<2024.03.16>後段加筆
<2023.12.01>起稿

 

 

松山千春はこれまで必ずと言っていいほど、大阪(関西)公演を控えた直前の自身のラジオ番組(「松山千春 ON THE RADIO」)で「関西フォークの流れを汲む俺が大阪(関西)で歌う」と発言してきた。

ところが1、2年前頃からだろうか?その表現を使わなくなり、「親しんできた」と言い換えている。

 

現状、ラジオで「関西フォークの流れを汲む」と発言した最後は2023年5月7日放送の同番組中。この時は話の流れで久しぶりにそう言った。「俺は関西フォークの流れを汲んだフォークシンガ―ですよ」と。


ただし、この時も「関西フォーク…」のあと、「流れを汲んだ」と言う前、ほんの少し間が空いた。「流れを汲む」以外の言葉を探していたように聴き取れた。

 

私はこの言い換えを歓迎している。

松山千春はどこまでいっても松山千春。松山千春の歌は、北海道の足寄、大自然の中で、あのご家族とともに、あの環境の中で生きて来たからこそ生み出される松山千春流フォークソングである。

 



「関西フォーク」の特徴は「アマチュア性や反体制的な歌詞」(瀬崎圭二)にあり、アングラ性(アンダーグラウンドの略:非公式な活動、反体制的な文化などの意)=プロテスト性(反体制的な主張や抗議などの意)と強いメッセージ性の歌詞を象徴とする(瀬崎圭二/趣意)という瀬崎氏の定義を私は採用している。

 

端的に言えば、世界や社会、政治、権力などへの明確な「プロテストソング」(抗議、抵抗の歌)だろう。

「流れを汲む」の意味は「その系統や流派を受け継ぐ。その系譜に連なる」(weblio辞書)。別の言い方をすれば「ある類型的な特徴が受け継がれているということ」(Study₋Z)。

松山千春が岡林信康をきっかけとしてフォークソング、なかんずく関西フォークに興味を持ち、聴き親しみ、自分でも歌を作り始めたことは紛れもない事実である。

 

一方で、これまで松山千春が生み出した楽曲の中に、前述した「関西フォーク」と「流れを汲む」という言葉の定義に合致した楽曲を見出すことは出来ないと思っている。

「いつの日か」「egoist:エゴイスト 自己中心主義者」「STANCE」「時代」「君は僕」「最後のチャンス」「兵士の詩」「淡い雪」などの楽曲におぼろげならその一端を感じることが出来ると言えば出来るが。仮にそうだとしても、松山千春が生み出した550曲を超える総楽曲中では5%にも満たないであろう。私の感覚では、それは「流れを汲む」とは言い難い。

余談だが、今年5月5日にNHK₋FMで放送された長渕剛特番の中で長渕剛が次のように語っていた。

「関西フォークの源流から僕は来ている。友部正人さんや、亡くなられた加川良さん。すごく敬愛して、今でも尊敬している」

あえて言えば、私は長渕剛の歌(歌詞)の方が関西フォークの流れを汲んでいるように感じている。

 


例えば、もし社会学や文化史、音楽史などを専門とする研究者や、関西フォークを愛聴し、それらの歌とともに生きて来られた方々が松山千春の楽曲(歌詞)と、「俺(松山千春)は関西フォークの流れを汲んでいる」という発言とを併せ聞いた時、どう思うだろうか。

 

私は決してポジティブな反応は出て来ないと思う。むしろ「松山千春の事実認識、自己認識はどんなものだろう?」…私は松山千春がそう思われたくないので、重複するが、冒頭に書いた松山千春自身の言い換えを歓迎している。

もちろん、“松山千春自身が、関西フォークの流れを汲んでいるって言うんだから、それでいいじゃないか。理屈は要らない”と言うファン心理や感情も理解しているので、それを否定するつもりはない。

 

 


