大阪大学教授で生命科学者の吉森保さんと連続起業家の孫泰蔵さんは、これからは科学的思考が重要だと語る。吉森さんは、2016年にノーベル賞を受賞した大隅良典氏と共同でオートファジーの研究を推し進め、オートファジー分野で被引用数が世界1位の論文も出している研究者だ。そんな吉森さんが、孫泰蔵さんの『 冒険の書 AI時代のアンラーニング 』を読み、感銘を受けたことで実現した今回の対談。実際に教育の現場に立つ吉森さんと、起業家として新たな教育の形を模索する孫さんが、科学とAI、そして教育について、縦横無尽に語りつくす。今回は全3回のうち2回目。

第1回 「孫泰蔵×吉森保『偏差値を高めるより好きなことをする方がいい』」

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「高齢化社会」は本当に「問題」なのか

孫泰蔵氏(以下、孫) 吉森先生が書かれた『 LIFE SCIENCE(ライフサイエンス) 』を拝読しました。研究されているオートファジーについて学べる本なんだろうなと思ったら、生命科学という大テーマの下に「科学的思考」を身につけるための教えが詰まっていて。英語版も出版していただきたいくらい、めちゃくちゃよかったです。

 僕はその中でも「相関」と「因果」の話がとても印象的でした。相関とはお互いが関わり合っていることが目に見える関係。因果とは原因と結果の関係。そして相関関係は必ずしも因果関係とはならない。これは、僕自身も重要なポイントだと思っていたんですが、『冒険の書』では言及できなかったんです。

吉森保氏(以下、吉森) 人間ってね、「相関」に弱いんですよ。例えば、熊のフンを見つけたら近くに熊がいるかもしれないから、その場から離れようとしますよね。そうやって人間は長らく、「臆病になること」で生き延びてきたと思うんです。ただ、その臆病さが強過ぎて、ひとたび相関を見つけると因果だと決めつけてしまう面もあるんですね。タバコを吸ったら肺がんになる、という相関関係に注目することは必要だけれど、それだけでは因果関係までは分からない。研究の積み重ねがあって初めて、タバコと肺がんの因果関係が実証されました。相関と因果の決めつけは、実は色々なことを見落としてしまう危険をはらんでいるんです。

 まさに、僕が常々感じていたのは、物事を決めつける議論があまりにも多いことです。例えば、「高齢化社会」という用語には必ずといっていいほど「問題」の2文字が付いてきますよね。毎日と言ってもいいほど、「高齢化社会は深刻な問題だ」「高齢化社会は日本を衰退させる」といった議論が繰り返されています。高齢化社会は単なる「現象」であり、「結果」でしかない。つまり「ファクト(事実)」であって、日本が抱える問題や衰退する「原因」とは限らないはず。高齢化社会は、言い換えれば「長寿社会」なんですから、むしろポジティブに捉える論調が増えてもいいのにと僕は思うんです。

「高齢化社会は単なる現象であり、結果でしかない。つまりファクトであって、日本が抱える問題や衰退する原因とは限らない」と語る孫泰蔵さん
「高齢化社会は単なる現象であり、結果でしかない。つまりファクトであって、日本が抱える問題や衰退する原因とは限らない」と語る孫泰蔵さん
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吉森 「高齢者は自害せよ」という過激な見出しがするすると世の中に出て、そこに共感してしまう人が多かったのも、相関と因果の取り違えや決めつけによるものと言えるかもしれません。ちなみに科学的思考では、「仮説を立てる」ことも大切とされています。科学とは、そもそも仮説を真実に近づけていく作業なので、可能性は一つではなく“いくつも”考えておかないといけないんですね。

 でも、人間というのは一つの道筋を立てると「もうこれしかない!」と思い込んで、いとも簡単に溝にはまってしまう。「高齢者は自害せよ」という奇妙な見出しが踊った時、「では死ぬべきは何歳以上か?」という議論に突き進んでいった一部の人たちは、深い溝にはまってしまっていたともいえるでしょう。孫さんがおっしゃるように、高齢化社会は本当によくないことなのか。前提を疑い、熟考することが、もっと当たり前になったらいいですよね。

「仮説が全部外れた時」にイノベーションが起こる

吉森 それに研究でも、一つの溝にはまってしまうと大抵は失敗します。現象の背景にある原理にはいくつもの可能性がある、パラレルワールドのようなものである。そんなことを研究室の大学院生には、口を酸っぱくして言っています。とはいえ、複数立てた仮説のうち、どれか一つでも実証できることが科学者の喜びかというと、そうとも言えないところもあるんですよ。

 えっ、それはどういうことですか?

