井上芳雄です。僕が所属する事務所の後輩である若手俳優2人に演技や歌のレッスンをする機会がありました。発声法や演技のメソッドを教えたわけではなく、オーディションを受けるときの心構えや苦手意識の克服といった彼らの悩みを聞いて、僕の経験を基にアドバイスするといった形です。人に教えたのは初めてですが、教えることで得られる気づきがたくさんありました。

井上芳雄は2024年3月12~31日に世田谷パブリックシアターで上演する『メディア/イアソン』に出演する
井上芳雄は2024年3月12~31日に世田谷パブリックシアターで上演する『メディア/イアソン』に出演する

 レッスンをしたのは2024年1月、都内のスタジオを借りて、3時間くらいやりました。後輩は2人とも20代の男性。プロデビューはしていて、ミュージカルなどの舞台に立ちながら、さらなる活躍を目指して、いろんなオーディションを受けている最中です。マネジャーやスタッフからも日々アドバイスされていると思うのですが、実際に現場でやっている僕だから分かることもあるだろうから、具体的な話をしてほしいと依頼されて、じゃあ1回一緒にやってみようか、ということで始まりました。

 2人とは面識はあるけど、お互いのことをそこまでよく知っているわけではないので、最初は「今のミュージカル界はどうなの」といった漠然とした話から始めて、「どういう内容のオーディションがあるの」とか「どういう人が受かるの」といった具体的な話を聞いていきました。そして「もっと歌をこうしたい」とか「お芝居をこうしたい」といった今の悩みや課題を教えてもらい、オーディションで言うせりふや曲を一緒にやってみよう、となりました。

 せりふの練習では、声の出し方や体の使い方を基礎からやるのではなく、オーディションに向けて実践的なアドバイスをしました。「このせりふだったら、こういうふうに読んでみたら」とか「こういうシーンなら、ここが一番盛り上がるように、その前をどうしていこうか」といった組み立て方を、僕が分かる範囲で一緒に。

 2人とも音大出身。声楽は勉強しているのですが、お芝居を専門的に学んだわけではないので、自分の感覚と見よう見まねで演技しているところがあります。僕自身がまさにそうだったので、彼らの気持ちはよく分かります。分からないことだらけだけど、誰にどう聞けばいいかも分からない。それで僕の場合は、舞台に立ち続けながら、自分で学んだり、演出家の方々に教えてもらったりして、今に至っています。

 ただ、自分自身が経験のないところから始めた分、あまり人に聞けないタイプだし、普段はほかの人にも何か言わないようにしています。自分が先輩からダメ出しやアドバイスを受けるのは得意じゃないので。もし誰かが聞いてきたら、「こうかもね」と言うぐらいのスタンスです。それでも、ほかの人を見ていて、「ここは絶対こうしたほうがいいのに」と内心思うことはあります。今回は教える立場だったので、初めて思っていることを堂々と言えたし、それが人のためになることも知りました。

 今回2人が口をそろえて言ったのは、お芝居の経験が圧倒的に少ないという悩み。アンサンブルでミュージカルに出ても、せりふは一言だったり、なかったりがほとんどで、長いせりふを言った経験があまりないそうです。オーディションの練習にしても1人でやっていて、誰かとせりふを掛け合わせることがない。僕からは、その現状は分かるけど、基本的にお芝居は誰か相手がいてやるものだから、まずそこの認識を変えることから始めよう、と話しました。

 結局、1人でやっていると、どういう言い回しで、どういう気持ちになって、というのを自分の中で組み立てるしかありません。そうやってせりふの理解を深めるのも大事ですが、実際にお芝居をやるときは、相手からもらうというか、相手に影響されて自分の気持ちや言い方が変わることのほうが大切だと、僕は思うんです。

 そういう話をして、実際にせりふを読んでもらったのですが、やっぱりすぐに相手に影響を受けてしゃべるのは難しいもの。なので、まずは相手の言っていることだけに集中してみよう。せりふを言っているときより、聞いているときの反応が大事。オーディションで審査する人も、相手のせりふを聞いているときにどういう演技をしているかを見ているはずだから、そこを一生懸命やってみようと伝えました。

決まった表現が望まれているわけではない

 演技の経験が浅いうちは、感情を決めてかかるというのかな。この場面のせりふはこういうものだ、と決めて、それを再現することにエネルギーを使いがちです。でも実際の舞台では、ほとんどの場合、決まった表現が望まれているわけではありません。相手がどう出るか分からないから、こっちがどう返すべきかは、その瞬間にしか感じられない。前もって準備できていたほうが安心するし、自信も生まれるけど、ことお芝居に関してはそうじゃない。何が正解なのか決まっているわけではないから、すごく心もとないものなのです。

