週刊ベースボールONLINE

プロ野球はみだし録

定岡正二がトレード拒否、引退。「ジャイアンツにいらないと言われたら、そこまで」【プロ野球はみだし録】

 

江川、西本、そして定岡


甘いマスクからアイドル的な人気もあった定岡


 巨人戦であれば、ほとんどの試合をテレビで見ることができた1980年代。その巨人では投打のスター選手が躍動していた。投手陣は江川卓西本聖、そして定岡正二。まだ投手が先発すれば完投するのが当然、とされていた時代でもある。彼ら“先発三本柱”は、間違いなく巨人の花形だった。「1本だけ弱かったよ、って言われますけど」と笑うのは定岡だ。

 いわゆる“甲子園のアイドル”からドラフト1位で75年に入団した定岡。西本とは同期で同い年、1学年だけ上の江川はプロでは4年の後輩となるが、プロ初勝利は3人の中で最も遅く、6年目の80年。それでも翌81年に初の2ケタ11勝でリーグ優勝、日本一に貢献し、その翌82年には自己最多の15勝を挙げている。これだけでもチームが巨人でなければエースと称えられても不思議ではない数字だが、特筆すべきなのは当時のセ・リーグで巨人と覇権を争っていた広島に強かったこと。81年は11勝のうち6勝、82年は15勝のうち7勝が広島からのもので、勝ち星だけではない貢献度のある右腕だった。だが、そこから勝ち星を減らしていき、85年は4勝。そのオフ、近鉄の有田修三とのトレードを通告される。定岡の決断は移籍の拒否、そして引退だった。

「ジャイアンツに入って、いらないと言われたら、そこまでなんだなとは思っていました。それほどジャイアンツが好きだったのでしょう。1年くらい経っても『もう1度、投げてくれ』と言われないかな、と思っていたくらい」(定岡)

 ただ、その夢はかなわず。定岡は2011年のインタビューで振り返っている。

「やめないでと言ってくれたファンの人たちの後押し、自分自身の悔しさ、無念さが、次の仕事に生きてきた。投手は打たれたことよりも、次どう抑えるか、どういうボールを投げるかが勝負です。どんどん次のボールを投げていきます。暴投もありますが、投げ続けたいですね、人生というマウンドで!(笑)」

 定岡の現役時代は知らないが、引退してからの大活躍はリアルタイムで見た、という人も少なくないはずだ。

文=犬企画マンホール 写真=BBM
週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部が今注目の選手、出来事をお届け

関連情報

みんなのコメント

  • 新着順
  • いいね順

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング