岩佐美咲さんのAKB48時代~デビューから卒業まで~AKB48とアイドルわさみんの軌跡1 | KONCHAN 音楽プロデューサ-のよもやま話

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岩佐美咲ツイッターより

岩佐美咲さんは2月5日、長谷川愛さんのバースデーライブにゲスト出演し、渡り廊下走り隊7の解散コンサートで着た衣装を着て、彼女が7期生としてAKB48に加入した時の名曲「大声ダイヤモンド」を披露しました。13歳でAKBのオーディションに合格し、活動を始めた時から秋葉原では多くの思い出を作ってきたと思います。また岩佐さんは演歌デビュー以来今年で12年目に突入しました。私はAKBデビューからずっと彼女を見てきたわけでもありませんので、彼女の中身の濃いこの時期の活動を語ることはとても不可能でありますし、おこがましいと思います。しかしこの機会にそんな彼女のAKB時代の活動を振り返るとともに、彼女を知っていただけるい機会になればよいと思い書くことにしました。AKB48とアイドルわさみんの軌跡と題して2回に分け、第1部ではデビューから卒業まで、AKB次代の岩佐美咲さんの軌跡を振り返り、第2部ではAKB卒業後、先日の「大声ダイヤモンド」など、最近のアイドル姿のわさみんの事や、AKB 時代の参加楽曲について書いてゆきます。なお略歴の記事はウィキペディア、エクスペディアの記事を参考、一部引用にさせていただきました。足らないことは山ほどあると思いますが、ご了承の上よろしければご覧ください。

 

 

岩佐美咲さんのAKB48時代~デビューから卒業まで~

AKB48とアイドルわさみんの軌跡1

AKB48加入前

  • 岩佐美沙さんは小学校低学年のころからやんちゃな性格で、児童会長をやったり、中学校の新入生代表であいさつをしたり、人前に出るのが好きでした。
  • 岩佐さんは物心ついた時から歌手を目指していました。近所の人を集めてリサイタルを開いたこともあります。「祖父母と同居し、北島三郎さんや都はるみさんの演歌を聴いて育ちました。そのためか演歌は日本の歌の原点だと感じていたんです」
  • 小学校1年からダンスのレッスンもしていて、羽島ボーカルアカデミー出身であり、玉置成実のバックダンサーを務めた経験もある。
  • 母親の勧めもあり、AKB 48のオーディションに応募した。

 

2008年

  • 2008年12月AKB48 第四回研究生(7期生)オーディション』に合格。
  • 芸能界を目指したきっかけは、モーニング娘。に憧れたから。「私は歌手になるのがずっと夢だったので、オーディション雑誌『デ☆ビュー』を見てたらAKB48の研究生のオーディションが出てて、毎日劇場で歌ったり踊ったりしてるって書いてあったんですよ。そんなに毎日歌えるんだったら幸せだな~と思って受けました。でもそのときはAKB48がどんなものなのかよくわかってなかったし、私はアイドルにはなれないと思っていたんですよ。私、自信がなかったし、自分を可愛いと思ってなかったから。アイドルって、かわいい子がなるものだと思ってたし、純粋に歌手になりたかったんですよ」