吉森 研究者の一番の喜びって、自分がまったく考えもしなかった発見ができた時なんです。つまり、「仮説が全部外れた時」。もちろん、自分の仮説のどれかが当たって実証されれば素直にうれしいです。ただ、思いもよらない偶然がもたらす幸運な発見、これを「セレンディピティ」と呼びますが、科学者としてはこのセレンディピティが最上級の幸福なんですね。

「思いもよらない偶然の発見が、科学者にとっては最上級の幸福」という吉森保さん
「思いもよらない偶然の発見が、科学者にとっては最上級の幸福」という吉森保さん
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 先生の本でいうと、まったく違う研究から、がん治療につながる発見がもたらされた、というエピソードにも該当しますね。

吉森 そうです。仮説はもちろん重要ですけど、生命科学における大きなイノベーションは、仮説のさらに外側からもたらされることがほとんどです。生命はあまりに複雑なので、どんなに優れた科学者でも、人間である以上はその知恵が容易に及ぶものではありません。だから、科学的な世紀の大発見は、そのほとんどが「狙ったところじゃないところ」から出てきているんですよね。

 科学の歴史はその繰り返しといっても過言ではありませんが、日本政府は「選択と集中」の政策を推進していますから、「狙いが当たりそうなところ」に研究費を出しがちです。そうなると日本の科学者は冒険しづらいですし、必然的に大きなイノベーションも起こりづらくなりますよね。

 僕は経済学や経営学を学んできた人間ですが、吉森先生が今おっしゃった「選択と集中」って、そもそも米国の経済学者、マイケル・ポーター教授が1980年代にハーバード・ビジネス・スクールで提唱して、一躍脚光を浴びた競争戦略論なんですよね。それから、「ビジネスパーソンとして頂点を目指すならハーバード・ビジネス・スクールに行くべきだ」というトレンドが起こり、「選択と集中」の考え方も世界に広まっていきました。当然、ポーター教授の薫陶を受けたビジネスパーソンは日本にもたくさんいて、「選択と集中」の競争戦略が日本にも浸透していったわけです。

今こそ「溝」から抜け出そう

 ただし、ポーター教授も必ずしも「選択と集中をしろ」と言ってるわけでもないんです。3つの基本戦略の一つとして集中戦略を挙げただけ。それにこの戦略が最初に登場したのは40年以上も前です。

吉森 なんと、ずいぶん前なんですね。

 はい。しかも今のビジネス市場の構造って「選択と集中」という戦略だけで通用するような、そんな単純な市場構造ではないじゃないですか。

吉森 ビジネスもそうですし、科学も教育も、どんな分野でもそうです。

 だから「選択と集中」が大事と考えているみなさんは、「青春時代に受けた薫陶」をいまだに引きずっているだけなのでは? 一度良いと思ったら、それをまったく疑わずにいることで「溝」にはまって抜け出せないのでは? と感じることも多々あって。どうしたら分かってもらえるのかなあ、困ったなあというのが正直な気持ちです。

吉森 人間は「体よく見える言葉」に振り回されがちですよね。ただ一方で、一見確実だと思えるものにしか政府の研究費が出ないというのは、政府だけでなく、「一つの道筋だけでなく可能性をいくつも考える」という仮説を立てること自体が、世の中に浸透していないからだとも考えています。だからこそ、今回『LIFE SCIENCE』では科学的思考の大切さを伝えたいなと思って書きました。本当はね、こういうことを語るのは面倒だなと思うタイプなんですけど。

吉森保さん(左)と孫泰蔵さん
吉森保さん(左)と孫泰蔵さん
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 書いていただけて本当によかったです(笑)。仮説の重要性のお話は、ビジネスパーソンにもぜひ読んでいただきたいんですよね。僕は起業家の方からプレゼンを受けて、事業内容や方向性を語ってもらう機会が多いのですが、「その技術なら、こんな戦略、こんなマーケットも考えられるんじゃないですか?」と提案することも多いんです。でも、「いえ、自分の考えがベストです!」と、聞く耳を持ってくれない方も多くて。一つの道筋しか頭にないので、少しつまずくとすぐ「お手上げ」になってしまう人もたくさん見てきました。

吉森 一つのことをやり続ける、信じ続けるというのは美化されがちだけれども、実は弊害も大きいですよね。当たり前を疑うとか、相関と因果を切り離して考える、いくつも仮説を立てる――こうした科学的思考は、別に科学者の専売特許ではありません。

 青臭い理想論かもしれないけれど、科学的に思考できる人が増えれば、差別や戦争だって減らせると思うんです。少なくとも僕は、そう信じています。

(第3回に続く)

構成/金澤英恵 写真/小野さやか

「私たちはなぜ勉強しなきゃいけないの?」「好きなことだけしてちゃダメですか?」
数々の問いを胸に「冒険の書」を手にした「僕」は、時空を超えて偉人たちと出会う旅に出ます。そこでわかった驚きの事実とは――。
起業家・孫泰蔵が最先端AI(人工知能)に触れて抱いた80の問いから生まれる「そうか! なるほど」の連続。迷いが晴れ、新しい自分と世界がはじまります。

孫泰蔵 著/あけたらしろめ 挿絵/日経BP/1760円(税込み)

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