【BOOKS】山本聡美『九相図をよむ 朽ちてゆく死体の美術史』(角川ソフィア文庫) 不浄と無常の日本絵画史を読む

早稲田大学文学学術院教授で日本中世絵画史が専門の山本聡美さんの『九相図をよむ 朽ちてゆく死体の美術史』が角川ソフィア文庫から7月25日に刊行されました。2015年に角川選書で刊行され、芸術選奨新人賞・角川財団学芸賞をダブル受賞した本作が、全作品をカラー掲載する増補版として、文庫化されました。

全作品がカラー図版で掲載

日本に深く根を下ろした不浄の絵画「九相図くそうず」。日本美術ファンにその世界を知ってほしいと、著者と出版社の許可を得て、本書の「序 九相図の一五〇〇年」を試し読みとして掲載します。(一部、洋数字に変換しています)

九相図の一五〇〇年

メメント・モリ。「死を想え」と訳されるラテン語の警句は、キリスト教美術に深い陰影を刻む。西洋には、腐敗する自らの死体を墓標に刻む「トランジ」や、骸骨がいこつと人間がダンスする「死の舞踏」など、死を主題とした豊かな造形が存在する。薄暗い教会堂内で不意に眼にすると、人体を象かたどった大理石の一見なめらかな表面を覆う、蛇や蛙、むき出しの内臓に心がざわめく。醜の美とも呼びたくなる造形を通じて、万人に訪れる死という主題が芸術にとってかけがえのない滋養であったことに気づく。

東洋には、死体が腐敗し白骨となるまでを九つの相で表す、九相図くそうず(九想図)と呼ばれる絵画がある。これは、死体の変化を九段階に分けて観想かんそう(いわばイメージトレーニング)することによって自他の肉体への執着を滅却する、九相観くそうかん(九想観)という仏教の修行に由来する主題である。「相」は眼で見たイメージの世界、「想」は心で観じたイマジネーションの世界。九相図には、その二つの意味が交錯している。

古い作例として、中国新疆しんきょうウイグル自治区トルファン市郊外のトヨク石窟せっくつに、死屍しし観想図を描いた壁画がある。9場面を伴うものではなく原初的な形態ではあるが、樹下で腐乱死体や骸骨を見て瞑想めいそうにふける僧の姿が描かれている。シルクロード交通の要衝として栄えたトルファンは、多くの民族が興亡を繰り返す地であったが、6世紀から7世紀前半にかけて栄えた麴氏きくし高昌国こうしょうこくの時代には、歴代の王が仏教を篤く保護し、政治的にも安定期を迎えた。トヨク石窟の成立もこの頃とみられ、死屍観想図の存在は、石窟寺院において画像を用いた修行が実践されていたことを物語る。また、盛唐せいとう期の中国では文人官僚である包佶ほうきつ(727頃〜792)が九相図を題材に漢詩を詠んでおり、この頃までには9場面を備えた九相図が成立していたようだ。

西域や中国に残る手がかりが断片的であるのに対して、九相図が深く根を下ろし、時間をかけて大きな樹叢じゅそうがかたちづくられたのが日本である。絵巻・掛幅かけふく・版本など、多様な形態の九相図が生み出された。

九相図巻(九州国立博物館蔵)の冒頭 ColBaseより
九相図巻(九州国立博物館蔵)の最後 ColBaseより 途中の段階の画像は九州国立博物館収蔵品データベースでも閲覧できます

1990年代初頭、大学で日本美術史を学んでいたある日。私はひとつの中世絵画に出会った。講義室のスクリーンに映し出された「九相図巻くそうずかん」(鎌倉時代、九州国立博物館蔵)。死体が黒ずみ、膨脹し、腐乱し、犬やからすむさぼう画面が連続する絵巻。

日本の宗教美術に関して、神仏を描く優美な作品群を通じた印象しか持っていなかった私は、「九相図巻」に眼をうばわれた。

凄惨せいさんな主題であるにもかかわらず、その絵は圧倒的な美しさもたたえていた。現実感を伴った人体のフォルム、流麗な線描、点描画法を用いた彩色。細部の描写には、描かれているのが死体であることを忘れさせるほどの精気が宿っている。鎌倉時代にこんな絵が描かれていたなんて――日本美術のすごさに、そのとき気づいた。