2009年

  • 2月28日、チームB「アイドルの夜明け」公演のアンダーで劇場デビュー。「この日、愛ちゃんのアンダーでB公演に出ました~。ちなみにまだ全然今みたいに仲良くなかったよ!←ツンツン時代だよ! いやあ、緊張しまくってましたなあ。緊張しすぎて楽屋で涙するというフレッシュエピソードも。爆 もうねー元気とかいう問題じゃないくらい元気いっぱいに踊り狂ってましたwwみたことある方はわかると思いますww」
  • 8月23日、『読売新聞創刊135周年記念コンサート AKB104選抜メンバー組閣祭り』の夜公演において同年10月よりチームAメンバーに昇格することが発表され2010年7月27日にチームAメンバーへ正式に昇格した。なお、新チーム公演開始時期の関係上前田亜美とともに7期生最後の昇格者となった。「7期生でラッキーだなって思います。研究生の期間が一番短いし、先輩達のおかげでAKBが一番波に乗っている時にチームに入れた。ただ競争は激しいですよね」
  • 10月30日、正式昇格前に初舞台としてAKB歌劇団「∞・Infinity」に役名付きの上級生役で参加。「正直イヤだったんです。朝から晩まで稽古して、休みないし、本当に辛くて。でも本番を終えた後に、秋元さんが『岩佐、良かった』と言ってくれて…。それから状況が好転して、舞台も二つやらせて貰いました。事務所に所属できたのも、プロダクション尾木の社長さんが見に来ていて、私を拾ってくれたから。その後、『AKB歌劇団』の広井王子監督が推薦してくれて、『渡り廊下走り他7』にも入れたし…」f:id:JoanUBARA:20170312232302j:plain

2010年

  • 3月25日、コンサート「満席祭り希望 賛否両論」にて、プロダクション尾木から移籍の打診があった事が発表。のちにAKSから正式に移籍となる。
  • 5月18日から23日まで行われたチームIMAGINE特別公演『らめらめ』では、小原春香(SDN48)、仁藤萌乃とともに主演を務めた。ちなみに3回目の舞台出演にして初の主演となる。詳細http://www.scramble-egg.com/artist/akb48/118ramerame.htm
  • 画像はスクランブルエッグさんの記事よりPhoto
  • 6月30日、渡辺麻友さんら5人に加えて、岩佐美咲と小森美果を追加して、2010年7月から9ニッポン放送で始まったラジオ番組限定企画ユニット「渡り廊下走り隊7」が結成された。なお渡り廊下走り隊7についてはAKB48とアイドルわさみんの軌跡2のほうで詳しく書かせていただきます。
  • 7月27日、チームAの公演がはじまり、正式に正規メンバーへ昇格。
  • 9月、尾木プロ所属メンバーのみによる「TeamOgi祭り」では、おニャン子クラブから演歌歌手へと転向した城之内早苗の『あじさい橋』を本人と共に熱唱。このころから城之内さんも将来演歌デビューするかもしれないとほのめかしています。
  • 岩佐美咲さんの歌うあじさい橋~城之内早苗さんとの出会い演歌歌手への道~

    TeamOgi祭り2010より引用

  • 10月、野外ライブ「東京秋祭り」のゆるゆるカラオケ大会では、『津軽海峡冬景色』を歌って優勝。ハワイ旅行をゲットした。
  • 12月22日、同事務所所属の小森美果と共に、DVD『いわこも』をリリース。

 

2011年

  • 2月2日、「渡り廊下走り他7」名義で「バレンタインキッス」をCDをリリース。

    ドラマーはるごん「GIVE ME FIVE!」2月20日チームA公演より引用目撃者 | 48love

  • 3月11日東日本大震災が起こり、AKB48は3月24日誰かのためにプロジェクトを発足。岩佐も幾度となく東北の地を訪れライブ活動などを行った。

    2013.11.11in宮城県女川

  • 3月29日に開催された『チームA 6th「目撃者」』公演において、演歌歌手を目指すためプロダクション尾木から長良プロダクションへ移籍することを自ら発表。同事務所に所属する初のAKB48メンバーとなる。「4月1日から私はプロダクション尾木から、長良プロダクションに移籍することになりました。演歌を本気でやりたいという、夢に近づくための前向きな移籍なので、これからももっと前向きに頑張っていきたいと思います」

     

  • チームA「目撃者」公演千秋楽より引用

  • 4月1日、長良プロダクションへ正式移籍。ただし移籍後当面は「渡り廊下走り隊7」や「Team Ogi祭」など、プロダクション尾木所属時代からの活動を並行して行っている。

