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【銃撃事件から1年】「盟友」が語る安倍晋三元首相の求心力 憲政史上最長政権の源は内固めにあり

2023年7月8日 15:10
【銃撃事件から1年】「盟友」が語る安倍晋三元首相の求心力 憲政史上最長政権の源は内固めにあり
安倍晋三氏

 奈良市で選挙の応援演説中に安倍晋三元首相が銃撃され死亡した事件から8日で1年を迎えました。42歳の男が逮捕・起訴され、犯行の動機として宗教法人への恨みがあったと話しました。これをきっかけに、“政治と宗教の深い関わり”、そして望まない信仰を強いられる“宗教2世”の問題が浮き彫りとなり、元首相が凶弾に倒れた事件は社会に大きな影響を与えました。
 
 事件発生から1年、安倍晋三という政治家が死去してから1年。政界からその死を悔やむ多くのコメントが寄せられています。

(高市早苗大臣)
「安倍元総理の代わりになる方なんていうのは誰1人いないと思っている。日本の国力を強くするために、たいへんな貢献をされた」

(日本維新の会 吉村洋文共同代表)
「1年前のことを思いだすと改めて悲しい思いになりますし、非常に悔やまれる思いになります」

 憲政史上最長の8年8か月にわたり、内閣総理大臣を務めた安倍氏は一体、どんな政治家だったのか、永田町を取材してきた記者がまとめました。

■記者が見た安倍晋三という政治家

 安倍晋三元首相は、"統治機構"の確立に(少なくとも戦後の日本では)最も成功した政治家ではないだろうか―。

 “安倍官邸”を取材し、安倍氏の首相在任日数が長くなるのに比例して、このような考えを持つようになった。くしくも安倍氏が凶弾に倒れたことをきっかけに行った2人のインタビュー取材を通じて、我が意を得たと感じた。

 話を聞いた1人目は、公明党の太田昭宏前代表。太田氏は、第1次安倍政権では党代表として、また第2次政権発足直後には国土交通相として入閣し、安倍氏と長く向き合ってきた。2014年に国交相を退任してからも、公明党関係者の中では頻繁に官邸の安倍首相を訪ねてくる“不思議な人物”でもあった。

 その太田氏による安倍氏の人物評は、「リアリスト」。官邸で"サシ"になった安倍氏は、太田氏によくこんなことを聞いてきたそうだ。

(安倍氏)
「公明党は、本当のところはどうなんですか」

 山口那津男代表との表のルートでは聞きにくい、腹の探り合い。太田氏は「リアリストの安倍さんは、必ず良い落としどころを見つけるから真剣に答えた」と言う。

 第2次安倍政権の自公関係といえば、菅義偉官房長官(当時)と公明党の支持母体・創価学会幹部の良好な関係が有名だったが、安倍氏も独自に情報を集めていたのだ。

 「首相になると、政権に都合の良い話しか入って来なくなる」と、別の首相経験者から愚痴を聞いたことがある。

 安倍氏はその弱点を知ったうえで、本音ベースで話を聞ける相手を探していたのかもしれない。

 こうした複数の"パイプ"を使いながら、公明党にとって難しい案件だった安全保障関連法案を飲んでもらったり、反対に軽減税率の「線引き」を巡っては公明党の意向をほぼ丸のみしたりして、決定的な対立を避けつつ選挙協力に結びつけ、安定的な政権基盤を築いてきたことが分かる。

 一方、官邸内部の"統治"には、別の手段を駆使していたとみられる。

 次に語ってくれたのは、ずっと官房長官として支えてきた菅氏。「(安倍)総理はいろんな仕事を私に任せてくれたから、思いっきりやれた」と振り返る。

 菅氏は、歴代でも異色といえる“動く”官房長官だった。動けるということは、それだけ権限があったことの裏返し。この権限移譲、言い換えれば「アウトソーシングの力」こそが、安倍氏の政治家としての真骨頂だったと考えられる。

 第2次安倍政権では、重要外交案件を含めた政権全体のブランディングを経済産業省出身の今井尚哉政務秘書官が担い、国会対策やさまざまな人事案件などは主に菅氏が仕切っていた。さらに菅氏の下では、事務方トップの杉田和博官房副長官(警察庁出身)が中央省庁に睨みを利かせ、和泉洋人首相補佐官(国交省出身)は実質的に菅氏との連携で東京オリンピック・パラリンピック関連などの特命案件を受けていた。

 彼らは"官邸官僚"の代表格として批判もされたが、少なくとも行政府をグリップするという意味では「適材適所の人選だった」というのが、現在の永田町・霞が関の定説だ。

 もちろん、先に示した安保法制をはじめ、世論を二分する政策を半ば強引に成立させたり、政権後期には森友学園・加計学園、「桜を観る会」など、政権内の緩みが原因にも見える問題が噴出したりしたのも事実。注力した拉致や北方領土問題は進展せず、看板政策「アベノミクス」の成否はもう少し先の未来が判断することになるだろう。
 
 ただ、日々むき出しの権力闘争が繰り広げられる永田町で「政権の骨格」が一人も脱落することなく8年8か月も走り続けられたのは、この間、政権のど真ん中で求心力を保ち続けた安倍氏の実績にほかならない。

 首相退任後、偶然直接話を聞く機会があった。この推察をぶつけてみると、こんな答えが返ってきた。

 「権力って、崩れるときは必ず内側から始まるからね」

 没後1年がたってもなお、自民党安倍派の後継者が決まる見通しは立っていない。長期政権への足掛かりを探る岸田政権の陣容に心もとなさを覚える人も少なくないだろう。

 安倍政権という組織の「完成系」を見てしまったがゆえに、“ポスト安倍”像に少し高い理想を抱いてしまっているのかもしれない。
(取材:髙橋 克哉)

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