◆リュック・ベッソン

リュック・ベッソン ◆Luc Besson
◆りゅっくべっそん

◆1959年3月18日生まれ
◆出身地:フランス/パリ

◆デビュー作:「最後から2番目の男」(1981)

◆両親がスキューバダイビングのインストラクターだったため幼い頃からユーゴスラビアやギリシアの海辺を転々とする。4歳で水上スキーを始め、6歳で父親に潜水器材を括り付けられたまま海へ投げ込まれ、7歳で本格的にダイビングを始める。16歳でダイビング・インストラクターの免許を手に入れたが、17歳の時、潜水中の事故でダイビングが出来なくなりイルカを専門とする海洋生物学者になる夢を断念。パリヌロにあるスクリーンで、ジャック・マイヨールの閉息潜水を描いた記録映画に感動し、この時から実験的に映画を取りはじめる。17歳で高校を中退後、フランスの老舗映画会社ゴーモンに入社しニュース映画のアシスタントを務める。1978年、兵役の途中の休暇期間中に一週間で、制作費8千フラン、スタッフ6人とカメラ一台で10分間の短編映画「人魚 Le Petite Siren」を製作。イギリスへ渡り「007/ムーンレイカー」の現場にも参加した。1979年、20歳で渡米、 3ヶ月間ハリウッドで「0086は笑いの番号」のサード助監督につく。その後、フランスに戻って助監督、CFやドキュンメンタリーの監督として活動し、自らの製作会社”Les Films Du Dauphin”を設立。ジャン・レノ、カルロ・ヴァリーニ、エリック・セラらとチームを組み短編映画「最後から2番目の男」(1981)を監督、アボリアッツ国際映画祭に出品し絶賛される。さらに、処女長編の「最後の戦い」(1983)ではアボリアッツ国際映画祭同映画祭で審査員特別賞と批評家協会賞を受賞。「グレート・ブルー」(1988)で世界的に注目され、日本ビクターやゴーモンの出資で「ニキータ」(1990)、「レオン」(1994)などを発表。「フィフス・エレメント」(1997)はベッソンが17歳の時から温めていたSF映画で「グラン・ブルー」(1988)に続くカンヌ映画祭のオープニング上映作品となり、全米でも大ヒットを飛ばした。同年、ハリウッドにフランス人による映画制作会社”1B2K”を設立。「ジャンヌ・ダルク」(1999)はアメリカで3日間、640万ドルの興収の大ヒットした。その後はプロデュース業に専念。フランスの若手監督の育成にも力を注ぐ。2001年1月、パリに映像会社”ヨーロッパ・コープ”を設立し「YAMAKASI ヤマカシ」(2001)、「WASABI」(2001)などを制作。「今、権力を握っている大スタジオの目的はお金を稼ぐことで映画を作ることではなくなっている。私は人に愛される多様な映画を作りたい。それが会社設立の目的」と話していた。アンヌ・パリローと同棲中に一児をもうけるがその後破局。1997年に「フィフス・エレメント」(1997)で起用したミラ・ジョヴォヴィッチと電撃結婚したが1999年に離婚している。



「TAXi 3」(2003) : 製作/脚本
「ミシェル・ヴァイヨン」(2003) : 製作/製作総指揮/脚本
「トランスポーター」(2002) : 製作/脚本
「キス・オブ・ザ・ドラゴン」(2001) : 製作/脚本
「YAMAKASI ヤマカシ」(2001) : 製作/脚本
「WASABI」(2001) : 製作/脚本
「TAXi 2」(2000) : 製作/脚本
「EXIT イグジット」(2000) : 共同製作総指揮
「ジャンヌ・ダルク」(1999) : 監督/脚本
「ダンサー」(1999) : 原案/脚本/提供
「フィフス・エレメント」(1997) : 監督/脚本
「ニキータ」(1997)(TV) : 企画/原案
「ニル・バイ・マウス」(1997) : 製作
「TAXi」(1997) : 製作/脚本
「ボクサー/最後の挑戦」(1995) : 製作
「レオン」(1994) : 監督/脚本
「レオン/完全版」(1994) : 監督/脚本
「アサシン」(1993) : 原作
「シルガ」(1993) : 製作総指揮
「アトランティス」(1991) : 監督/撮影
「つめたく冷えた月」(1991) : 製作
「ニキータ」(1990) : 監督/脚本
「グラン・ブルー/グレート・ブルー完全版」(1988) : 監督/原案/脚本
「グレート・ブルー」(1988) : 監督/原案/脚本
「グラン・ブルー/オリジナル・バージョン」(1988) : 監督/原案/脚本
「神風」(1986) : 製作
「サブウェイ」(1984) : 監督/製作/脚本
「最後の戦い」(1983) : 監督/製作/脚本
「最後から2番目の男」(1981) : 監督