  • 5月2日、アメーバブログに「新すーぱー美咲タイム」というオフィシャルブログを開設。
  • 9月20日、第2回じゃんけん大会では、去年と同じく初戦敗退。「去年は気持ちで負けたので、今年は強い気持ちで臨んだのに…。もう来年はじゃんけん大会、やめませんか?」
  • 11月30日渡り廊下走り隊7「希望山脈」発売。アニメクレヨンしんちゃんOPに起用。

    岩佐美咲

    岩佐美咲上記画像は音楽ナタリーさんの記事より引用

  • 12月6日、演歌歌手として来年2月1日にソロデビューすることが発表された。発売は徳間ジャパンコミュニケーションズ。

  • この年はよっしゃぁ〜行くぞぉ〜! in 西武ドームやAKBがいっぱい〜SUMMER TOUR 2011〜などでも活躍していた。

     

2012年

 

 

  • 1月4日、クイーンズスクエア横浜で行われた「長良グループ新春演歌まつり」の告知イベントに出演。桜色の艶やかな着物姿で、初めて演歌のステージに立った。「期待してくれるファンの方に応えることができるように頑張ります。緊張で手が震えました。AKBのファンの方にも演歌を聴いてほしい」「-新春演歌まつり」は2月25日に横浜アリーナなどで行われ、氷川きよしら所属事務所の先輩歌手と共演する。

    オリコンニュースさんの記事より引用

  • 2月1日に徳間ジャパンコミュニケーションズから「無人駅」でソロデビューした。AKB48メンバーのソロデビューは板野友美、前田敦子に次いで3人目、演歌歌手としては初となる。初回盤のカップリングに『ヘビーローテーション』演歌バージョン収録。メンバーの中でも歌唱力が秀でていることで知られ、秋元康も認める存在。「信じられないですよ。私にもやっと“チャンスの順番”が来たのかなって思いました」前日には、東京・台東区の浅草寺でヒット祈願、新橋駅前のSL広場などでソロデビューイベントを開催。

    岩佐美咲 祝デビュー10周年~無人駅から10年当時を振り返る~オリジナル楽曲の歴史

  • 2月13日付オリコンランキングで、『無人駅』は初週で2万4千枚を売り上げ、週間ランキングで初登場5位を獲得した。演歌歌手のデビュー曲トップ10入りは『海雪』(ジェロ)以来3年9カ月ぶりで、女性歌手としては『あじさい橋』(城之内早苗-おニャン子クラブ)以来25年7カ月ぶり。岩佐は「ソロデビュー出来たことだけでも夢のようなことなのに、これだけ多くの方に聴いていただけて、本当に幸せです」
  • 3月21日、『AKBINGO!』で行われたメンバーの中で誰が歌が上手いかを決める企画「DIVAチャン」で優勝。総勢12名でトーナメント方式で行われた。岩佐は1回戦で市川美織と対戦し『津軽海峡・冬景色』を歌唱。2回戦は増田有華と対戦し『Story』を歌い勝ち上がった。決勝では中村麻里子、竹内美宥の3名で行われ、岩佐は松田聖子の『赤いスイートピー』を歌唱。審査員の平尾昌晃、高橋ジョージ、湯浅順司らの賞賛を受け見事に優勝を果たした。岩佐「正直、お客様の前で歌うよりも緊張してしまったのですが、大好きな歌を評価していただけたのがすごく嬉しいです! そして、改めてメンバーの歌を聴いて、とても良い刺激になりました。これからももっとたくさんの方に歌を届けられるように努力していきたいです!」
  • 4月3日よりTBSラジオ『ミュージックナビ〜昨日と今日との交差点〜』のアーティストコーナーにおいて初のソロレギュラー番組「こんばんわさみん」が始まる。
  • 5月3日、所属する芸能プロダクション「長良グループ」会長の長良じゅん(本名・神林義忠)が、日本時間3日午前7時30分、ハワイのゴルフ場でカート運転中に事故死したことについてのコメント。「長良会長がいなければ、演歌歌手としてデビューする事ができませんでした。感謝してもしきれません。一人前の演歌歌手になり、少しでも長良会長に恩返しをしていけるように神林社長のもと、これからも精一杯頑張りたいと思います」
  • 5月23日、第4回総選挙の速報結果が発表された。「総選挙の速報発表で私の名前があって。私に投票して下さった皆さん、本当にありがとうございます! 速報だというのに、名前があるのが始めてなので信じられないです。笑 どれだけありがたいことなのか、わかっているつもりです。去年までのドキドキとは、全然違うドキドキです。わたしがなにもすることが出来ないのが毎年もどかしいですが、変わらず、目の前のこと一つ一つ一生懸命頑張っていきたいと思います。今年、皆から愛をたくさんたくさん感じたから、恩返ししたいな。皆さんに岩佐に投票してよかったと思っていただけますように」
  • 5月から6月にかけて実施され6月6日AKB48 27thシングル 選抜総選挙』では33位で、ネクストガールズに選出された

