ここらで、有名どころ!
4 岩井小百合
1968年8月10日生まれ (49歳)
神奈川県相模原市出身
1983年 伝説の不良バンド『横浜銀蠅』のマスコットガールとして『ドリームドリームドリーム』でデビュー
銀蠅人気も後押しして、本人もデビュー早々から大ヒット。
不作の83年組の中では突出した人気を誇ってました。
同年9月 日本武道館コンサート
この時彼女は15歳1ヶ月。
これは日本武道館単独ライブの最年少記録であり、現在も破られていません。
また、年末の新人賞レースは総なめするなど、ここでB級アイドルとして紹介するのは失礼ですね。
チャームポイントのポニーテールは、当時松田聖子の『聖子ちゃんカット』以外で売れた唯一のアイドルと言われ、その後の『ポニーテールアイドル』の血脈をしっかりと作りました。
(➡84年斎藤由貴➡87年白田あゆみ他)
1984年にはフジテレビ『クルクルくりん』で主演を演じるなど、子役時代のキャリアも含め、演技力も他のアイドルよりは、確実なアドバンテージがありました。
当時は、現在の秋元康の様な、計算され尽くしたプロデュース方法とは全く違い、先にデビューしてヒットしていた男性アイドルなどに寄り掛かる
『おんぶに抱っこ』的プロデュース
が流行っていた時代でした。
岩井小百合を、当時若者に絶大な指示を受けていた『横浜銀蠅』のマスコットガールとしてデビューさせたプロデュース方法は、間違いなく当たってた訳です。
この形のプロデュース方法は彼女の前にも、
河合奈保子(西城秀樹の妹)
松本伊代(田原俊彦の妹)等々
の例があり、いずれもヒットしていました。
では、何故彼女がA級アイドルではなく、B級アイドルなのかと言うと、
トップアイドルとしての期間が極端に短かい
(85年以降人気急降下)。
またどうにか芸能界で生き残った先が、
ワイドショーのレポーター
だった事ですね。(1987~)
流石にアイドルが、逆の立場のワイドショーのレポーターになってしまったのは、芸能界の厳しさをまざまざと感じました。
その後も、歌を続けながら、アニメ声優やパチンコアイドルなどをやっていましたが人気の回復はなく、83年当時の大活躍を知る人には栄枯盛衰的な寂しさを感じます。
シングル12枚、アルバム8枚
お勧めは、やはり勢いのあったデビュー初期の曲でしょうか。
1st、2nd シングルのB面の曲は横浜銀蠅メンバーが携わったり、1stアルバム
『銀蠅一家中学3年7組いわいさゆり』
は、当時の銀蝿のマスコットガールを全面に押し出した、ギャピキャピで可愛さ満点の内容になってます。
私は、4ndシングル
『恋あなたしだい』
が好きですね。
現在、復刻版CDは当時価格の2倍になっている物もありますが、曲目にこだわらなければ意外と高速PAやSA等で簡単に新品を見つける事もありますよ。
あったら是非買って聴いてみてください。
私も彼女の曲は、それなりに当時聴いた思い出があります。
実際に、ポニーテールに大きなリボンを付けた岩井小百合の様な可愛い女の子を、ヤンチャな先輩がバイクの後ろの三段シートに座らせていました。
それを私の様なガキらが、ウンコ座りをして羨ましく観ていたのも80年代でした。
・・・ある意味緩い時代でしたね。
聴くか聴かないかはあなた次第!
80年代B級アイドル度・・・10%
・・・ヤッパリ彼女はA級アイドルでしたね。
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Posted at
2017/10/14 17:06:37