牧本次生氏
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牧本ウエーブ
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 半導体産業では,「標準品化」を重視する時期と「カスタム化」を追い求める時期が10年の周期で繰り返す――。半導体業界で深く知られるこの説(牧本ウエーブ)を提唱したのが「ミスター半導体」牧本次生氏である。牧本氏は,日米半導体摩擦で日本代表として論争の矢面に立つなど,日本の半導体産業を引っ張ってきた存在である。日立製作所 専務取締役などを務めた後,2000年に,当時ソニー代表取締役会長兼CEOの出井 伸之氏から請われるかたちで,ソニーに入社。同社 執行役員専務などを歴任した。ソニー退職後も,エルピーダメモリの社外取締役を務めたり,半導体業界の顔として国内外の学会において講演するなど,半導体業界の発展に多大な貢献を施してきた。その牧本氏に,現在の半導体産業はどう映っているのか。そして,今後の半導体産業の発展のカギを握る技術やアプリケーションは何か,話を聞いた。(聞き手:浅見 直樹=日経エレクトロニクス発行人,大石 基之=日経エレクトロニクス副編集長)

問  牧本ウエーブから見て,現在の半導体産業はどのようなフェーズにあるのでしょうか。

牧本氏  まず,これまでを簡単に振り返りましょう。私が牧本ウエーブを着想したのが1987年です。牧本ウエーブでは,1987年から1997年までの10年間をカスタム化の時期と位置付けていますが,実際,1987年ごろに,ASICが流行り出しました。1987年以前は,マイクロプロセサやメモリを手掛ける半導体メーカーが強かったわけですが,1985~1986年に,過剰生産が原因で,メモリの価格が大暴落しました。この原因について,メモリのような汎用品を不特定多数のメーカーが不特定多数のユーザーに向けて出すからだという考えの下,半導体メーカー各社がASICに舵を切りました。これと時を同じくして,EDAツールが発売されたこと,そしてゲート・アレイの設計メソドロジが確立されたことなどがいいタイミングで重なり,ASIC事業が立ち上がりました。

問  ASIC全盛の10年間の次はどう解釈すればよいですか。

牧本氏 1987~1997年はASIC業界が活況でしたが,いつまでもASIC全盛の時代が続くことはないだろうと考えました。1997年ごろからは,汎用品の存在感が高まると見ました。FPGAに代表される,Field Programmabilityの時代です。カスタム化が活発に追求された時期の後には,その問題点を解決する目的で汎用品に動くことが,経験的に分かっていたからです。このことを,1967年~1977年の10年間,そして,その次の1977年~1987年の10年間を例に,説明しましょう。1967~1977年の10年間は電卓用ICが隆盛を極めました。

 この時代は,電卓戦争などとも言われ,カスタムICが活況を呈しました。しかし,電卓各社による開発競争が熾烈を極め,求められる開発サイクルも相当短くなってくると,カスタムICの手法に手詰まり感が出てきました。そこでうまい方法を考えたのが,米Intel社です。このころ,電卓用ICについて,Intel社にカスタム設計の依頼を持っていたのが日本のビジコンです。当初の見積もりでは,13品種のカスタムICの開発が必要とされていた案件を,Intel社が,エンジニアであるTed Hoff氏を中心に,現在のマイクロプロセサの原点ともなる考え方を持ち込み,4品種程度の開発で抑えることができました。共通の回路で処理をして,ROMでプログラムを変えればいいという,今となっては当たり前の考え方を思いついたわけです。こうして,1977年にマイクロプロセサを中心とした汎用品の10年間が幕を開けました。