【PR】77歳でDJを続ける小林克也が「いまいちばん、ホッとする瞬間」

KATSUYA KOBAYASHI

小林 克也

2018.12.26 Wed

左から、松尾英里子さん、小林克也さん、日本生命商品開発部・栗林崇さん

日本DJ界の草分け的存在、小林克也。一世を風靡した音楽番組「ベストヒットUSA」で名だたる大物アーティストと対峙した姿が印象的な小林さんが、今年、77歳の喜寿を迎えました。DJの第一人者としてはもちろんのこと、多くのCMや司会、俳優、ミュージシャンとして幅広く活躍し、英会話の達人としても知られる小林さんの半生について、日本生命商品開発部の栗林崇さんとフリーアナウンサーの松尾英里子さんがお話をうかがいました。(取材&文・平原悟/写真・村田克己)

「ベストヒットUSA」大物アーティストが集結

松尾 本日は、DJ、ナレーター、タレント、俳優とさまざまなジャンルで活躍されておられ、今年で77歳を迎えられた小林克也さんをゲストに迎えました。小林さんといえば、個性的な美声はもちろん、名物番組『ベストヒットUSA』などで海外の大物アーティストにインタビューをされている場面が印象的ですが、最近ではバラエティ番組等のナレーションや、俳優としても活躍されており、まさにアクティブシニア代表です。

そんな小林さんと、「Gran Age(グランエイジ)プロジェクト」を推進する日本生命商品開発部の栗林崇さんとともに、人生100年時代と言われている長寿社会を、どのようにして豊かに生きていくか、などについて考えていきたいと思います。

小林 僕は爺さん代表と言うことですね。

松尾 とんでもない、アクティブシニアの代表です。まずは今年の3月に迎えられた77歳の喜寿、おめでとうございます。

小林 恥ずかしい次第です。

松尾 それに合わせて3月には、「小林克也&ザ・ナンバーワン・バンド」として、25年ぶりにオリジナルアルバム「鯛 ~最後の晩餐~」をリリースされました。そして3月から4月にかけて、5都市6公演でツアーも実施されましたね。

小林 12月1日は喜寿の祝いを兼ねて「ベストヒットUSA」のクラブイベントをやりました。石野卓球、DJ KAORI、TOWA TEIなど多くの仲間が集まって盛りあげてくれました。来年の誕生日には、鈴木慶一、鮎川誠などとライブをやる予定です。

栗林 77歳を迎えられても色々な活動をされているのは、まさにアクティブシニアですね。

小林 僕がリーダーシップをとっているならアクティブだけど、周りの人が企画してくれるものに乗っているだけですからね。

松尾 そうですか、でもDJとしてマイクの前に立てばリスナーやお客さんを盛りあげている姿はエネルギッシュです。

小林 アメリカのラジオだと小林克也が喋れば「小林克也ショー」なんです。つまりDJが自分で伝えたいことを考えて、喋る。僕もそれを意識してやっているから、その意味ではアクティブかも知れませんね。でも、私生活ではまったくの爺さん。

僕の家には高さ3メートル以上のベンジャミンがあるんですが、帰宅して植物に出迎えてもらう瞬間が一番ほっとする。全然アクティブじゃないでしょ。

外国放送のラジオで英語を覚えた

松尾 意外な一面ですね。ところで小林さんの魅力の1つが「英語力」ですが、英語はどのように習得されたのですか。

小林 僕は昭和16年生まれだから子ども時代の娯楽と言えばラジオでした。今では信じられないかも知れないけど、当時は僕の故郷の広島県福山あたりでも外国の放送が聴けたんです。それも米軍が流す英語放送に加えて、韓国語、中国語、ロシア語なんかもあって、ほとんどおもちゃ箱です。

昔タモリが「四カ国麻雀」というでたらめ外国語の芸をやっていたけど、僕も韓国語の真似が得意でやっていたらおばあちゃんに「お前の顔だと本物と間違われるからやめときな」と言われました。

栗林 ラジオから聞こえる英語で自然に身につけたわけですね。

小林 昔の駐留軍の放送は「ターザン」なんかのラジオドラマも多く、それをよく真似していました。あとは中学になるとプレスリーが出てきて、バッチリはまっちゃうわけです。それで自然に英語のフレーズを覚えて、気がつくと英語の勉強になっていたんでしょう。