 そんな形のないことを教えていたので、ちゃんと伝わっているか心配でした。ところがやっているうちに、彼らの演技が目に見えて変わってきます。明らかに最初の言い方と違っていたり、本人も「こっちのほうが言いやすいです」となってきたので、伝わっているんだなと。スタッフの方も、分かりやすくなった、と言ってくれました。変わっていくことが僕もうれしくて、先生の気持ちとはこういうことなのかと思いました。

 苦手意識も彼らの悩みでした。歌が好きだけど、オーディションに行くと、うまい人がたくさんいるから、自信がなくなると言うので、実際に聴かせてもらいました。それで、「中音域で音程がちょっと怪しくなるね。高いところはしっかり出ているので、中音域に気をつけよう」とアドバイスして、声の種類についても、「今のミュージカルにはクラシックの発声がそぐわない歌もたくさんあるから、もっとポップな声に寄せたほうがいいんじゃないかな」といったことを言いました。

 苦手意識の克服の仕方として、こうすればなくなるという魔法の言葉はないけど、漠然と苦手だというのではなく、「この音域の音程が苦手なだけで、そこをクリアすればほかは問題ない」というふうに、苦手だと思わなくて済む根拠を考えようと。オーディションに受かるためには、不安要素を一個一個つぶしていかないといけないので、まずは何が具体的に苦手なのかを認識することが大事なのです。

 それと、世に出たときには、苦手なこともやらないといけなくなるし、毎回新しいチャレンジが待っているので、そのつど対応していくことも大切だと伝えました。例えばですが、演劇をやっていると、馬の脚をやってほしいと言われたり、このマントを使って魅力的に演じてほしいと言われたりすることが毎回のようにあります。「苦手なのでできません」と言うこともできるけど、それをやろうとするのが演劇だし、誰もやったことがないものをみんなで創るのがすてきなところです。万全の準備をしていく必要はないし、苦手や得意にとらわれなくてもいいんだよ、ということを話しました。

 やっぱり若いときって不安が多いと思うんです。この世界で自分がやっていけるのかとか、この仕事で生活できるようになるのかと思うと、とても不安ですよね。僕にも同じような時代があったので、同じ仕事をなりわいにしようとしている若い人たちを見ると、いとおしい気持ちになります。一緒に仕事をすると、共演者や同業者といった横並びの気持ちになるけど、教える側と教えられる側の関係だと、また違う気持ちになるのは発見でした。

納得しながら進んでいくことが大事

 レッスンを終えた2人からは「初めて聞いたことがたくさんあった」と言われました。教えたのは、いろんな演出家や俳優の方が言われていることや、長く演劇をやっている人たちなら聞いたことがある話がほとんどだったと思います。でも、若い人たちにとっては、まだ知らないことがたくさんあるのですね。「常日ごろ舞台に立っている人に教えてもらえたのは貴重でした」とも言われたので、そこは自分の経験を伝えられてよかったです。

 彼らのうちの1人はその後、オーディションを実際に受けました。「学んだことを生かして、できる限りのことができたと思います」と言ってくれたのが、うれしかったですね。結果はもちろんついてきてほしいけど、納得しながら進んでいくことが大事だと思うので。

 このレッスンを終えてから、自分が稽古するときの意識も少し変わりました。3月12日から世田谷パブリックシアターで開幕するストレートプレイ(せりふだけの演劇)『メディア/イアソン』の稽古中に、演出家の森新太郎さんからアドバイスを受けると、そういう伝え方があるのか、とメモしたりしています。例えば、せりふを読んでいると、森さんは「試しにジャイアント馬場さんで読んでみて」とか「美輪明宏さんで読んでみよう」と具体的な人の名前を出します。物まねをしてほしいわけではなくて、全然違うニュアンスで読むことで、本人が普通に読むのとはまた違う方向性を加えるのが狙いです。「語尾に小さな”っ”を付けて」といった言い方もされました。自分の中に「伝える」という新たな視点が加わった気がします。

 振り返ると、僕は分からないことを人に聞けなかったし、人から言われるのも好きじゃなかったけど、どこかで伝えたいという気持ちはあったと思うんです。ミュージカル俳優は世襲制じゃないし、僕は先生でもないので、僕の芸があるとしたら一代限り。受け継がれていくものではないことに、一抹の寂しさともったいなさがあります。それもあってか、自分の中に伝えていきたいという思いがあることを、今回レッスンをやってみて感じました。そして、よく言われることですが、教えるほうにもすごく学びがあるのを実感しました。

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「井上芳雄 エンタメ通信」は毎月第1、第3金曜に掲載。3月1日(金)は休載。第150回は3月8日(金)の予定です。

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