  • 岩佐美咲スピーチ「わたしは33位という素晴らしい順位を、皆さんから頂きました。応援してくださった皆さん、いい結果が出る事を願って下さった皆さん、本当に本当にありがとうございます!! 今でも信じられないです。幸せですしありがたい。なんといったら気持ちが伝わるのか、わからなくてもどかしいです。私は今まで壇上に上がれたことがありませんでした。人それぞれのペースはあるし、応援してくださった皆さんがいることが嬉しい。その気持ちにもちろんウソはありませんでしたが、ふとしたときに思い出してしまったり。失敗をしてしまったときに限って、ああ、やっぱり私はってなってしまったり。今年こそは、皆さんに申し訳ない気持ちをもちたくなかった。皆さんにももってほしくなかった。メンバーが次々と壇上にあがるなか、もしかしたらまた呼ばれないんじゃないかって考えてしまった瞬間もありました。だけど、皆さんが背中を押してくれました。私は歌唱キャンペーンを通して、CD一枚一枚にどれだけ重みがあるか。そしてどれだけありがたいことなのかを、身をもって感じました。だから皆さんが私に托してくださった一票一票に真摯に応えていきたいですっ。ネクストガールズセンターとして、精一杯輝くことが皆さんへの恩返しになると思っています。今回の結果を受け止めて…皆さんを信じて!! 自信をもって!! 自分に厳しく!! がんばっていきたいです。ネット弁慶で、変人で、歌もまだまだで…まだまだな所だらけなわたしですが(笑)、これからも岩佐美咲の応援よろしくお願いいたします。ありがとうううううううううううううう」

    AKB48 27thシングル 選抜総選挙&岩佐美咲ネクストガールズセンター曲「ドレミファ音痴」。ネクストガールズは「JOYSOUND」の2012年イメージキャラクターを務めキャンペーン第二弾として「AKB48と“うた動セッション”しよう!」を開催。

    PRTIMESさんの記事より引用

  • 7月29日、いすみ鉄道・国吉駅で『無人駅で「無人駅」を歌おう!!』イベントを開催。イベント後、同駅から大原駅まで岩佐が「一日車掌」として乗務する団体列車「特別急行 わさみん号」が運行される。

     

  • 8月10日、『日本レコード大賞』新人賞レース.。プロダクション尾木の尾木徹社長は日本音楽事業者協会の理事長であるが、「演歌を歌いたい」という岩佐の希望で、長良プロに移籍した際「秋元康に『演歌は長良会長しかいない』といって、頼まれたんだ」とうれしそうに語り、「2012年のレコ大の新人賞を必ず獲る」と語った。
  • 8月24日、東京ドームコンサート「AKB48 in TOKYO DOME ~1830mの夢~」初日、AKB48全体の大幅な組織変更を発表。岩佐はチームBに異動することとなった。岩佐はチームAのメンバーとしての出演のほかネクストガールズとして「ドレミファ音痴」を歌唱。「ドレミファ音痴」を披露するネクストガールズ(写真は8月25日公演より)。 (C)AKS音楽ナタリーさんの記事より引用 岩佐美咲 オフィシャルブログ 新スーパー美咲タイム★
  • 岩佐美咲LINE BLOGより

