村上茉愛が銅メダル コロナ禍前の決意「何色でもいいからメダルは欲しい」…インタビュー再録

スポーツ報知
銅メダルを手に笑顔を見せる村上茉愛

◆東京五輪 体操女子種目別床運動(2日、有明体操競技場)

 女子種目別床運動で日本の村上茉愛(日体ク)が銅メダルを獲得した。世界選手権では2017年の種目別床運動で金メダル、18年には個人総合銀、種目別床運動で銅メダルを獲得した日本女子エースが快挙を成し遂げた。幼い頃から、床運動を得意とした「ゴムまり娘」は、コロナ禍前の2020年1月にスポーツ報知のインタビューで決意を語っていた。再録する。

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 小6の時に床運動でH難度の大技「シリバス」(後方抱え込み2回宙返り2回ひねり)を成功させ、天才少女と呼ばれた村上が、日本のエースとして東京五輪に挑む。体操女子の五輪メダルは1964年東京大会の団体銅だけ。18年世界選手権2位の個人総合、17年世界選手権を制した床運動、瀬尾京子コーチに「狙える」と背中を押された平均台、16年リオ五輪で4位入賞した団体と計4つのメダル獲得を目指す。金を狙う個人総合と床運動は、リオ五輪4冠の女王・バイルス(米国)との一騎打ちだ。

 「何色でもいいからメダルは欲しい。でも、やっぱり金を取りたいって思いは外せない。無謀かもしれないけど、本当にチャンスがないわけではないと思う。口に出して目標を高めていくのはいいことかなと思ったので、今年から高めに設定しています」

 明確な目標を言葉にすることで、気持ちは一気に高まった。責任感、周囲からの期待など様々な思いと向き合いながら本番までの6か月を過ごす。

 「言ったことに対しては、きちんと達成しなきゃいけない。世界選手権でメダルを取るという目標は達成しているけど、五輪のメダルは1個もない。夢が目標になるくらい近づいてきていると思うので、達成したいですね」

 リオ五輪後からの歩みは順調かに思われたが、東京五輪前年に経験のない悔しさを味わった。5月のNHK杯で腰痛が悪化し棄権。世界選手権代表入りを逃し、人目をはばからず涙した。

 「記憶から消したいというか…。こんな痛い思いをしてでも試合には出たいと思っていた。諦める選択肢はなかったけど、試合の日の練習で『これでやったらけがするんだろうな』と思った。『五輪の年じゃなくて本当に良かったな』って思いながら、諦めました。ショックはすごく大きく、いろんな人がかけてくれた言葉すらも入ってこなかった。棄権して試合に出ないって、こんなにもきついことなんだなって」

 競技生活で長く付き合ってきた腰痛だったが、思っていた以上に痛みは強かった。NHK杯を棄権した後も会場で試合を見守っていたが、体は限界だった。

 「めちゃくちゃ我慢してたんですけど、本当だったら歩けていないくらい痛かった。自分で洋服も着られず、普通のことが何もできなかった。みんなが体操をしているところも『あんまり見たくないな』と思った」

 2~3か月かけて、徐々に本来の自分を取り戻した。けがをしたからこそ感じられた「体操ができる喜び」。その気持ちがスイッチを入れてくれた。

 「最初の1か月くらいはリハビリをしたくても、できないくらいひどいものだった。やりたくても周りから『やるな、やるな』って言われるのがつらかった。体操ができていたときは『すごい幸せなんだな』って思いました。練習しているときに『つらい』とか『疲れた』とかマイナスなことを言うときもあるけど、けがをしているときの方が断然つらい。だから『今日は(段違い平行棒を1回転する)車輪を1周できるように頑張ろう』とか、たったそれだけだけど、一日一日考えながらやっていたら、自然とできるようになってきました」

 ここまで積み上げてきた体操人生の全てを、東京五輪に懸けたいと考えている。そう思えるのは、リオ五輪を経験したからこそ。48年ぶりの団体4位は喜びより悔しさの方が強かった。

 「4位はすごいことだと思えたんですけど、悔しくて。4位に喜んだ自分が悔しくなった。(表彰台を)狙いにいきたいと思えたのがリオの団体のとき。メダルが欲しいって思いが強くなったのが、やっぱりリオだった。今は東京(五輪)のことだけで、それ以降のことは考えていない」

 19年3月に大学を卒業し、体操に集中できる環境になった。自由な時間が増えた分、積極的に出かけてオンとオフの切り替えを大事にする。

 「腰のけがをしてから、オフも『練習をしなきゃ』って思ったり、急に不安に駆られて体操のことを常に考えて、体が休んだ気にならなかった。オフはオフで気持ちを切り替えなきゃいけないなと思いました。一人で紅葉を見に高尾山を登ったり、映画を見たり、ショッピングをしたり。(大学の)後輩を誘って遊びに行くことも。一人ご飯はないけど、一人で行くことに全然抵抗はないですね」

 代名詞はショートカット。世界的に見ても女子の体操選手の中では珍しいが、貫き続けるこだわりがある。

 「ずっとショートカットにしてみたくて、大学に入る前に切りました。最初は『軽いな』と思ったし(ロングに慣れすぎていて)体育館へ向かう前に『あ、髪の毛結ぶの忘れた!』と思う日もあった。大学2年のときに1度、少し伸ばして試合に出たんですけど、その時に周囲から『体育館のどこにいるか分からない』『オーラがあんまりないように感じるよね』って言われて。(ショートカットも)一つの表現で、自分の持ち味なんだと思いました」

 “ゴムまり娘”の愛称を持ち、日本人離れしたパワーと力強いバネを生かした演技で、世界トップクラスまで実力を上げてきた。東京五輪の体操競技が終わる8月4日(※2020年開催時=現在は8月3日)には、笑顔の自分でいたいと誓う。

 「後悔したくない。やり切ったって思える自分でいたいなと思うし、悔し涙じゃなければいいかな。単純に『よく頑張ったな』って思いたい。自分を褒めてあげたいですね」

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