住まいの雑学
55
SUUMOジャーナル ピックアップ
2013年7月30日 (火)

明治時代の庶民の暮らしって? 西洋化する日本人の生活の軌跡

明治時代といえば「文明開化」。庶民の生活はどの程度西洋化したのだろうか?(\n写真:長崎大学附属図書館)
写真提供:長崎大学附属図書館

今日、7月30日は明治時代最後の日。1912年のこの日明治天皇が崩御し、年号が明治から大正へと変わった。

明治時代といえば「文明開化」。『ザンギリ頭をたたいてみれば、文明開化の音がする』という言葉があるが、当時は西洋のものは何でも良しとされ、技術や思想、習慣、食べ物にいたるまで、さまざまな分野が西洋化していったようだが、庶民の生活はどの程度西洋化したのだろうか?

今回は明治時代の庶民の暮らしぶりについて、江戸東京博物館・図書室所蔵の資料をもとにまとめてみた。

■服装編 やっぱり日本人は着物!

軍人や役人、上流階級の人の間には、制服や礼服として早くから洋服が広まるが、庶民の間ではまだまだ着物が一般的。また、外では洋服を着るような男性も、家では着物に着替えてくつろいでいた。

ただ、髪型は明治に入って大きく変わる。「散髪令」によってちょんまげを切ることが強制されたため、男性は誰もが洋風の短髪になったのだ。それに合わせて、山高帽などの帽子も流行るようになった。

女性は、明治に入っても、相変わらず着物に日本髪が主流だったが、文明開化によって、化学染料を使った染物や西洋風の模様が取り入れられ、着物の色・柄が華やかになっていったのが特徴的だ。また、「袴にブーツ」や「着物にショール」など、和洋折衷のスタイルが好まれた。

■食事編 「牛鍋」や「あんパン」が大流行!

上流階級の晩さん会などでは、西洋料理が食卓を彩ることが増えた明治時代。とはいえ、やはり普段自宅で食べるのは和食だった。

そんな中で、庶民の間でも流行したのが「牛鍋」だ。今でいうすき焼きのような料理で、味噌や醤油、砂糖などを使った日本人向けの味つけが受け人気を博した。仏教の影響もあり、日本ではそれまで動物の肉を食べる習慣自体がなかったというが、現代の感覚からすると驚きだ。また、銀座木村家のあんパンが明治初期に発売されて人気商品となった。

さらに明治中期にはちゃぶ台が登場する。西洋化の一環で、ダイニングテーブルを日本の座法に合わせてつくり直したものだ。それまでは、ひとりずつ膳が決まっていて、家族ですら同じ食卓に着く習慣はなかった。

■住宅編 洋風建築は、庶民には高嶺の花

庶民の住宅は、明治に入ってもやはり日本家屋。洋風の生活様式は日本人には馴染みにくかったし、洋風化には多額の費用がかかったためだ。

住宅設備は、今から考えると不便な要素が多い。例えば台所は、家の北側、土間の一番奥にあったし、風呂は無く、基本的に銭湯通い。明治時代の銭湯は、板敷きの洗い場に木製の浴槽、というスタイルだった。

生活を便利にしたアイテムとしては、ランプやマッチが挙げられる。江戸時代まで使われていた行燈(あんどん)やろうそくに比べ、石油式ランプはかなり明るかったし、東京・銀座などには、通り沿いにガス灯が設置され、街を明るく照らした。

また、主婦を大いに助けたアイテムが「マッチ」。それまでは火打石を使って火を起こしていたが、マッチの輸入によってその労力は激減。政府もマッチ製造業を奨励し、一大産業に成長したという。

明治時代には、どの側面を見ても和洋折衷の色合いが濃い。鉄道技術や郵便制度など、大掛かりなインフラの部分では大いにその成果を発揮したが、文化や習慣については、今までの生活をがらりと変えるのは難しく、日本風にアレンジしたものが徐々に浸透していった、と考えられる。

現代に立ち返ってみると、フォークやスプーンは家族兼用でも、箸や茶碗は自分専用のものがある。やはり今でも、「西洋化」に対してそれなりに折り合いをつけながら生活しているのだ。

参考文献
『まるかじり日本史』(2007)歴史浪漫研究会編・リベラル社発行
『衣食住の歴史 ポプラディア情報館』(2006)西本豊弘監修・ポプラ社発行
前の記事 プレステ4、xbox oneの登場で家庭でのゲームはどう変わる?
次の記事 炭vsヒノキ ニオイが気になる箇所別に「脱臭効果」を徹底比較してみた
SUUMOで住まいを探してみよう