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文学部軽視の現政権の方針、人口減少社会の受け入れるべき現実


理工系重点施策と反発

理工系人材育成に関して文科省が重点的に予算を配分することが以前から話題になっています。

その動きに対して否定的な意見を上げる人文系科学者は少なくないようです。

「大学の理系転換への動き」に対する危機感

ねらいの「デジタル人材の育成」「理系教育の強化」は大歓迎ながら、そこで「一気に加速しそう」な「大学の理系転換への動き」は看過できまい。「教育の強化」と「理系転換」は次元の違う話である。

記事中の引用を見ると明らかなように、「理系強化」は歓迎だが「理系転換」は拒絶、ということです。

もちろん彼らの意見に正論的な部分を感じないわけでもありません。

かつて文科省が人文系学部の削減を意図したこと、実際に私立大学のいくつかは医療系などの学部に転換した過去も存在します。

一方で人文系の研究者の食い扶持が奪われるというポジショントークの部分もあるのでしょう。

ただ、今回の理系強化に関してはそうした学問へのスタンスやポジショントークでは済まない事情があるように感じます。

技術革新や産業発展に寄与しにくい分野へ予算を回す余裕がない

現在、日本は危機的な状況に置かれています。

経済的にはIT革命や情報産業での立ち遅れ、自動車産業の衰退、少子高齢化による労働人口の減少など、成長が見込みにくい状況にあります。

また、安全保障関係においても周辺国家の経済力の向上と相反して日本の影響力が経済力とともに低下しています。

この状況において、学問分野への投資が経済的に成長や革新が見込まれる個所に重点的に配分されるのは現実的には仕方ない部分があります。

明治維新と同じ、変化の時代

かつて、明治政府は殖産興業を謳い理系などの技術発展に傾斜した集中投資を行いました。

洋学と呼ばれる海外の学問を積極的に取り入れ、それまで「学問」と呼ばれていた朱子学などは軽視(というよりも排除)されました。

その結果失われた儒学的な価値観や秩序、常識も大量に存在しますが、同時にその結果、僅か半世紀で欧米列強に肩を並べる技術力を持つに至ったという正の側面も存在するのです。

人文系学部は贅沢品と化した

私自身は人文系の学部の存在意義を十分に理解していますし、そうした研究が人類という種そのものの精神的な成長や文化の成熟につながっていると感じています。

しかし、そうした長期的な、かつマネタイズしにくい分野が日本のような衰退傾向にある国家にとって「贅沢品」になりつつあるという事実も否定できません。

おそらくここ数十年は日本が人文系学部や研究の予算を増やすことは考えられず、むしろ減少する一方なのはわかっています。

もはや日本において人文系学部の大半は「贅沢品」と化しました。だからこそ、学問に造詣の深い人物や企業にパトロンを探して、日本が再び成長局面に入るまで耐え忍ぶしかないのだと思います。

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