     

  • 10月、日本レコード大賞・新人賞についての続報として“AKB48での活動歴があるために、新人賞には該当しない”というレコ大運営サイドが結論付けたことが判明。
  • 10月20日、アクアシティ・アクアアリーナで行われた「『無人駅』フォトコンテスト」「2月1日のことが昨日のことのようで、もう9カ月がたったのかなという気がします。AKB48や、渡り廊下走り隊7の曲では同じ曲を長く歌わないじゃないですか。でも演歌だからこそ『無人駅』という一つの曲を長く歌って皆さんにたくさん聴いていただけるのだなと思ったらすごくすてきなことですし、いままでの自分の人生の中で最も濃い9カ月だったなと思います」
    「『無人駅』フォトコンテスト」上位入賞者と記念撮影する岩佐美咲。音楽ナタリーさんの記事より引用
  • 11月1日、チームBに異動。第45回日本有線大賞で新人賞、ロングリクエスト賞を受賞岩佐は受賞した心境を「嘘みたいです。本当にみなさんのおかげです。ありがとうございます!」と綴ると、演歌歌手らしく「無人駅がたくさんの人に、長く、これからも愛してもらえるように頑張ります」

     

  • 11月3日、チームBのメンバーとして活動を開始。「わたくし、本日の組閣でteamBになりました。色々思うことは、もちろん、山ほどあります。が、なんとかかんとか前に進んでいきたいと思います。もう明日から、teamBの岩佐美咲ですって言わなきゃいけないのかな?笑」

2013年

  • 1月9日、ソロとして2枚目のシングル「もしも私が空に住んでいたら」発売。同月21日付オリコン週間シングルチャートにおいて初登場5位を記録。
  • 5月から6月にかけて実施された『AKB48 32ndシングル 選抜総選挙』では56位となり、フューチャーガールズに選出された。
  • この年はAKB48・2013真夏のドームツアーも開催された。
  • 2013年11月27日に公式サイトで、渡り廊下走り隊活動のすべてをコンプリートしたベストアルバム『渡り廊下をゆっくり歩きたい』を12月25日にリリースする告知とともに、解散が正式発表された。

     

2014年

  • 1月7日、発売に先立ち東京で行われた「鞆の浦慕情」初披露イベントにおいて、曲の舞台となった広島県塾山市から「福山・鞆の浦応援特別大使」に任命された。これに対して岩佐もサプライズで、同市のイメージキャラクター「ローラ」を「わさみん鞆の浦慕情応援隊長」に任命した。

    1月8日、ソロとして3枚目のシングル「鞆の浦慕情」発売。同月20日付オリコン週間シングルチャートにおいて初登場1位を記録

  • 2月9日、渡り廊下走り隊7はZeppダイバーシティ東京で行われた解散ライブをもって解散した。

  • 2月24日、Zepp DiverCityで開催された「AKB48グループ大組閣祭り」において、チームKへの異動が発表される。

  • 2月22日から福山市で鞆の浦わさみんラッピングバスが運行。福山市ツイッターより

  • 4月11日、MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島で開催された広島東洋カープ対中日ドラゴンズ第4回戦において国歌独唱と始球式を行う。AKB48のメンバーによる国歌独唱はこれが初めてとなった。

  • 4月24日 チームKへ異動。
  • 5月から6月にかけて実施された『AKB48 37thシングル 選抜総選挙』では49位で、フューチャーガールズに選出された。。

  • またこの時期は東京ドームや味の素スタジアムなどでAKB48の大規模なコンサートが開かれた。
  • 10月14日に福山西警察署の一日署長を務めた。歌唱後、警察官の制服姿で一日警察署長任命式に出席、オープンカーに乗車しパレードを行いながら地元の市民や全国から駆けつけたファンに防犯や交通安全を呼び掛け、最終地点の鞆の浦で感謝状の授与式開催。画像はビルボードジャパンさんの記事より引用 岩佐美咲「」3枚目/4
 

