米ハワイ・オアフ島のワイキキには、歴史ある地に建てられたホテルが数多く存在する。中には、そのホテル自体が貴重な歴史の一部になっているものもある。今回は、ワイキキの歴史のある地に建てられた数々のホテルの中から、特筆に値するものを紹介しよう。
高層のホテルが立ち並び、世界各地から集まる観光客が闊歩(かっぽ)するワイキキの街。しかし、現在の街並みを見ても、昔そこにタロイモ畑が広がり、島を統治する首長たちが住み、河口で漁が行われていたことを想像するのは難しいだろう。
だが、ハワイ旅行の際にホテルの部屋から見える景色が「オアフ島代々の首長たちや、カメハメハ大王が見たものと同じ」だと聞いたら……。ワイキキの景色も違って見えてはこないだろうか。
ワイキキに現存する、最古で最初のリゾートホテル
モアナサーフライダー ウェスティン・リゾート&スパ ワイキキビーチ
1400年代後半、オアフ島の大首長だったマイリクカヒ(Māʻilikūkāhi)が、オアフ島中央部からワイキキに本拠地を移してから1809年までの間、ワイキキはオアフ島の首都としての役目を果たすことになる。中でも、ワイキキの中心部を流れていたアプアケハウ川の周辺は、ウルコウ(コウの木の林)、ヘルモア(鶏が引っかく)と呼ばれていた場所で、代々、ハワイの首長およびその子孫の居住地だったところだ。
マイリクカヒの6代目子孫にあたるカクヒヘヴァ(Kākuhihewa)の住まいがあったのは、ウルコウと呼ばれた地で、「モアナサーフライダー ウェスティン・リゾート&スパ ワイキキビーチ」(以下、「モアナサーフライダー」)の辺りになる。1901年の創業時に建てられた木造建築は、米国家歴史登録財(National Register of Historic Places)に登録されている。
1890年代になると、砂糖産業をはじめ、ビジネスで成功した人々がワイキキの海沿いに豪邸を建てていく時代に入る。その中の1人、英国からハワイへ移住し、酒類の卸販売と、船着き場に近いダウンタウンでサルーン(現在のバー)を経営することで財を成したウォルター・C・ピーコック氏が、ワイキキで最初のリゾートホテルの建設を提案。1年半の工事期間を経て、1901年3月11日に「モアナホテル(Moana Hotel、現モアナサーフライダー)」が開業した。
それまでのハワイのホテル建設史上、最も建築費がかかったホテルだったが、発電機を有していたため館内は明るく照らされ、各部屋に電話が備えられ、エレベーターや製氷機も使えたという、大変先進的なホテルだった。
モアナホテルについては、連載3回目の「100年で人口が8割減 ハワイ・ワイキキの運命を変えたもの」にてさらに詳しく紹介しているので、ご参照いただきたい。
ヘルモアの伝説と王族の歴史が重なる歴史あるホテル
ロイヤル ハワイアン ラグジュアリー コレクション リゾート ワイキキ
前述したカクヒヘヴァには 1羽の鶏(モア)が彼の元に降り立ち、地面を熱心に引っかいた(ヘル)、という伝説が残されている。カクヒヘヴァは「これは何かを暗示している」と、その場所にヤシの実を植えたところ、1万本のヤシの林ができたとされ、地名「ヘルモア」の由来となっている。
この地に建てられているのが、「太平洋のピンクパレス」との呼び名も持つ、歴史あるホテル「ロイヤル ハワイアン ラグジュアリー コレクション リゾート ワイキキ」(以下「ロイヤル ハワイアン」)だ。
このヘルモアの地に深く関係しているのが、オアフ島を治めた代々の首長に加え、ハワイの島々を統一したカメハメハ大王(1世)と、王妃の1人であるカアフマヌ王妃、そして、大王の孫であるカメハメハ5世という、錚々(そうそう)たる顔ぶれなのだ。
ハワイの島々を統一すべくハワイ島を出発したカメハメハと軍の一行は、1795年にワイキキの岸からオアフ島に侵攻。内陸の崖でオアフ軍を全滅に追い込んで戦争に勝利し、ハワイ島からオアフ島までを治める統治者として「カメハメハ1世(大王)」となった。その後のカメハメハは、さらに北にあるカウアイ島に攻め入る準備をするために、ワイキキを拠点とした。その際、カアフマヌ王妃をワイキキに呼び寄せ、ロイヤル ハワイアンの中庭部分辺り(ココナッツグローブ)に家を設けたという。
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