さて、では松山千春流のフォークソングとは何なのか―。

私はその一端を松山千春自伝『足寄より』(小学館/単行本)に見る。少々長いがその箇所を引用する。

その前に、松山千春が『足寄より』を書いたのはおそらく21~22歳頃だと思うので、そこに綴られている言葉や表現、物事を見る視点は年齢相応で、若者らしい大言壮語なところも見受けられるし、現代風の言い方をすれば“ツッコミどころ満載”であることを弁えている。

『足寄より』163㌻~

1977年8月8日、北海道厚生年金会館(当時)でファーストコンサートを開催したことを振り返っての心境を綴った部分

「俺の歌には噓はない。嘘は歌わないってこと。そこに俺のすべてがあるんだってこと。(…)嘘を歌わないかぎり、俺の生活をそのまま訴えていくかぎり、(…)それが俺のパワーになっていくんだと思った。(…)
 自分の生活を見せていく。生きざまがダイレクトに歌になる。そこからプロテストも出てくる。隠すものなんか、なにもないんだ。
 メッセージとかプロテストとかいっても、お前が歌っているのは恋愛が多いじゃないか―そういうことをいうやつもいる。メッセージとかプロテストとかいうのは、なにもアジる(※)ことじゃない。人間とはこういうものなんだ、ありのままの姿はこうなんだ、それを自分の生活を通して歌う。だけど、現実の多くの人の生き方は、そうなっていない。(ステージでの聴衆とのすべてのやりとりを含めて)そこにメッセージがあり、プロテストがある。
 生活を通して訴え、プロテストにする。(…)だから、俺は生活をさらけだす」


(※)アジテーション:人心の「動揺」もしくは「興奮」さらにはそれらを引き起こす「扇動」および「撹拌(かくはん)」などといった揺り動かすこともしくはかき回すこと全般/weblio辞書

 

つまり、社会や政治などに対して直接的な表現でプロテストするのではなく、北海道の大自然の中で生まれ、かけがえのない家族と過ごした松山千春がそこで感じた自然を、家族を、ふるさとを、人間愛を、さらけ出して歌うこと。

 

それが必然的結果的にそうしたものを忘れかけている人々や社会に対するプロテストになる―こういうことだろう。

この思い、よく分かるし、そこに松山千春流フォークソングの原点と良さがあるのだと思う。また、私の中でこうした松山千春のスタンスを大事にして応援してきたつもりである。だからこそ「俺は関西フォークの流れを汲む」という言葉に違和感を覚えるのである。

そんな松山千春流フォークソングを代表する曲を厳選して二曲挙げるとすれば、初期で言えば「残照」(1980年)

 

 

近年では「まだまだ」(2013年)

 

 

 

上に引用した松山千春の思いと歌に対する基本スタンスをあらためて確認して思うことは、だからこそ、そういう歌をもっともっと生み出して欲しいということ。

さらに政治をはじめとする時事的話題、人々への思いやりや平和への願いなどをライブでしゃべるんだったら、それを歌にして欲しい。その願いを歌詞に託して欲しい。

「俺はフォークシンガーだからライブで政治的なこともしゃべる」という松山千春の気持ちも分からなくはないが、私の中では違和感が残る。

社会問題や政治的なことに矛盾を感じたら、そのことをストレートに、言葉を尽くして歌詞に落とし込み、歌って欲しい。歌にすれば、政治的な内容であっても松山千春が生み出すフォークソングになるだろう。

 

抽象的な言葉を使ったラブソング仕立てに置き換えてしまって、本来伝えたいメッセージを聴き手に伝わりにくくするのではなく。

 

シンプルな話、フォークシンガーだからしゃべるのではなく、フォークシンガーだから歌って欲しい。

 

2023年12月24日放送の自身のラジオ番組で「来年は、自分が今考えてること、やりたいこと、そんなことをみんなに届けられるような楽曲を作りたいと考えている。正直言って、あと50年も60年も歌えるわけじゃないので、そのへんも考えながら、頑張ってやっていきたい」と語っていた。

 

松山千春、今年の12月16日で68歳を数えた。ここまで人生の酸いも甘いも経験し、いろんな思いをして来たことだろう。

 