 

2015年

 

  • 1月に秋葉原にほど近い湯島天神で行われたAKB48の成人式に参加。手織りの着物が話題となった。
  • 3月26日 さいたまスーパーアリーナで行われた『AKB48春の単独コンサート〜ジキソー未だ修行中!』において、チームBへの異動が発表される。

    2015AKB 48グループじゃんけん大会 音楽ナタリーさんの記事より

  • 3月31日をもって「福山・鞆の浦応援特別大使」を退任した。

2016年

 

  • 1月30日 浅草公会堂において、自身初のソロコンサート『岩佐美咲ファーストコンサート〜無人駅から 新たなる出発の刻(とき)〜』を開催。同コンサートでAKB48を卒業することを発表した。
  • 2月24日、3月14日に卒業公演が開催されること、5月21日にインテックス大阪で開催される「唇にBe My Baby」劇場盤発売記念大握手会が、参加する最後のAKB48握手会となることが、AKB48オフィシャルブログで発表される。
  • 岩佐美咲ファーストコンサートAKB48卒業発表コメント「本当に皆様のおかげで夢をかなえることができました。これからも皆さんのお力をお借りしながらいろんな夢を叶えていきたいと思っています。その中で自分に厳しくしたく、一つ自分の中で決めたことがあります。岩佐美咲は、AKB48を卒業します」と発表。(え~~~)「マジっす。やばい泣きたくなかったんですけど、(がんばれ~)AKBだから応援してくれる人が多数おられるということもわかってますし、やめると厳しいとわかってるんですけど、演歌の道一本でやっていきたいという意思が演歌を歌わせていただくたびに強くなってきて、演歌歌謡曲への愛も日に日に増してきて、この決断をさせていただきました」

    「AKBを辞めても応援しtれくれると聞いたらそれはちょっとという人がいて、いや笑えませんって。AKBをやめてからが本当のスタートラインですし、皆さまの応援が必要になりますので、これからも応援してくださったらうれしいです。これからもよろしくお願いします」と決意を語り、その突然の発表に驚くファンたちから「頑張って!」という温かい拍手と声援が送られました。「今日でサヨナラという人がいると思うと寂しくて。逆に私に関しては会える機会が増えると思うので、週末ヒロインな感じで、これからも精一杯歌を磨いて頑張りたいと思います。ほんとに最後までありがとうございます。もしかしたら寂しい思いをさせてしまった方もいらっしゃると思いますが、今日観たら応援せざるを得ないだろうと思っていただけたら嬉しいです。本当に今日はあ最後まで応援していただいてありがとうございます。それでは最後にすべての私の演歌人生が始まったデビュー曲です。「無人駅」聴いて下さい」

    3月14日 AKB48劇場で卒業公演が行われ、終演後の会見で、2017年1月29日に浅草公会堂において2度目のソロコンサートが開催されることが発表された。

    5月21日、AKB48メンバーとしての活動を終了。卒業公演の様子は最後に記載します。

 

秋葉原とAKB48劇場

 

AKBといえば秋葉原、秋葉原といえばAKB。「会いに行けるアイドル」というコンセプトを体現したAKB48の活動拠点である。2005年12月8日にデビュー公演が行われた。外神田4丁目交差点前のドン・キホーテのある旧・ミナミ電気館秋葉原本店ビル8階に立地する。「アイドルは時代の一番エネルギーのある場所から生まれる」という秋元康の考えからオタク系・萌え系で若者のエネルギーにあふれた秋葉原が候補に上がった。秋葉原で開かれるアイドルの握手会、撮影会には多くの若者が集まる。新人アイドルの熱狂的なファンを作るには最適な立地であるというのが理由とのことです。