栗林 学校でも英語は得意だったのでしょうね。

小林 中学になった頃からFEN(米軍極東放送網:1997年AFNに改称)のニュースを追いかけながら真似る「電車乗り」をやるようになったんです。おかげで英語の授業で僕が読むと教室がシンとして聞き入っている。それで、僕は英語が上手いんだ、とわかった。それが自分へのご褒美になって、単語を覚えるのも苦じゃなかったですね。

松尾 その後、慶應義塾大学経済学部に進学されました。やはり将来は英語を生かしたお仕事をしたいと思われたのでしょうね。

小林 大学時代に「通訳案内業試験」も受けましたからね。春と秋は大勢の外国人観光客が来日して、かなり稼げました。でもある時、僕が担当したお客さんが着物を着た女性ガイドを指さしてこう聞いてきた。「彼女は特別料金なのか?」「いや同じだ」と答えたら露骨にがっかりした表情になった。あれはこちらも落ち込みました。

その後、就職が近づいたときも先輩に「克也、英語ができても会社じゃ偉くなれないぞ。外国人が来た時に出迎えに行かされるだけだ」と言われ、英語で食べることは諦めました。そこで改めて自分はなぜ英語が好きなのか考えたら、ラジオから流れてくるしゃべりや音楽に惹かれたんだと気づき、そこに関わる仕事をしたいと思うようになったんです。

松尾 そこからラジオのディスクジョッキーになるわけですか? 

小林 いえ、いきなりDJはできません。はじめてのしゃべりの仕事は大学時代にやったナイトクラブの司会でした。それまで司会をしていた人が、土日は休みたいと言い出してその代役を頼まれたんです。人前で喋れるか不安でしたが、1日5000円というギャラに目がくらんで引き受けました。スポットライトがあたった瞬間に喋る内容が全部飛んだりとか、迷惑をかけたこともありましたが、今振り返るといい経験でしたね。

好きなことを続けるために、これからも数字を稼ぐ

松尾 そして1970年には英語力と洋楽の知識を武器にDJとしてデビュー。1976年からは伝説の番組「スネークマンショー」がスタートします。そこで行われるコントが話題を呼びましたね。

小林 アメリカのラジオでは曲の紹介が、ひとつのショーなんです。たとえば有名なウルフマン・ジャックだと「この曲はホットで、曲をかけたらアンテナにとまった鳥が焼き鳥になっちゃったよ」とか。ところが日本では、このバンドはフィラデルフィアの出身で、と説明するだけで、一種の教養番組。なんとか自分でもアメリカのDJ風にできないか、とはじめたのが最初です。ただ、コントだけが注目されたけど、気持ちとしてはラジオを元気づけたかった。その気持ちは今も変わらないですね。

松尾 スネークマンショーはその後、CMやYMOとのコラボをやったり、役者としても活躍されますね。

小林 テレビに時々出るようになったら、いきなり「逆噴射家族」っていう映画の話がきたんです。お父さんが植木等で奥さんが倍賞美津子、僕はキレるオヤジの設定。あれが受けて、その後10年くらいはドラマにもかなり出ました。ラジオの芝居はやっていたとは言え、よくやったと自分でも思いますよ。

松尾 小林さんはいまも精力的に活動されており、現在レギュラー番組が4本。ほとんど毎日という感じですね。

小林 僕が今も相変わらずやらせてもらっているのは、健康であることもあるけど、それ以上に数字を稼ぐことができているからです。例えば毎週金曜日は埼玉のローカルFMで9時間の生放送をやっていますが、全国放送のFMにも聴取率は勝っている。おかげで好きなことをやり続けることができるし、それを面白がってくれる人も多いんだと思います。爺さんだけど選曲としゃべりの内容は若い者には負けていないつもりです。

栗林 お話を聞けば聞くほどアクティブなので、驚くばかりです。

松尾 そして、小林さんと言えば、「ベストヒットUSA」ですが、栗林さんはどんな印象をもっていますか。

栗林 私は1980年に番組開始とほぼ同時期に生まれました。よってリアルタイムで見た記憶はありませんが、アメリカのヒットチャートを紹介する番組として、当時テレビではなかなか触れることの出来なかった洋楽ロックの魅力を伝えたりしていて、これをきっかけに洋楽ファンになった人も多い、と先輩に聞いたことがあります。

小林 先頭を走ってきたっていわれるけど、自分としては、好きなことを紹介してきただけなんですよ。

松尾 77歳を迎えて、さらにパワーアップしているように伺えますね。

認知症対策スキル「ニッセイ脳トレ」

小林 人生100年時代と言っても、100歳より前に亡くなる方もいる。やっぱり長生きしていつまでも現役でいられるというのは大きな喜びですよね。

松尾 一方で、高齢化・長寿化の進展により、2025年には認知症有病者は約700万人と予想されています。それに伴い認知症が社会課題の1つになってきました。これについて、日本生命がサポートするシステムがあると伺いました。