だからこそ、それらを全部さらけ出した円熟味のある歌詞で綴られた歌を、若き頃の志そのままにまだまだ生み出し続けて欲しい。

 

 

2024年3月3日の「松山千春 ON THE RADIO」で新曲「友よ」と「今日は終らない」を初披露した。その2曲をかける前に語っていた。

 

「社会に対して批判ばっかりしてね、それでメッセージフォークだ、フォークソングだ、とはね全然言い切れなくて。やっぱり今、日本としては平和な時代が続いているわけだから、その中でどうやって、フォークソングを歌っていくか」

 

そのとおりだと思う。自分の中から自然と湧き出てくる歌詞とメロディに対して、その時代の中で「どうやってフォークソングを歌っていくか」というフィルターをすべての曲にぜひともかけて欲しいと願う。

 

一方で上の「社会に対して批判ばかりしているメッセージフォーク、フォークソング」がどこか当時の関西フォークを前提としているとしたら、この記事で私が一貫してい主張していることと一致している。だからこそ私は「松山千春は関西フォークの流れを汲むフォークシンガーではない」と思っている。

 

さらにラジオで語っていた。

 

「やっぱりメッセージシンガー、フォークシンガーとしてね、俺はやっぱりこの曲(「友よ」)で春のコンサート、勝負していきたいなと思いますしね。やっぱりこの歳になったらな、ほんとにその“売れる、売れない”とか関係ないんだ。要は「今みんなに俺の気持ちを分かってもらいたい」―そういう思いで曲を作るわけでね」

 

まさしくそのとおり。「俺の気持ち」を言い換えや意味後付けをしないで、ストレートに言葉を尽くして歌詞に落とし込んで欲しいと長年長年感じてきた。トークではなく、歌で勝負して欲しい。

 

 

この放送の前、2月18日の同ラジオ番組では次のとおり語っていた。

 

「曲を作った時には、もしこの曲で(が最後になって)俺がこの世を去ったとしても恥ずかしくない、そういう曲を…。


これ60を過ぎてから。20とか30の時にはそんなことひとつも思わなかったよ。あくまでも、もう70が近いわけだから…。この曲なら恥ずかしくない!と思ってね、「友よ」という曲を作りました。

この曲を作りながら、“友よ”。その、やっぱり68だからさ、この歳になって恋愛でこうしたああした…、それよりも、もっと広い意味の“友よ”っていう気持ちで、この曲は作ったんだ」

 

これもまったくそのとおりだと思う。もちろん、松山千春が生み出す楽曲がすべて「友よ」のような歌である必要はないと思っている。恋愛の歌だって当然ある。

 

ただ、本人もそう言っているように、ここまでその割合において、恋愛の歌が圧倒的に多すぎると思っている。円熟した年代に入ってまで、”信号待ちで「君、好きだよ」と気づいた”でなくていいし、”お前を思うと心は爆発だ”でなくていいと思っている。

 

私が願い求める「フォークシンガー松山千春」にはやっぱり人生を、ふるさとを、家族を、友を、日々を生きる人々の息遣いを、世相を、平和への願いを、人間愛(ヒューマニズム)を、それと分かるストレートな歌詞でもっともっと歌って欲しい。

 

その意味で、2024年4月3日に発売される「友よ」…フォークシンガー松山千春を感じられる曲だと思ったし、ライブで聴けるのを楽しみにしている。

 

上にも書いたが、2023年12月24日放送の自身のラジオ番組で語った。

 

「来年は、自分が今考えてること、やりたいこと、そんなことをみんなに届けられるような楽曲を作りたいと考えている。正直言って、あと50年も60年も歌えるわけじゃないので、そのへんも考えながら、頑張ってやっていきたい」

 

当然ながら、ここまで歌って来た時間よりも、これから歌える時間の方がはるかに短い。焦らず急いで、フォークシンガー松山千春を感じられる曲をいつも待っている。

 

歌えるうちに 歌っておきたい

心のすべてを 想いを

(松山千春「Message」)

 

 

 

 

【更新履歴】

<2023.12.26>加筆+カバー写真変更
<2023.12.03>再掲