AKBのわさみんは秋葉原で生まれ秋葉原で育った。AKB劇場での公演も多数こなしています。私には知る由もないですが、彼女にとっては青春時代の華やかな思い出、時には辛いことなどたくさんの思い出の詰まった街であるのだと思います。この街にいると安心できるとも言っておりますが、まさに自分の第二の故郷ともいえる街なのだと思います。岩佐さんが出演したAKB劇場公演では2011年3月に開催されたチームA目撃者の公演、わさみんが躍動するダイナミックなダンスと歌のパフォーマンス、当時の劇場の雰囲気が伝わってきて思わず胸が熱くなります。なんでも劇場ができたころは数人しかお客さんがいなかったとのことですが、秋元氏が示した「会いに行けるアイドル」というコンセプトは次第に共感を生み、みんなで甲子園を目指そう的な応援の輪が広がっていった。これは秋元氏の確信のあったところだろうが、これだけ全世界的な広がりを見せるとはだれも予測しなかったところでしょう。ともあれ秋葉原を拠点とするAKB48日本を代表するアイドルグループとなり、わさみんもその一員として思い出の時間を過ごしたのでした。

 

チームA 6th「目撃者」』公演 東京ドームシティ公演

 

2016年3月14日 岩佐美咲卒業公演

 

 

 

 

 

 

そんな岩佐美咲さんの卒業公演はやはりAKB48劇場でした。ここは私が口をはさむまでもありなせん。AKBを卒業したことは残念でもありましたが彼女にとっては新たな飛躍への第一歩、そこから歌手としての大きな一歩を踏み出したのです。岩佐さんの言葉を見て心から応援したくなりました。わさみんのコメントこれがすべてだと思います。

岩佐美咲卒業公演時コメント  「ほんとにですね、今日が最後だって実感が今でも沸いてないんですけど・・・(涙) ほんとにAKBに入って良かったなーって心の底から思ってるし、全てはここから始まったので、きっと私にとって大事な場所だし、普通の子がするような子ができなかったりもしましたけど、でもその分、絶対に普通じゃ味わえないようなことを経験させてもらったりだとか、たくさんたくさんAKB48に入って夢をたくさん見させてもらったなって思います。

「タンポポの決心」は研究生の頃に研究生公演で歌ってた曲で、当時のことを凄い思い出して。7期の中でもほんとに私は全然人気もなかったし、一番ダメダメで。何にも。もう他の子はみんなやっぱ可愛いし、ダンスも凄く上手だし、何もない私を見つけてくれた皆さんにほんとにありがとうって言いたいですし、せっかくこうして出会えたのでもっとこれからも一緒に夢を見てもらえたら嬉しいなと思います。

ほんとに、AKBとして入った時のこと考えると、1人で歌をうたわせてもらえるこの状況がね、本当にありがたいことで。もう夢が叶ったのはほんとに奇跡だなって思った部分もあるんですけれども、これからもっともっと歌手としてですね、大成したいなと思ってますし、たくさんたくさん色んな所で歌わせてもらいたいし、歌のお仕事でやっていけたらなって思ってますけど、やっぱり歌のお仕事もね、ファンの皆さんがいないと、ファンの皆さんの応援が私に歌う場所をほんとにくださってるので、これからも皆さんのお力を借りながら、皆さんの心の支えにって言ったらおこがましいけど、癒しになるような歌をこれからも歌っていけたらなって思ってます。

今日、ほんとに踊るのが好きなので悔い残らないかなって実は心配だったんですけど、皆さんのおかげで、そしてスタッフさんのおかげで、メンバーみんなのおかげでほんとに悔いの残らない公演になりました。アイドルとしては、アイドルという職からは離れるんですけど、アイドルではなくなるんですけど、私のことをアイドルとして応援してくれてる人には・・・(後ろを向いてティッシュで鼻水を拭く)

