神様が人間をお創りになる時、力を入れすぎたり手抜きをしたりそんな手加減があるんじゃないかしら。
例えば、世紀の二枚目アラン・ドロンを作った日は、ドッと疲れてしまい、次の人はチョイチョイと軽く済ますとか。
もう何十年も昔、私はテレビの取材でアラン・ドロンに逢ったことがある。
目の当たりにした彼は50代半ばなのに、息をのむほどの美しさだった。英語で話してくれたインタビューの内容は、私、ボーッと見とれていたらしく、全く覚えていない。
30分の間、一度も私の目を見てくれなかったけど、あれは、あの海のような深い眼差しで見つめたら相手が魔法にかかってしまう、と十分に意識していたからじゃない?
でもね、インタビューを終えて立ち去る時、窓際の鏡を見つけて彼の眼が急に生き生きと輝くのを私は見てしまった。そう、鏡があったら無視できない体質……そして彼はあの中に住みたいと思っていたに違いない。
以前に、彼の奥さんだったナタリー・ドロンに逢った時、
「あんなに美しい人と一緒に暮らすのはどんな気持ち?」と尋ねたら、
「朝、ベッドで寝ている彼を見ても、映画の中にいるみたいで信じられないの。張り合うのはもうやめたわ。疲れるもの。彼のお母さんになるように努力しているわ」
そうでしょうね。
二人はすぐに別れた。
そしてもうひとり、私が8歳の時ハリウッドのスタジオでマリリン・モンローを見た。
白いシャツにブルージーンズ。捻挫をしたらしく、松葉杖をついていた。
誰かが「今売り出しのスターだよ」と囁いた。子どもながらあんな美しい生き物を初めて見た。何だかピンク色で
「わあーきれい!」
私は見とれていた。作品は『ナイアガラ』だったろうか。
後に「セックスシンボル」などと呼ばれたが、可愛い綿菓子のように、私には見えた。