3年目に入った金融庁の森信親長官(写真:竹井 俊晴)
3年目に入った金融庁の森信親長官(写真:竹井 俊晴)

強権を振るった「副作用」が深刻に

 金融庁の森信親長官の3年目がスタートした。これまで進めてきた金融行政の改革の総仕上げを行うことになる。日本の金融機関はバブルの崩壊で抱え込んだ不良債権を一掃し、ほぼ健全な資産状態に回復した。一方で、金融ビジネスの多様化や世界的な低金利に伴い、従来型の貸金業務では収益を稼げない構造問題に直面している。国内でも地方銀行や信用金庫・信用組合、農協など、金融機関の再編淘汰は進んでおらず、「オーバーバンキング」の状態が続いている。金融機関に「自立」を求める森流改革は成功するのだろうか。

 「金融庁、検査局を廃止 金融機関との対話重視」。8月22日に日本経済新聞がそう報じると、関係者の間からは驚きの声があがった。「遂に、そこまで踏み込んだか」と森流改革の本気度を思い知らされたというのだ。

 銀行などに立ち入り検査する「強権」は金融庁の金融機関に対する権力の源泉である。金融機関の経営者が金融庁の意向に逆らわず、従順に行動してきたのは、この金融庁の強権によって牙を抜かれてきた歴史があるからだ。

 検査を巡って金融庁の怒りを買い、他行との合併を迫られた銀行を見て、多くの銀行経営者が震え上がった。その主戦場が「検査」であり、それを担ってきたのが「コワモテ」の検査局だったのだ。それを廃止するというのだから、金融関係者が目を疑うのも無理はない。

 だが、金融庁が検査で強権を振るった「副作用」も大きかった。金融機関の経営の自主性が薄れ、すべて金融庁の意向を忖度する、形を変えた「お上頼み」が蔓延してしまったのである。金融庁の指導はしばしば「箸の上げ下ろしまで口を出す」と批判されたが、一方で、地方銀行の経営者などは、箸の使い方を自ら考えない風潮が広まった。

 そこにメスを入れようとしているのが森流の改革で、金融行政の大きな方針は明確に示すものの、各行の経営は自ら考えて行えという方向を示してきた。それが遂に、検査局の廃止という組織体制の見直しにまで及び、方向性が一段と明確になったのである。これに合わせて、銀行経営者が最も気にしてきた「金融検査マニュアル」も廃止されることになった。

組織再編で「企画機能」を強化する

 もちろん、金融庁の権力の源泉である「立ち入り調査権」を放棄するわけではない。検査局は監督局に統合し、監督局が立ち入り調査権を握ることになる。ただ、従来から監督局が行ってきた金融システムを維持するための、金融機関の経営チェックと統合され、検査・懲罰型から対話・経営改善型へと金融庁の関わり方が変わっていくことになる。記事の見出しに「金融機関との対話重視」とあったのは、このためだ。

 組織体制の見直しに踏み込んだのにはもう一つの狙いがある。金融庁設立以来の悲願である「企画機能」の強化だ。検査局を廃止して監督局に統合する一方で、これまであった「総務企画局」を改組して「総合政策局」を作る。名前の通り、総合的に政策を立案・運用する局とし、他省庁の官房と同様の機能を持たせる。金融システムの安定を目的に、金融機関や資本市場の監督方針などを検討する機能を担う。総務企画局の仕事の中でも、市場のルールづくりや企業情報の開示などについては名称を変更して「企画市場局」として引き継ぐ。

 本来は、「総合政策局」を追加で新設したいところだが、行政改革の一環で局の数を増やせないため、検査局と監督局の統合で局をひとつ減らし、その枠を総合政策局に当てる。

 組織改正は金融庁発足以来、20年にわたる悲願ともいえるが、財務省には「財金一体」を求める声が今もくすぶる。20年前に金融庁が発足する前までは財政と金融行政は大蔵省が一体で扱っており、その体制に回帰したいと考える向きがある。20年前の「財金分離」の改革の揺り戻しだ。

 第2次安倍内閣になって金融担当大臣は財務大臣が兼務しており、金融庁幹部と財務省幹部の交流人事も復活している。そんな中で、金融庁に強固な企画部門ができれば、金融庁の独立性が一段と高まることになるだけに、今後の組織改正では議論になる可能性もある。組織改正は調整や政治判断などを経て年末までに固まり、2018年の夏の人事に合わせて新体制に移行される見通しだ。

 森体制は3年目を迎えて「最強の布陣」になっている。次官級の金融国際審議官は氷見野良三氏が続投。氷見野氏は世界の銀行監督機関である国際決済銀行(BIS)バーゼル委員会の事務局長を務めた経験もあり、金融の世界では国際的に知名度が高い。総務企画局長の池田唯一氏は4年目に突入、遠藤俊英・監督局長、三井秀範・検査局長もともに3年目に入った。

 金融行政は特に専門性が問われるが、それぞれの分野に精通したベテラン揃いの布陣になっている。1、2年でポストを交代していくケースが圧倒的に多い霞ヶ関の中では、極めて異例の体制になっているわけだ。幹部が長期にわたって代わらないことには「人事の滞留」「上が重くて若手が登用されない」といった批判も根強いが、森改革の総仕上げを行うには絶好の、重厚な布陣になっているといえる。

金融機関の行動原理を変えられるか

 問題は、こうした金融庁側の「変化」に伴って、金融機関のトップの意識や行動がどれだけ変わるかだ。

 「地銀のトップの大半は、このままでは将来がないと言いながら、リスクをとって自ら何か新しい事をやろうという気概はない」。地銀の経営相談を受けるコンサルタントは、こう語る。「隣の銀行は何をやろうとしているか、と聞かれる。横並びの発想から抜けられない」というのだ。

 金融庁も地銀経営者らに、自ら考えて収益モデルを再構築するよう迫っているが、動きが鈍い事に苛立っている。

 森長官の右腕である改革派幹部のひとりは、「バランスシート上は問題がなくても、収益力からみて将来性のない地銀などには、今後、厳しく対応することになるだろう」と予告する。つまり、検査上はパスするような銀行でも、明らかに将来性がなければ、強く経営指導していくということだ。

 果たしてそれが、再編を求めることなのか、淘汰も辞さないということなのか、現段階では分からない。ただこのままではジリ貧が予想される金融機関を放置しておくのは、将来の金融システムに禍根を残すことになりかねない。

 従来の貸金業務や決済機能に依存した金融機関経営がこのままではもたないことは明らかだ。資産運用など、顧客のリスクで手数料などの収益を上げるモデルでしか低金利下で生き残るのは難しい。とはいえ、資産運用に当たれる人材が育っている地銀などはまだまだ少数だ。

 現状は、低金利が続いているものの、企業の倒産件数が大幅に減るなど、景気回復基調に支えられ、金融機関の収益は何とか維持可能な状況だ。だが、2020年に東京オリンピック・パラリンピックが終わり、景気が下り坂になれば、再び不良債権が拡大し、銀行経営の足を引っ張る環境に変わる可能性もある。

 そうなった時に、金融庁はどう金融機関と「対話」するのか。森長官体制では厳しく自立を迫るというが、その方針は次の長官以降にも引き継いで行けるのか。「対話重視」はともすると、旧来の護送船団方式のように、お上が銀行を助けるスタイルを容認することになるかもしれない。そんな逆戻りを許さないためにも、3年目の森長官体制では、金融機関の「自立モデル」が目に見える形の成果として現れてくることが求められそうだ。

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