私はその絵に魅せられ、以来、九相図について考え続けている。典拠、使用目的、図像の展開、意味の変容、時代を超えて描き継がれた理由。今でもわからないことは多いのだが、20年以上の歳月をかけてこの絵について考えたことで、解けた謎もある。日本美術の歴史を貫いて流れる九相図という豊かな水脈が見えてきた。

本書では、関連するテクストとともに九相図をよむ。全8章からなり、第1章では、鎌倉時代の「九相図巻」について、先行研究の論点を整理し本書で取り組むべき課題を明らかにする。続く第2章と第3章では、九相図の源流を、西域・中国・日本へと眼を転じながら仏典・詩歌・説話の中に探る。図像の典拠は仏典にあるが、漢詩や和歌、説話といった世俗の文芸とも深く結びついていた。仏教を篤く信仰した光明こうみょう皇后や檀林だんりん皇后、絶世の美女小野小町おののこまち入宋にっそう僧の寂照じゃくしょうら、実在の人物を主人公とする九相観説話も語り継がれた。

第4章以下で、九相図の諸作例を取り上げる。鎌倉時代には、「九相図巻」に加え、国宝の名作として名高い「六道絵」(聖衆来迎寺しょうじゅらいこうじ蔵)の中の一幅として制作された「人道不浄相図じんどうふじょうそうず 」がある。手元に収まる小画面の絵巻と大画面掛幅画、形式の異なる2作例を通じて、まずは経典との対応関係について明らかにする。室町時代には、漢詩と和歌と九相図とを組み合わせた「九相詩絵巻くそうしえまき」も登場する。やまと絵の土佐派と漢画の狩野かのう派、室町時代の二大画派による作品を取り上げる。画風の違いも含めてじっくりみていこう。江戸時代には、寺院で行われる絵解きを通じて、九相図が社会に広く浸透していき、版本九相図も普及した。近代初頭に至っても河鍋暁斎かわなべきょうさいら幕末生まれの絵師たちが描き継ぎ、現代の日本でも山口晃やまぐちあきら松井冬子まついふゆこがこの主題を手がけている。

本書で取り上げる作品は10点。鎌倉時代から現代までの作例を、時代の流れに沿ってみていく。いずれも日本における九相図の成立と展開に大きな足跡を刻んだ作品ばかりである。中世から近世、そして近代から現代へと視点を移しつつ、各作品の意味を深く掘り下げる。その上で、作品同士をつなぐ、テクストとイメージが織りなす線に目を凝らし、日本における九相図の展開を俯瞰ふかんする。そうすることによって、九相図という図像に込められた意味が固定的なものではなく、時代に寄り添って変化したことが見えてくる。

西域から中国を経て日本へ、東漸とうぜんする仏教とともに1500年以上の時を超えて継承されたこの絵に祈りや願いを込めた多くの人々がいた。死体を描いた九つの相を凝視することで、生命のあやうさへの戸惑いやおそれが心をとらえる。九相図の向こう側には、生と死に対する諦念の思想が像を結ぶいっぽうで、相反する生への強い執着も見え隠れする。それはかつて九相図を見た人々の想いでもあり、今ここでこの絵を見ている自分自身の想いとなってたち現れる。

山本聡美:1970年、宮崎県生まれ。早稲田大学文学学術院教授。専門は日本中世絵画史。早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。博士(文学)。大分県立芸術文化短期大学専任講師、金城学院大学准教授、共立女子大学教授を経て現職。『九相図をよむ 朽ちてゆく死体の美術史』(角川選書)で平成27年度芸術選奨文部科学大臣新人賞、第14回角川財団学芸賞を受賞したほか、著書に『闇の日本美術』(ちくま新書)、共編著に『国宝 六道絵』(中央公論美術出版)、『九相図資料集成 死体の美術と文学』(岩田書院)などがある。

『九相図をよむ 朽ちてゆく死体の美術史』(角川ソフィア文庫)は定価1,914円。書店かKADOKAWAの公式サイトから各インターネット書店で。
(読売新聞デジタルコンテンツ部美術展ナビ編集班)