栗林 日本生命は保険会社ですが、保険商品以外にも社会課題の解決に向けた取り組みができないかを考えています。その一つとして、人生100年時代を念頭に高齢者に向けた様々なサービスを提供する「Gran Age プロジェクト」を展開しています。

小林 「Gran Age プロジェクト」ですか。お洒落な名前ですね。具体的にはどんなサービスを考えているんですか。

栗林 これからの高齢化社会を考えた場合、介護職員の人手不足も叫ばれていますが、認知症を巡る課題は多いですね。そこで日本生命では、グループ会社の一つであるニッセイ情報テクノロジーのノウハウを活用し、2018年3月から「Amazon Alexa(クラウドベースの音声認識サービス)」に対応した認知症対策スキル「ニッセイ脳トレ」の提供を始めました。

このスキルでは、短期記憶のトレーニングに役立つクイズや認知症予防に良いと言われている生活習慣のアドバイス等、多数のコンテンツをラインアップしています。

小林 それは日本生命の保険契約者だけが利用できるものなのですか。

栗林 いえ、日本生命のご契約者様以外も無料でご利用でき、これまでご利用いただいた方からは大変好評いただいております。小林さんもここで試していただけませんか。

小林 いいんですか、是非やってみたいなあ。

━━━━━━━━━以下、ニッセイ脳トレを体験する。━━━━━━━━━

栗林 Alexa、ニッセイ脳トレを開いて。

Alexa ニッセイ脳トレをはじめます。集中して頑張ってくださいね。今回は虫の音に挑戦です。今から流れる虫の音、虫の声をよく聞いて覚えてください。

※以下、三種類の虫の声がAlexaから流れる。

Alexa では、これからトランプカードを二枚読みあげますから覚えてください。スペードの2、ハートの2。では問題です。2番目のカードは何でしたか?

小林 ハートの2。

Alexa 素晴らしい。答えはハートの2でした。では、続いての問題です。今から虫の声をもう一度流します。(虫の声が流れる)なんの虫の声でしょうか。番号でお答えください。1番ガンタン、2番カネタタキ、3番ニシキリギリス。

小林 3番。

Alexa 正解、素晴らしい。これで脳トレは終了です。あなたのレベルは5になりました。

小林 これ、いいですね。自動車免許の更新で認知症テストがあるらしいから、事前にこれでリハーサルしていくといいんじゃないかな。

栗林 これは認知症研究の第一人者の先生に監修していただいて作ったものなんです。認知症予防には、脳を刺激することが大切と伺いましたので、その点を意識して開発しました。今回は虫の声でしたが、木琴を叩いている音を聞いてもらうものなど、バリエーションはいろいろとあります。

小林 虫の名前は知らなかったけど、面白いですよね。これに違うものを混ぜるといいかも知れませんよ。僕だったら4つめに「腹の虫」を入れるな。せっかくだから、みんなを楽しませてあげないと。

栗林 すみません、真面目にやりすぎですかね。

小林 あれっ、今のおかしい、間違っているよ、と聞いている人は突っ込むことで、脳が活性化してくれるんじゃないかな。

栗林 おっしゃる通りですね。是非、次のバージョンでは検討させていただきます。

松尾 さすが、何をするにもサービス精神にあふれていらっしゃるんですね。AIが普及することで、私たちの生活がどんどん変化していくことは間違いないでしょうが、そうした遊び心は必要ですね。

栗林 我々としても新規ビジネスに向けて、スタートアップ企業とのオープンイノベーションを進めていきたいと思います。

後編はこちら

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小林 克也(こばやし かつや)

1941年広島県生まれ。慶応義塾大学在学中よりガイド、司会業などの「話す」仕事を数多くこなし、29歳でラジオのDJを始める。ラジオ番組をきっかけに伊武雅人らとスネークマン・ショーを結成(76年)、YMOと共演しアルバム多数発表。テレビ朝日「THE BEST HIT USA」司会(80年~89年)小林克也とThe No,1 Band結成(82年)。映画「逆噴射家族」(84年)主演。画期的英語教材「小林克也のおしゃべりアメリ缶」発表(87年)現在はDJ、司会、俳優業をこなしている。

["小谷 瑞穂", "塔筋 歩美", "鈴木 武人"]