こんな感じであんまりね、王道のアイドルではなかった私だったんですけども、最後の最後までこんな雰囲気ですけど、それも私らしいかなと思いますし、アイドルとして応援してくださってる方にとってはこれからもアイドルでいれるように頑張りたいなって思います。是非これからも応援よろしくお願いします。今日はほんとにありがとうございました」拍手

画像およびコメント文章は下記AKBメモリスト記事より引用

岩佐さんの卒業公演後のコメント

卒業公演のために色々一緒になって考えて下さったスタッフさん、忙しい中を駆けつけてくれた同期のメンバーそして木﨑チームBの皆、感謝してもしきれませんヽ(;▽;)ノ
わたしに全てを教えてくれたホーム、秋葉原ドン・キホーテ8FのAKB48劇場。ここでAKB48として歌うことはもう無いのだと思うと、なんとも言い表せない気持ちです。居心地の良い居場所を抜け出すのは、新しい場所に行くのはいつだって凄く勇気がいるしとっても怖いことだけど、その先にあるものは一歩を踏み出さないと絶対にみられないです。止まりたくない、前に進みたいって思ったから決断した自分は間違っていないと思っています!
少し前のわたしより今のわたしの方が好きです。自分が好きだなんて、久しぶりに思えた気がします。何かが始まるのってこんなにわくわくするんだな。AKBに入った頃の自分を思い出します(^ν^)少し前、というかまだ卒業を考えられなかった時は、AKBを卒業してしまったらわたしに何も残らないんじゃないか、AKBじゃないわたしはみなさんにとって魅力的には映らないのではないかと思っていました。でも、そう思ってしまうのはとても残念なことだと気が付きました。自分自身を愛して、愛されなきゃだめだ。わたしは歌うことが本当に好きです( *'ω'* )
私がAKBじゃなくなって私から離れてしまう人、もちろんいると思います。でもそんなの、私がいい歌を歌うことが出来れば、きっとその人たちだってまた歌を聴きに来てくれる、全ては自分次第です・これから先はもっともっと私の内側までみんなにみてもらえるように、さらけ出していきたいと思っています。(岩佐さんLINEブログより)

 

2016年5月21日 岩佐美咲AKB48活動終了

 

そしてついにこの日がやってきました。わさみんは気丈にもいってきます、「いってきますAKB」と言ってブログを書いていましたが、岩佐美咲の劇場の壁掛け写真外すシーンではとても寂しかったし、涙しましたよ。でも後は見ない新たな旅立ちの時でした。記念すべきこの日を心からお祝いしました。

岩佐美咲さん活動終了コメント(LINEブログより)

21日大阪でAKB48としての最後の活動、握手会が終わりました(^-^)見送ってくれたみんな本当にありがとう。これからが本当に頑張りどきだから、これからも応援してくれたらとっても嬉しいです。卒業はスタートさーってAKBも言ってたよ~(10年桜) 可愛いお花もありがとう。いぬ、。
わんわん 卒業式って設定で送り出してくれたんだけど、凄く素敵な設定でした!笑 

次の日、劇場の壁掛け写真も外したよー 心のこりは無いです。笑 AKBにいた事は私にとって奇跡みたいな時間でした。たくさんの夢をありがとう。これからもたくさん夢をみよう
翌日のイベントでも、皆さんが卒業を祝ってくれたよヽ(;▽;)ノ トロフィーもらった。1位だって。光栄です。一生の宝物。愛されてるなあ。自分。笑 「夢を一緒に追い続けます」ってみんなの言葉を信じて、頑張れる限り頑張ってみます!!!

さよならAKBだと寂しいから、
いってきます、でw

 

2020年1月25日に秋葉原のAKBカフェ行ったらもう閉まっていました。時の流れを感じさせますが、それはみな新しい世界へと向かっているという証、AKB48のわさみんは皆さんの心の中で生き続けるでしょう。岩佐さんこれからも演歌歌手として末永く頑張ってください。皆様もどうか岩佐美咲の応援をよろしくお願いします。ありがとうございました。