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[いっこく堂さん](上)ひとりぼっちだった時に出会った腹話術「学校がつらいなら好きなことを貫いて」
いっこく堂さんは、友人関係に悩んで自分の殻に閉じこもりがちだった中学生の頃、腹話術に出会いました。大人になって腹話術師を目指そうとすると、周囲からの奇異の目にさらされることもありましたが、自分の「好き」を貫き通しました。当時を振り返って、人間関係に悩む子どもたちへのアドバイスを語ってくれました。(聞き手・山口千尋、撮影・小倉和徳)
友達が一人もいない
――「あれ」「声が」「遅れて」「聞こえるよ」と、口を動かした後に遅れて声を出したり、同時に何体もの人形を操ったりするなど、たぐいまれな技術とおもしろさで腹話術師としての地位を築かれました。腹話術との出会いはいつですか。
中学1年の頃、所属していた野球部で僕が誰々の悪口を言っていたといううわさがあり、友人関係がこじれてしまいました。もちろん誤解ですし、大人になってからは和解できて、今では仲の良い友人です。しかし、当時は弁解せずに、そのまま自分の殻に閉じこもるようになりました。
学校では友達が一人もいない。自宅では普通に過ごしていたので、家庭訪問で教師から「家でも静かなんですか?」と言われて母が驚いていました。
今なら友達なんていなくてもいいじゃんって思えますが、当時はしんどかったですね。
腹話術に出会ったのはそんな時でした。テレビのニュースで、女性警察官が腹話術を披露していたのを見たんです。「わあすごいなあ、やってみたいなあ」と、心がときめきました。
――その時、腹話術師になろうと思ったのでしょうか。
人形を手に入れようとしましたがかなわず、やがて腹話術のことは忘れていました。
腹話術をやろうと思ったのは、29歳の時です。俳優を目指して上京し、劇団に所属して数年がたちましたが、集団での活動が苦手で自分を押し殺している感覚でした。先輩劇団員に「おまえの演技は……」とお説教されるのも煩わしくて、自分は一人が向いているのかな、と思っていました。
そんな時、旅公演の夜に行われた宴会で、劇団員がそれぞれ一芸を披露することになりました。そこで、先輩俳優の米倉 斉加年 さん(2014年死去)らのモノマネをしたらすごくウケたんです。
それを見た米倉さんは、「お前は一人でやっている方がおもしろいな」と言ってくれました。その時、芸人になろうと決心したんです。
「腹話術は最底辺の芸」と言われて
――まさに人生のターニングポイントですね。
劇団を休団させてもらい、さて何をやろうかと考えた時に思いついたのが、中学生の頃にテレビで見た腹話術でした。すぐに図書館に行き、「だれにもできる腹話術」という本を借りてきて、独学で勉強を始めました。
――中学生の頃に見た腹話術が心のどこかに引っかかっていたんですね。
本当に好きなことを自分の心が教えてくれました。周囲からは、昔からいろんな人がやっている「手 垢 のついた芸」「芸の中でも最底辺」とひどい言われようでしたが、自分が好きなことを貫こうと心に決めました。そのおかげでブレイクできたんです。
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