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パワースポット@神の島「Okinawa」

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2022.03.05
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カテゴリ:今帰仁村

(風葬墓)

沖縄本島北部「今帰仁(なきじん)村」に「運天(うんてん)集落」が所在します。この集落の「ムラウチ」と称される海沿いの部落には、元来より「運天港」と呼ばれていた港があります。「運天港」は古くから知られ「海東諸国紀(1471年)」の「琉球国之図」には「雲見泊 要津」と記されています。また1531-1623年にかけて琉球王府により編纂された歌謡集である「おもろさうし」では「うむてんつけて こみなと つけて」と謡われています。更に12世紀頃に「源為朝」が流刑された伊豆大島から脱出する際に、嵐に流されて「運は天にあり」と漂着したのがこの港で、この事から港は「運天港」と名付けられたと伝わっています。


(ウーニシ墓/大北墓)

(ウーニシ墓/大北墓)

(ウーニシ墓/大北墓の石柱)

「運天」の「ムラウチ集落」に「ウーニシ(大北)墓」という崖中腹のガマ(洞窟)を利用した古墓あり、別名「按司墓」とも呼ばれています。「今帰仁グスク」で第二監守を務めた「北山監守(今帰仁按司)」と、その一族を葬った墓で「今帰仁グスク」麓の「ウツリタマイ」と呼ばれる墓を1761年に「今帰仁王子十世(宣謨/せんも)」が拝領墓として建造し「運天」に安葬したものです。墓室内には第二尚氏王統の「北山監守(今帰仁按司)二世(介紹/かいしょう)、四世(克順/かつじゅん)、五世(克祉/かつし)、六世(縄祖/じゅうそ)、七世(従憲/じゅうけん)、更に「聞得大君」を頂点とした神人(カミンチュ)組織の中で「三十三君」と呼ばれる高級ノロ(神女)の一人である「阿応理屋恵(あおりやえ)」など30名余りが葬られています。


(大和墓の石碑)

(龍宮神)

「ウーニシ墓」の南側にある「今帰仁漁港協同組合」の敷地内に「大和墓」の2基の石碑があります。左側の石碑の正面に「明和五戊 子□八月 妙法□定信□」と彫られており、天台宗や日蓮宗の戒名である事を示します。この石碑の右側面には「屋久嶋宮之浦 父立也新七敬白」と記されており、当時薩摩藩だった鹿児島県屋久島宮の浦出身の新七という人物をその父親が1768年8月に葬った事を意味します。更に、右側の石碑の正面には「即心帰郷信士」と彫られており、帰郷を切望する大和人男性が琉球国「運天」に祀られている意味が戒名に込められています。この石碑の右側面には「安政二年卯 十月七日」と記されており1855年に造られた石碑だと分かります。「大和墓」に向かって左側には航海の安全と豊漁を祈願する「龍宮神」の石碑が建立されており、ウコール(香炉)が祀られています。


(神アサギ)

(神アサギの内部)

「運天集落」の祭祀は「勢理客ノロ」の管轄で催されます。五穀豊作の感謝と子孫繁栄を祈願する「ウタキヌウガン」の際には「勢理客ノロ」が「湧川、勢理客、上運天、運天」の集落を巡り、各集落から太鼓打ちの子供達と各区長が参加します。「運天」の「神アサギ」は「ウタキヌウガン」の最後に祈られます。屋根の低い瓦屋根葺きの建物である「神アサギ」は「シマセンク巫」とも呼ばれる「勢理客ノロ」と集落の女性のみが祈り、村人は「アサギミャー」と呼ばれる「神アサギ」の庭でウガン(御願)が終わるのを待ちます。「ウタキヌウガン」が終わると昆布、揚げ豆腐、三枚肉、モーイ豆腐、紅イモの揚げ餅、魚料理などのご馳走を振る舞いウガンを締めくくります。


(ウッチヒヌカン/掟火神)

(ウッチヒヌカン/掟火神の祠内部)

(チンジャ/掘り込み井戸)

「神アサギ」がある「アサギミャー(アサギ庭)」に「ウッチヒヌカン(掟火神)」の祠が建立されています。ヒヌカン(火之神)と霊石が祀られた「ウッチヒヌカン」は「タキヌウガン」の際に拝されます。「ウッチ(掟)」とは琉球王国時代の間切や村の役人を意味し、地頭の下に置かれた地頭代と同格の役職です。「按司掟、大掟、西掟」などの種類があり「運天」には「村掟」が置かれたと考えられます。かつて「村掟」の役人が住んでいた場所に、現在「ウッチヒヌカン(掟火神)」の祠があると推測されます。「神アサギ」の裏には、かつて集落の共同井戸として重宝された「チンジャ」と呼ばれる掘り込み井戸の跡があります。


(風葬墓)

(風葬墓)

(風葬墓の人骨)

「ムラウチ」集落の「運天港」に面した崖中腹には、風葬墓の掘り込み穴が多数存在します。「運天港」に吹き込む潮風が直撃する崖は遺体を風葬にするのに非常に適した地形となっており、遺体を風葬にした数年後に洗骨をした人骨を家型の木棺や厨子甕などに納めます。風葬墓の入口は木の板や「チニブ」と呼ばれるヤンバル(山原)竹を編んで作った竹垣で塞ぎます。他にも「ムラウチ」集落には丸太や板を用いて入口を塞ぐ風葬墓もあり、時の流れと共に劣化して崩落した「チニブ」や木の板の内部に木棺から剥き出しになる人骨も確認されます。集落では先人の伝統的な葬制を守る為、葬られている人骨の現状を維持していると考えられます。


(ムラウチ集落の石敢當)

(ムラウチ集落のフクギ並木)

沖縄県にはT字路の突き当りや、十字路の角に「石敢當(イシガントー)」と彫られた魔除けの自然石や石柱があります。一説ではこの「石敢富」の起源は「石敢富」という名前の勇士であると伝わります。「琉球学術調査報告(昭和38年)」には「石敢当の"石"という姓には岩石の神秘性と強力さがあり、名の"敢当"にも力強さを持ち合わせている」と記されています。更に「石敢当という人物はたとえ実在しないとしても、この姓名からは悪霊を追い払う勇敢で力強い人物を想像できる」とも報告されています。海沿いの「ムラウチ」集落はフクギの木が防風林として多数植栽されており、この見事なフクギ並木は集落の美風景として魅力となっています。


(ウブガー)

(ウブガー/天泉大神の石碑)

(運天トンネル)

(運天港)

「運天」の「ムラウチ」集落の最西端に「ウブガー」と呼ばれる井戸があり「天泉大神」の石碑が祀られています。かつて「ムラウチ」集落で子供が産まれた時に、この井戸から産水を汲んでいました。「ウブガー」の南側の崖麓に1924年(大正13)に竣工された「運天トンネル」があります。1916年(大正5年)頃から物資の運搬が海上から陸上に移行し、以前から急な坂道を往来して難儀を強いられていた「ムラウチ」集落の人々にとって「運天トンネル」の開通は生活を便利に一変させる恵みとなりました。「古宇利大橋」を望む「ムラウチ」集落は、古より琉球から沖縄の世の節々で重要な港町として栄え、今日も「運天港」には静かで穏やかな波が寄せています。









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最終更新日  2022.11.12 21:33:46
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