その日はジリジリ太陽が照りつけ、日傘をさしても猛烈な熱さ。夏の八甲田山、死の行軍か。空を見上げると、私の目玉焼きが出来上がりそうだ。普段あまり汗をかかない私がベチョベチョになり体育館に到着した。
時間ピッタリ。3点セットを出し、予診室へ、すぐ接種室。前回よりあまりのスピードの早さに汗のひく間もないほど。係の方から予防接種済証をいただく。

なんだか、これで私もちょっと気が軽くなった。前回の体育館の雰囲気は、係も接種者もみんなかなり緊張していたようだ。私に気付く方はあっても、声をかける人はいなかったが、今回は何人かの方に声をかけられた。

「アラ、今度は2度目ですね」

また別の人は

「お母様の介護大変ね。がんばってね」

などなど、色々話しかけてくださった。私は相手のお顔を知らないけど、同じ区の人ですものね。

無事に家に帰り2~3時間後、母に夕食を食べさせていると、突然胸が苦しくなった。トイレに駆け込み、激しい嘔吐。ちょっとやそっとではおさまりそうにないので、母の部屋に這って行き、後のことはマーちゃんに頼む。胃の中が裏返っちゃうような苦しみが夜中の2時、3時まで続く。ひとりでは心細い。

翌朝、どうにも起きられないので、マーちゃんに電話でヘルプ。母の朝御飯と、ヘルパーさんが来た時にドアを開けてもらう役目を頼む。そしてマーちゃんは自分の仕事場へ。その頃になると私もやっと人心地がつく。

後で注意書きを読んだら、嘔吐もちゃんと書いてあった。

家に来る若い看護師さんもヘルパーさんも2度目の副反応は高熱が酷かったというので、解熱剤しか用意していなかった。知り合いの高齢者の方々に尋ねると「ナァーンでもなかったわ。若い人は大変らしいけど年を取るって良い事もあるのね」との情報に気楽に考えていたけれど、酷い目にあった。

でも、ワクチンを受けたことは全く後悔していない。マー私の体の中でワクチンが戦ってくれたのでしょう。「アラ、私って以外に若いのね」って至って能天気。

この頃、母のベッドに潜り込むことがある。何時まで一緒にいられるかしら。抱きしめていると骨の一本一本が触れる。こんなに小ちゃくなっても母はまだ私を守って戦っているつもりなのかな。
母を撫でていると、楽しかった事、苦しかった事、一時母と疎遠になった事など、色々思い出す。

「ママ、ごめんね。いっぱい苦労をかけて」

私の母になっていなかったら、もっともっと幸福になれたのかも知れなかったのにね。私が母に一番苦労をかけたのは、若い時になった重度の鬱病だ。まだスターだった私は精神科に行くわけにいかず、内科に行った。まだ鬱病という病名もほとんど知られていなかったと思う。内科の先生を通して精神科の医者から薬を処方してもらい、内科で受け取っていた。一時週刊誌にかぎつけられそうになったこともあった。
コンサートの当日になっても、劇場に足が向かない。踊れない。芝居が出来なかったらどうしよう……お客様の期待に応えられない不安に苛まれ、母の車の運転で何十回劇場の周りをグルグル周ったことだろう。最後は

「あなたプロでしょ。満員のお客様を待たせてどうする!」

と一喝される。
そんな事が何回あったろう。薬の副作用で開演直前まで眠り込んでいたこともある。
そんなことも、母のおかげで何とか乗り越えてきた。

さて、ここからはベッドの中での母との会話↓

「ママのパジャマ、すみれ色できれいね」と、私。

「きれい?そのうちあげるわよ。まだまだ先だけどね」と、母。

「そんな先なら、いらないわよ」

「アラ、そう良かった」

まだ物欲があるんだ……┐(´ー`)┌

時々、私のトレーナーやTシャツを、いいわねいいわね攻撃で取られてしまうことがある。物欲がある人は長生きするそうだ。

アー私の体がもつかしら? (^^;)