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伊達公子×プロフェッショナル

女子テニスで元世界4位の伊達公子さんが各界で活躍する人と対談します。

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バレーが好きになれなかった 益子直美さんの後悔と「怒らない指導」

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元プロテニスプレーヤーの伊達公子さん(左)と元バレーボール日本代表の益子直美さん=東京都新宿区で2023年9月14日、内藤絵美撮影
元プロテニスプレーヤーの伊達公子さん(左)と元バレーボール日本代表の益子直美さん=東京都新宿区で2023年9月14日、内藤絵美撮影

 もうお世話になった監督や仲間と会えない――。元バレーボール日本代表の益子直美さん(57)は2015年に小学生対象の「監督が怒ってはいけない大会」を始めた時、そう覚悟を決めました。独自に設けた「怒らない」ルールは、自分が受けた指導の否定ともいえます。それでも続けてきたのは「バレーを好きになれなかった」という現役時代の後悔があるから。今年6月には日本スポーツ少年団の本部長に就任。怒る指導は後にどんな影響を及ぼしたのか。スポーツの指導を巡り、女子テニスの伊達公子さん(53)と話し合いました。

【連載】伊達公子×プロフェッショナル
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「殴られるのが当たり前」だった中学時代

 伊達 益子さんとは1996年のアトランタ・オリンピックからのお付き合いです。私が現役選手で、益子さんはテレビの仕事で現地入りしていました。

 益子 私は寮の門限とかあって、現役のころは生活がすごく縛られていたので、他の競技の人とつながることがありませんでした。当時テレビのニュースなどで伊達さんを見て、もっと知りたいと思っていました。

 伊達 私はバレーが好きで、益子さんのファンだったんですよ。中学3年生の時は週1回の学校のクラブ活動でバレーボールクラブに入っていました。

 益子 私は中学からバレーを始めたのですが、当時は怒る指導がメインの時代でした。レギュラーになってからは殴られるのが当たり前。アニメ「アタック№1」の主題歌の「苦しくったって、悲しくったって、コートの中では平気なの」と、私も思っていました。

 伊達 それは学校が強かったからじゃない?

 益子 いえ、東京の区立中…

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