たぶん唯一無二! 眼鏡出っ歯の笑い獅子
─上付ギョロ目石獅の分布最奥部から
(貴州省南部錦屏県隆里古城)




  隆里古城は貴州省南部の錦屏県(きんぺいけん)にあって、辺疆防衛のための明・清代の駐屯地です。周囲日トン族(トン・タイ語群トン・スイ語系) ・ミャオ族(ミャオ族ミャオ語群ミャオ語系)が居住しています。もとは龍里といいます。洪武十九年(1386)から築城され、4座の城門と城壁を巡らし、城内外1万1千人の駐屯軍が屯田をしながら守ってきました。  





  600年の歴史があり、72の姓と同数の井戸があるといわれます。城内は卵石を敷いた江南風の美しい3本の街道がT字に交わり、湖南・安徽風の箱形囲み屋建築をそびえる段々の「馬頭墻」(漢語:マートウチィヤン・ばとうしょう)の壁面が連なる美しい街並が遺ります。







   住民の先祖は安徽・江西両省から来た家が多いですが、他民族の居住地に、隔絶されたように営まれる600年の歴史の中で、トン族とは通婚関係が進んでいます。南門の街道である蜈蚣街(ごしょうがい)は100m近くもの百足の模様が卵石で描かれており、火伏の意味があるようです(南門の方角が五行説の火に属し、蜈蚣が五行説の水に属する)。






   隆里古城の鎮宅石獅は、広西・広東・福建でみられる上付きギョロ目タイプ(上付珠目眼型)のもので、清代のものと思われます。鎮宅ですから、邸宅門前の石獅です。

図1.隆里石獅(向かって右)

図2.隆里石獅(向かって右)






   中国西南地方の内陸部の貴州省まで、ギョロ目タイプの獅子があったということは、海を渡って沖縄の村落を守る単体シーサーに同様の上付きギョロ目タイプのシーサーがあることと同様、感慨深いものがあります。


図3.隆里石獅(向かって左)



図4.隆里石獅(向かって左)




    この石狗は、この種の上付き目玉のプリミティヴな石獅・石狗たちの最奥部の作品といえそうです。磨耗は激しいですが、頭部に巻き毛状だっとと思わせる瘤が多数あり、額にさらに大きな瘤もあり、背中の分かれ毛も連続していて、石狗ではなく、石獅です。

    左右ともに大きな目が、極端に寄り目で、愛すべき表情を見せています。

図5.隆里古城東街と東城門の街景



   驚くべきは、目玉と口です。とくに向かって右の獅子の方が目玉が極端に大きく、その上線刻が眼鏡を掛けたように二つの目玉と両耳の下までを結んでいて、眼鏡をかけたような表現です。相方は眼鏡がないから、石獅の世界では、唯一無二は詐りでは御座いません。でも日本の狛犬で眼鏡をかけている狛犬もいるかも知れませんね。


図6.隆里古城蜈蚣街の卵石街道(むかでの尻尾を南門側からみる)

   眼鏡石獅は、口が横倒し8字の形で、真ん中が上下前歯で合わさって、前歯が出っ歯にみえます。これまた類例ない造形です。首下の鈴がありません。

図7.天寿を全うされたお婆さんのお葬式に招待されました。




   親しみやすさを感じるのは、水木しげる先生が発明した日本人の典型である眼鏡出っ歯の表情に通じるからでしょうか?(じつは水木先生と私はいっしょに雲南妖怪の旅をしたことがあります)。

図8.金門島の上付きギョロ目獅子タイプの風獅爺(金門島水頭地区)




    向かって左の獅子は、首下に鈴があります。口を開けていますが、口中に珠を含むような彫り方です。大きな鼻は、両穴が勢いよく開いています。磨耗する以前は、下をぺろっとだしていたかにみえます。



図9.沖縄の上付ギョロ目タイプのシーサー(南城市付近)
 







   パーマをかけたような螺髪で、両頬は瘤が隆起して、血色は良いので、大きな目玉と相まって、こちらは上方おかみさんタイプにみえます。交互に眺めると、まるで夫婦漫才を聞くかのような錯覚に陥ります。










   でも、こちらは左前足を怪我したようで、コンクリートで四角に固められ、針金を結んで措置してあるのが残念です。









   最奥部にひっそりとたたずんでいた上付きギョロ目獅子は、中国では唯一無二の眼鏡出っ歯の笑い獅子でした。