけではないですよ。でも、やりすぎなぐらい、どのチームも自然とやっていますよね」
16日の土浦日大(茨城)と専大松戸(千葉)の3回戦でも、こんな場面があった。
専大松戸が4点を追う九回1死一塁、エースの平野大地が代打で打席に立ち、捕邪飛に打ち取られた。
最速151キロを誇る大会注目の投手だったが、状態が上がらず、今大会では登板がなかった。
そんな右腕は凡退後、マスクを拾い、戻ってきた捕手に手渡した。
どこかを痛めた選手に、相手チームのランナーコーチらが冷却スプレーをかける姿はもはや当たり前になっている。
私は26歳。約10年前、高校野球に打ち込んでいたころには、あまり見かけなかった光景のように思える。
対戦校は単に「試合の相手」だった。もちろん試合前、試合後にあいさつはしたが、心から敬意を込めて頭を下げていただろうか。
相手が失策を犯せば、恥ずかしげもなく「よっしゃー」と声をあげていた。自分たちのことで精いっぱいで、相手の道具や体調にまで目は届いていなかった。 もし私が高校最後の打席で凡退したら――。下を向いてベンチに引き揚げる姿しか目に浮かばない。
佐野や平野の行動を見て、第101回大会(2019年)の準々決勝を思い出した。七回表を終え、星稜(石川)が仙台育英(宮城)を9―1と大きくリードしていた。
その裏、仙台育英の攻撃中に、星稜の投手の右手がつりそうになった。ベンチにいた仙台育英の4番打者が、自分が飲もうと思っていたスポーツドリンクのコップを持ってベンチを飛び出し、マウンドの投手のもとへ駆け寄った。「けがしたらダメだよ。これ飲めよ」と声をかけたそうだ。
星稜の投手は照れくさそうに受け取り、飲んでから投球を再開。球場は拍手に包まれた。
心温まる一コマとして当時はメディアでもさかんに報じられたが、今はどうだろうか。
対戦相手を気遣う行動が選手に浸透する今、もはやこんな場面はニュースではないのかもしれない。
高校野球の前向きな変化だと思う。(大宮慎次朗)