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富士山 最古の富士登山道 村山道2日目 富士曼荼羅図参詣ルートを辿り富士詣 -2019-07-11の写真

2019.07.11(木) 16:02

この写真を含む活動日記

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17.5 km

2134 m

富士山 最古の富士登山道 村山道2日目 富士曼荼羅図参詣ルートを辿り富士詣 -2019-07-11

富士山 (山梨, 静岡)

2019.07.11(木) 日帰り

2019年07月11日の2日目は.. 村山浅間神社⛩️富士山興法寺 大日堂を 起点として村山道を辿り、富士山新六合目(村山道 旧四合目)を目指しました。 そして新六合目で小休憩した後、富士山頂を目指します。 村山道の工程は.. 村山浅間神社(標高490m)→四辻(標高575m)→馬頭観世音(標高600m)→五辻(標高638m)→富士裾野線(標高740m)→大欅 札打場(標高830m)→天照教社下(標高970m)→富士山麓線(標高1000m)→吉原林道 林班界標210/171(標高1055m)→富士山麓山の村 緑陰広場(標高1080m)→馬頭観世音(標高1130m)→大淵林道(標高1215m)→中宮八幡堂(標高1260m)→日沢→六観音跡(標高1335m)→富士山スカイライン(標高1345m)→富士山スカイライン10.8㎞地点(標高1600m)→ガラン沢・高鉢遊歩道交差(標高1690m)→倒木地帯(標高1810m)→瀧本・笹垢離(標高1860m)→大倒木地帯(標高1930m)→横渡(標高2000m)→御室大日堂 富士山本宮浅間神社中宮祠跡(標高2160m)→旧三合目・第三層 石室跡(標高2385m)→富士宮口登山道合流→旧四合目・第四層・富士宮口新六合目(標高2490m)→宝永山荘・雲海荘となります。 スタートした時は どんよりした曇り空。勿論、今日も富士山は雲隠れ.. 晴れもよし、雨もまたよし。 その時 そこに見える景色を 楽しめば梅雨も素敵な季節です。 植物は この時期に生命力を発揮しますから、こちらもエナジーが湧いてきます。 ※村山道とは..最古の富士登山道 富士山の噴火活動が沈静化すると、富士山の持つ神力、霊力を得ようと修験者などが山中に足を踏み入れるようになりました。 修験道は、日本古来の山岳信仰と密教・道教(神仙思想)が習合したもので神仏習合思想のひとつで、神々は仏の化身というのが教え。 つまり、それまで浅間大神であった富士山を大日如来とし、富士山頂に仏の世界(または仏が神の形となって現れる場所)があると考えられていました。 これにより、多くの修験者が山頂をめざしました。 この頃、修行を行った修験者の中で最も知られているのが、数百度登山した記録が残る末代上人(まつだいしょうにん)。 富士山頂に大日寺を構えたとされ、富士山上人と呼ばれたと言います。 末代上人が山麓の拠点にしたのが村山(富士宮市)で、ここを拠点に行われた富士山域の回峰行が「富士峰修行」。 海抜0mの田子の浦から村山の富士山興法寺 大日堂を経て村山道を歩き、富士山頂から宝永山や愛鷹山、三島明神(三島大社)などを26日かけて巡ったと言います。 そして、15~16世紀になると修行を目的にした『修験』から、民衆に開かれた『富士講』へと変わっていきます。 登山者が増えるにつれ富士山の東西南北に登山道が出来、15~16世紀になると修験者に引率された衆庶の信仰登山へと拡大。 富士山は、登拝する山として知られるようになり、参詣者のための宿坊が出来るなど、より登りやすくなっていきました。 そして、「修験」から、さらに民衆に開かれた「富士講」へと、道は続いていったわけです。