バレーが好きになれなかった 益子直美さんの後悔と「怒らない指導」
毎日新聞
2023/10/22 08:00(最終更新 10/22 11:18)
有料記事
4021文字
- ポスト
- みんなのポストを見る
- シェア
- ブックマーク
- 保存
- メール
- リンク
- 印刷
もうお世話になった監督や仲間と会えない――。元バレーボール日本代表の益子直美さん(57)は2015年に小学生対象の「監督が怒ってはいけない大会」を始めた時、そう覚悟を決めました。独自に設けた「怒らない」ルールは、自分が受けた指導の否定ともいえます。それでも続けてきたのは「バレーを好きになれなかった」という現役時代の後悔があるから。今年6月には日本スポーツ少年団の本部長に就任。怒る指導は後にどんな影響を及ぼしたのか。スポーツの指導を巡り、女子テニスの伊達公子さん(53)と話し合いました。
「殴られるのが当たり前」だった中学時代
伊達 益子さんとは1996年のアトランタ・オリンピックからのお付き合いです。私が現役選手で、益子さんはテレビの仕事で現地入りしていました。
益子 私は寮の門限とかあって、現役のころは生活がすごく縛られていたので、他の競技の人とつながることがありませんでした。当時テレビのニュースなどで伊達さんを見て、もっと知りたいと思っていました。
伊達 私はバレーが好きで、益子さんのファンだったんですよ。中学3年生の時は週1回の学校のクラブ活動でバレーボールクラブに入っていました。
益子 私は中学からバレーを始めたのですが、当時は怒る指導がメインの時代でした。レギュラーになってからは殴られるのが当たり前。アニメ「アタック№1」の主題歌の「苦しくったって、悲しくったって、コートの中では平気なの」と、私も思っていました。
伊達 それは学校が強かったからじゃない?
益子 いえ、東京の区立中…
この記事は有料記事です。
残り3311文字(全文4021文字)